2007年09月20日

80年代的

キャンディーズが解散したり、世界の王(ワン)ちゃんが756本もホムーラン打ったり、大貫さんが路上で1億円拾ったり、電話ボックスに置いてあったコーラ飲んで死人が出たりと色んなことがあった80年代ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 
しかしよく考えたら、電話ボックスのコーラを(拾い食いならぬ)拾い飲みしてシボンヌってのも凄い話だよな。青酸カリ入れる方も入れる方だが飲む方も飲む方だよな。やっぱ当時はコーラって、置いてあれば「あ、ラッキーいただき」という感じでウキウキしながら思わず手に取ってしまうような、まだそれなりにチョイ高級なドリングだったのだろうね。考えてみりゃあの頃はまだ日本全体がそれほど裕福ってこともなくて(10人兄弟の俺の家だけかもしれないが)、貧乏ってのがまだリアリティあったんだよな。例えば「特捜最前線」なんかだと、「貧乏ゆえ人を殺めてしまいました」という永山則夫ライクな話が結構あったもの。 

と、話はまた例の如く脱線して崖下に転落したわけですが・・・ 
最近、昔ミュージックを聴いて一人感傷に耽っているというのは某所で既報の通り。今日はその続編。 

大滝詠一「Each Time」なんだけどよ、曲っつーかメロディは古臭くもなく今聴いてもイイなァと思う。が、歌詞はすごく気恥ずかしい。完全に見当違いの感想なんだろうけど、この手の曲に松本隆が提供した詞って、非常に「80年代ポパイ」的なんだよな。LA,ビーチ、サーフィン、テニス、そしてキミとボクとの恋・・・ こんな感じ。話としては片岡義男、絵にすると永井博の路線(まぁこの人がロングバケーションのジャケット描いてるわけだが)。白いヘインズのTシャツに履きこんだリーバイ501にテニスシューズ。日焼けした肌に白いTシャツが眩しい。悪くはないけど何となく恥ずかしい。松本隆の詞にはどうもそんな感覚を覚えてしまう。当時しっかり流行に流され、そういう路線を目指してしまった自分に対する気恥ずかしさ。厨房時代にクラスメイト(当然女)とやりとりしていた交換日記を不覚にも押入れの中から発見してしまい、家族の誰にも読まれていないことに安堵しつつも、当時の「異様に爽やかな自分(頭の中は性欲で一杯、顔はニキビだらけであるにもかかわらず)」に対して抱く死にそうなぐらいの気恥ずかしさ。「コイツ何言ってるんだ」と思われるだろうが、そんな感じなんだよ。 

もっとも、ファショーンの流れ的には、「ヘインズ+リーバイ501」の次には「80年代DCブランドブーム」という、輪をかけて恥ずかしいノリがやってくるわけだが、その話はまた次回にでも。 

posted by taki9696 |01:53 | くそみそ | コメント(3) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:80年代的

バイトの面接に着ていく服がない。
バイトの面接に着ていく服を買おうと思うが、服を買いに行くための服がない。

posted by 臭いアナル| 2007-09-20 17:11

Re:80年代的

>菊門野郎
そういう時は原点に立ち返れ。
服を買わない→金がかからない→バイトする必要がない→問題解決

posted by 滝| 2007-09-20 17:19

Re:80年代的

どうすれば童貞卒業出来ますか?
>滝さん教えて下さい。

posted by さくらんぼ少年| 2007-09-22 02:52

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