2012年05月30日

【スター列伝】ノナト

 もうやめると思った? 残念、まだ続くのでしたー。

 というわけで、忘れた頃に更新するサイト、サッカー百鬼夜行別館でございます。まぁ本館のほうも週一更新ペースになっちゃってますけど。そして既にこのために存在していると言っても過言ではない「スーパースター列伝」、今回取り上げるのは、今でも一部で根強い人気を誇るノナトです。

 2007年に三浦俊也監督の下でJ2優勝を達成しJ1への昇格を果たした札幌でしたが、優勝したとは言っても並み居る敵を叩きつぶしてのものでは決してなく、むしろJ2でもそう恵まれていたわけではない戦力ながら、しぶとく守り少ないチャンスをものにしていく戦い方を徹底してきたのが功を奏した格好でした。J1に上がったからと言って大幅に収入が増えるわけでもなく、補強に使える資金もたかが知れている事情の中で、どこまでJ1で戦えるようにするか。リーグ最少失点を支えたCBブルーノ・クアドロスが退団してしまいましたが、札幌の採った策は単純にその穴を埋めるのではなく、攻撃力を上げることでした。
 思いのほか活躍したFWダヴィもJ1では未知数でしたし、J2最少失点の守備とは言っても、強力なアタッカーの揃うJ1では1-0で勝つサッカーは難しい。かといってボールを支配する攻撃的なサッカーなんてどだい無茶な話。であれば、ヘタにブルーノの穴を埋めるよりも、2001年の俺王様のような少ないチャンス、少ない人数で確実に点を取れるストライカーを補強しよう、となるのは当然の成り行きです。そこで白羽の矢が立てられたのが、ノナトという選手でした。

 本名をライムンド・ノナト・ジ・リメイラ・リベイロ。1979年7月5日生まれ、Wikipediaにはブラジルのパラー州ヴィセウの生まれとあります。1998年にバイーアでプロのキャリアをスタートし、以後韓国の大邱、ソウル、ブラジルのゴイアス、フォルタレーザでプレイ。バイーアでは通算133得点というクラブ記録を保持、韓国でも得点ランキング2位となる13ゴールを挙げ、アジアのサッカーでの実績をひっさげ、札幌にやってきました。
 さて、この時は2008年。21世紀に入って各家庭にもブロードバンドが普及したことで、それまではテキストと画像が中心だったインターネットでも動画が使われることが多くなってきました。さらに2000年代も後半になるとYouTubeをはじめとした動画投稿サイトが出現。誰でも手軽に動画が公開できるようになったことで、世界中の様々な動画情報で手に入るようになりました。日本では放送されることなどないチームの試合映像なんかも見られるようになっていたのです。助っ人選手はいろいろな意味で未知数ですから、果たしてどんな選手なのか気になるのは当然のことですが、そんなサポーターたちにとって、インターネットは強力な武器となっていました。まぁそれでも(それこそ来日前のダヴィのような)マイナーな選手は探すのにも苦労するのですが、さすがにクラブ記録を持つ選手だけあって、少し探しただけでわんさかと関連動画が出てきました。

 さて、札幌は確かによわっちいチームですが、それでも過去には何人もの優れたストライカーが在籍していました。ホルヘ・デリーバルデス、エメルソン、ウィル、フッキ…いずれも強力なストロングポイントを持ち、札幌でリーグ得点王か、もしくはそれに準ずる結果を残した選手たちを直に見ているので、ストライカーを見る目は割と肥えています。そんな札幌サポーターの目から見たノナトは、文字通りに肥えていました。タレントの松村邦洋さんのような体型です。サッカー選手とは思えません。
 そしてプレイスタイルも、デリーのように高さがあるわけでもない、エメのように爆発的なスピードがあるわけでもない、俺王様のように正確無比なキックがあるわけでもない、フッキのように超人的なパワーがあるわけでもない。強いて挙げるならなぜかフリーになっているポジショニングか、というところですが…それを生かすには、味方のお膳立てが必要となります。うん、それって要するに、札幌に合わないんじゃないのカナ?

