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2014年11月29日

サヨナラだけが人生だ

灰谷健次郎の小説,「兎の眼」の,一節の題名です。

若い方たちでこれを知っている方はなかなかいらっしゃらないかもしれませんが,32歳の私にも,未だこのタイトル名が理解できていません。

母からもらった大切な小説なのですが引っ越しで紛失してしまって読み返すこともできないのです。(買えばいいのですけど,そういう問題じゃありません)

兎の眼の内容には触れませんが,恐らくではありますが,新しいごみ処理場に移転すべく主人公住むごみ処理場従業員住宅の移転か解体かをめぐって,お役所が連帯強い従業員(とその子供たちを)切り崩しにかかるシーンだったと思います。(兎の眼は児童小説です)

貧乏につけこむ卑劣なやり方なのですが,それに乗っかってしまった父と,主人公たち子どもたちを支える先生や子供たちとの葛藤,別れ。


さある別れ。

大好きな選手たちとの別れ。

誰もが納得できない別れは,それは

誰も悪くないからなのです。

この後先生は,裏切った形になって子供たちの前で必死に土下座する父親の方を涙を浮かべながらも優しく肩をたたき,うんうんと頷きます。
泣かずには読めないシーンです。




出会いの数だけ別れも増える
それでも希望に胸は震える

と桜井さんも歌っています。

出会いはサヨナラでもあるのですね。

どうしても受け容れられない別れ,無力な現実を突き付けられることもあります。

青二才の私でも感じていることですから,人生の先輩たるサポの皆さまも分かっていらっしゃるでしょう。


それでもその現実にNoと言う。

それで私も良いと思うのです。それがサポーターだとも思うのです。

けれど,フロント批判とか方針批判とかは潔くない。

別れに対してNoでいいけど,それ以上でもそれ以下でもないのですから。

飽くまで私たちと選手たちの別れに,この身を割けるような思いへのNoでありたい。


さある別れは
サヨナラは

人生において数多あることであり
誰も悪くないどうしようもないこともあるのだと,ぐっと堪える。

それでも堪え切れなくて
変えられないことなのだと分かって分かって分かりきった上で涙を流し

嫌だ嫌だと抗って負けて


そして明日に,未来に向かって行きたいではないですか。


私たちのコンサドーレ号は一つしかないわけですから。

posted by inurou |01:06 | コンサのこと | コメント(0) | トラックバック(0)