 というわけで、来日前からなんだか不安な感じがぷんぷん漂ってはいたものの、その一方でその関連動画からわかったのが、「応援チャントがやたらとかっこいい」ことでした。単純に盛り上がりそうというのもありましたが、何より日本でも自分の昔のチャントを聞けば、気持ちよくプレイしてもらえるに違いないと、サポーターは日本語にすれば「ノナト、恐怖の闘牛士」というポルトガル語の歌詞(?)を動画のコメントから拾い出し、しっかりものにしました。

 結論から言いますと、それが報われることはありませんでした。

 来日した直後に「オフの間はあんまり身体を動かしてなかった」と悪びれもせずにコメントし、85kgという明らかなウェイトオーバーでチームに合流、キャンプがスタートしてからもいっこうに体重が減らないこと、テストマッチでも点を取れていないことなど不安だらけで、熊本で行われた韓国Kリーグの水原サムスン戦を見に行った自分も<strong>これは本当にダメかもしれない</strong>と思ったものですが、それでも俺王様をはじめとした前例から、ブラジル人は練習の評価はあまりあてにならないことから、楽観視はしてたんですよ。ボールを蹴るのはうまかったですしね。きっと本番までにはコンディションを挙げてくるに違いない…と思っていたら、開幕直前に怪我。3月23日に行われたナビスコカップの川崎フロンターレ戦で復帰したものの、特にこれといった仕事もできないまま前半で交代。三浦監督からも散々な評価を賜ったノナトが次にサポーターの前に姿を現したのは、それから2週間後の4月5日。リーグ戦でのFC東京都のアウェイ戦でした。この試合にベンチ入りしたノナトは、1点を追う後半41分に中山元気との交代で登場。直後に右サイドのオープンスペースに出たパスに走り込んだノナトは、折り返しのクロスを上げようとしましたが…右足で蹴ったボールはものすごいアウト回転でゴール裏に置いてあるスポンサーの看板を直撃。

 ………。

 実際やってみるとよくわかるのですけど、前に転がっていくボールを90度もしくはマイナス方向に蹴ろうとするならば、ボールよりも先に踏み込んで、腰を回してかぶせるようにして打たないといけないのですよね。ああいう風にアウトにかかってしまうのは、ボールに追いつけていないか、または腰が回っていないかどちらかなんですけど、いずれにせよプロの試合ではほとんどお目にかかれないプレイです。思わず目が点になったのはオレだけではなかったようで、直後に映った三浦監督の怒りとも悲しみともつかない表情は、一生忘れることができないでしょう。
 そして、その伝説のクロスを最後にノナトがトップチームの試合でプレイする姿を見ることはありませんでした。当時はまだ参加していたサテライトリーグでキレキレだったとか、華麗なるバイシクルを疲労としたとか、いくつかの都市伝説ともつかないレポートはありましたが、結局6月14日にノナトとの契約解除が発表されました。

 コンサドーレを退団してからは、徳島ヴォルティスの入団テストを受けたりしたらしいですが、契約には至らずブラジルに帰国。Wikipediaなどによれば2012年現在でも現役を続けているようですが、札幌退団後5シーズンでのべ11チームを渡り歩いているようです。

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2012年03月11日

【スター列伝】ウィル

 先日、かつて札幌でもプレイしたFWエメルソンが、高級車の密輸疑惑で逮捕か、なんてニュースが流れていましてね。それ自体は別段今更驚くことではないっていうか、むしろエメにしてはしょぼい罪状で残念ですらあるんですけど、それを伝えるYahoo!の記事で、なぜかここの「スター列伝」のエメルソンのエントリが関連リンクとして貼られてしまいまして。まぁそれはいいんですけど、ポータルサイトとしてはおそらく日本で一番利用者が多いと思われるYahoo!からリンクされた影響で、既に2年半も更新しないまま腐敗させていたブログがアクセスランキングでダントツトップになってしまいまして。今でもまめに更新していらっしゃる九州サポの独り言さんを差し置いて…というのもあまりにも申し訳なさ過ぎるので、図らずもトップをいただいた記念として久方ぶりに沈黙を破ってみることにしました。
 それにしても、なんで6年以上も前に書いた記事が今更衆目に晒される羽目になったのか今を以て理解できないのですが、「エメルソン」でググるとWikipediaやニュースなんかを除いては、スター列伝のエントリが一番トップに来るんですよね。Yahoo!の中の人もそれでリンク貼ったんだと思いますけど…。ちなみにエメに限らず、選手名でググるとスター列伝の記事が高確率で検索上位に来ちゃうみたいなので、お気をつけください(何を)。

 そんなわけで久方ぶりのスター列伝。腐敗させている間に様々な選手が出たり入ったりしているので、図らずもネタには困らなくなっています。が、ここはやっぱり…「あのお方」を置いてあるまいということで俺王様。今までも「なんで俺王様出てこないんだろう」と思われた方も多くいらっしゃると思います。実は、俺王様はトリを飾る人物として、スター列伝の最終回で取り上げようと思っていたのです。締めとしては最適じゃないですか。まさか終わりを迎える前に腐敗することになるとは自分でも思ってなかったのですよ。で、この先もいつまた腐敗するかわかったモンじゃないので、ここいらあたりでご登場願おうと思った次第です。

 「俺王様」こと本名ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラーデは、1973年12月15日サンパウロ生まれ。1992年にアトレチコ・パラナエンセでプロ生活をスタート、1998年にウニオン・バルバレンセから当時旧JFLだった大分トリニータに加入しました。当時大分の指揮を執っていたのが現在札幌の監督を務める石崎信弘監督でしたが、以後、2000年までの3シーズンの間、カップ戦、天皇杯含む95試合出場で50ゴールという驚異的な成績を記録。正確無比なキック、類い希なるキープ力、屈強なフィジカルを誇り得点を量産する一方、気性の荒さによるカードの多さ、すがすがしいまでの俺様っぷりから「俺王」の名がつけられました(名付け親は当時一世を風靡した「鳥日新聞」というサイト)。そんな「能力は高いが扱いにくい」ともっぱらの評判だったストライカーに目をつけたのが、2000年に圧倒的な成績でJ2優勝を果たしたものの、その原動力となったJ2得点王エメルソンに逃げられてしまったコンサドーレ札幌でした。
 すでにJ2チームのサポーターにはどんな選手か知れ渡っていたウィルでしたが、開幕前のキャンプでやっぱりウェイトオーバーで合流したり、戦術指導を「俺様のプレイに対する批判だと思っていた」という斜め上すぎる発言があったりする「らしい」話も聞こえてくる一方で、高所恐怖症が発覚したり、ウクレレが趣味だったりと、それまでの「怖い」イメージとはかけ離れたエピソードも伝わってきて、ウィルの実力に懐疑的だったサポーターもいつのまにか注目せざるを得ない状況に。
 そして迎えた開幕戦。セレッソ大阪とのアウェイゲームにおいて、1ゴール1アシスト1イエローという獅子奮迅の大活躍で勝利に貢献。続く高知でのホーム開幕戦(対柏レイソル)でも2ゴールを挙げ、まさかの開幕連勝に導きました。すでにこの時点で彼の実力に疑問を抱く者はいなくなったどころか、自ら「臣民」を名乗り絶対の忠誠を誓うサポーターも続出、「俺王」などと呼ぼうものなら「様をつけろよデコスケ野郎」とまで言い出すものすらいました(主にオレ)。そしてそんな臣民たちの存在に俺王様もたいそうご満悦で、札幌の街とサポーターをいたく気に入ったようです。そしてそんな中、伝説の「スーパー北斗21号事件」が起こりました。

 函館での初めての開催となった、ガンバ大阪との試合の後でした。函館を出発したスーパー北斗21号は、この試合のために札幌から遠征してきたコンサドーレサポーターをたくさん乗せて札幌へ向かっていました。FW播戸竜二(現セレッソ大阪)が挙げた虎の子のゴールを守りきって勝利した後だけに、サポーターはみな上機嫌。しかしその同じ列車には、チームから離れて別行動を取っていた俺王様ご一家も乗っていらしたのです。
 一説によれば函館のブラジル料理屋さんに行っていたと言われていますが、とにかく俺王様はお酒を召しておられたらしく、大層な上機嫌でサポーターの乗る車両に突然乱入。ひとしきり臣民との戯れをすべての車両で敢行したそうです。詳しくはこちらをご覧頂ければ、その様子がおわかりになると思います。
 この一件によって札幌サポーターはほぼ完全に臣民化。俺王様自身もそんな札幌のことをいたくお気に召したようで、忠誠を誓う臣民のために、ブラジル時代に使われていた応援歌を日本で初めて「解禁」。サポーターが渡されたそのデモテープ(?)を聴いてみたところ、歌っていたのはどう聞いても奥様の声だったそうです。ちなみに俺王様はほとんど日本語がしゃべれなかったようですが、奥様は練習場でサポーターとの世間話に興じることが出来るほど日本語が堪能でした。専用の応援歌を得た(というか与えた)俺王様は、その後も得点を量産。シーズン終盤の柏レイソル戦で受けた怪我のためフルシーズンの出場はならなかったにもかかわらず、最終的にJ1得点王となる24得点を叩き出し、2012年現在でわずか1度きりのJ1残留に大きく貢献しました。

 しかしそんな幸せな時間も長くは続きませんでした。J1最高レベルの能力を持つストライカーであることを証明した俺王様を他チームが放っておくなんてことがあるはずもないのですが、コンサドーレ札幌は大分からの期限付き移籍だった俺王様の去就をどうこうできる立場ではなかったこと、そして何よりも札幌に「J1得点王様」に見合うだけの給料を払えなかったことで、俺王様は翌年横浜Fマリノスへ移籍していきました。
 J1屈指の強豪チームへ移籍した俺王様ですが、しかし中村俊輔や奥大介といった日本代表クラスのスター選手を多く抱えるマリノスでは、札幌でのような王様扱いはチームからもサポーターからもしてもらえず、マリノスの練習場では、スター選手に群がるサポーターの横を、サインしてもらいたそうに歩く俺王様が幾度となく目撃されていたとも聞きます。1stステージこそ2位という好成績を挙げたものの、2ndステージになるとなかなか勝てなくなり、人一倍負けず嫌いな俺王様はフラストレーションがたまっていたのでしょう。10月27日の対ジュビロ磐田戦でちんたらプレイが目立っていた奥にブチ切れ、思い切り蹴り上げてしまいました。
 事態を重く見たらしいマリノスは直後に俺王様を解雇、リーグからも6試合の出場停止という厳しい処分が下されました。既に降格が決まっていた札幌はこのニュースを聞いてすぐさま俺王様の獲得打診をしたと言われておりますが、一連の事件を見てなお俺王様を使おうという奇特なチームは既になく、再び札幌でプレイすることになりました。もちろんオレも大歓喜。
 この年は俺王様のほかにも、ブラジル代表で10番をつけていたホベルッチや、同じくブラジル代表経験のあるベットらを獲得。ース山瀬功治が浦和レッズに移籍してしまったものの、他のレギュラークラスはもちろん新居辰基や今野泰幸ら有望な若手もそのまま残り、J1優勝経験を持つジョアン・カルロス監督の下、今でも史上最強とも言えるメンツを揃えて2003年シーズンに臨みました。
 ところが「キック奥事件」の出場停止が残されていた俺王様を欠いていた札幌は、なかなか守備が安定せずにセットプレイでの失点を繰り返し、スタートダッシュに失敗。それでも俺王様の出場停止が明けた第4節アルビレックス新潟戦、いわゆる「俺開幕」で勝利に貢献すると、続く大宮アルディージャ戦では起死回生の同点ゴールとなる復帰後初俺ゴールを決めます。臣民の眼前でゴールを決めた俺王様は、抱きつく平間を引きずったまま看板を超えて臣民たちに挨拶。サポーターからマフラーまでもらって大層ご満悦でした。カードはもらいましたけど(当時は看板を超えた時点でイエローだった)。そしてその翌節、ブラジルトリオが揃い踏みした室蘭でのアビスパ福岡戦ではハットトリックの大活躍で5-0の勝利に貢献。まさに俺時代の再来を予感させる大暴れでした。
 しかし、翌節のヴァンフォーレ甲府戦、荒れ放題の小瀬のピッチに足を取られたか、試合中に右足を痛めそのまま退場し、戦線を離脱。大黒柱を失った札幌はこの試合を含め3連敗を喫するなど再び低迷期に入ります。サポーターにはそれでも「俺王様が戻ってくればまだ戦える」という期待があったのですが…。俺王様は怪我で休んでいる間に深夜にススキノの飲み屋でトラブルを起こしてしまいます。詳しくは知らないのですがどうやら揉めた相手にちょっとヤバイ人たちがバックについていたらしく、コンサドーレはこのまま札幌に置いておくのはまずいと判断したのか、ほどなくして俺王様を解雇。形としてはアンドラジーニャと交換で大分に復帰となりましたが、復帰した大分では16試合で2ゴールと不甲斐ない成績に終わり、シーズン終了後に中国Cリーグの武漢に移籍。その後の活躍については記録が残っていないのでよくわかりませんが、アメリカFC(ブラジル)、アル・セイリヤ(カタール)、アトレチコ・カタラーノ(ブラジル)、アラピラケンセ(ブラジル)と渡り歩き、2008年シーズンを最後に現役を引退した模様です。

 ドリブル、シュート、プレースキック、ポストプレイ、ゴール嗅覚などいずれも高い技術を持っていた、札幌史上最高クラスのストライカーだったことは間違いないでしょう。いろんな意味で伝説の選手でした。

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2009年08月17日

【スター列伝】イバンチェビッチ

 突然思い出したように更新してみると何かあったのではないかと勘ぐられるのがこの別館。久しぶりの更新のスーパースター列伝は、選手ではなく監督にスポットを当ててみようかと思います。取り上げるのはラドミロ・イバンチェビッチ監督です。

 前年のJ1残留に大きく貢献した主力選手を何人も失ったチームを、S級ライセンスを取ったばかりで監督経験はおろかJリーグでのコーチ歴すらない新人監督の柱谷哲二監督に任せるという、これで勝てるほうが不思議というような陣容で戦った2002年、そんなギリギリのチームが大方の予想を覆して快進撃を重ねる、なんてマンガみたいな話が実際あるはずもなく、頼みの助っ人も大ハズレと来た日には全然勝てるはずもなく開幕から負けを重ね、「やっぱり監督は経験豊富な人じゃないとダメだよね」などと今更のように思ったのかどうかはわかりませんが、協会に無理を言ってまで就任させた柱谷監督を6月に解任した後、J1残留の命運を託すべくユーゴスラビア(当時)からやってきたのが、このイバンチェビッチ監督でした。
 過去いくつものチームを降格から救った「サルベージの名人」という触れ込みで、スペインのレアル・オビエドからやってきたイバンチェビッチ監督は、初めて見た時はセルビア人とは思えない下町のオッサン的な風貌に度肝を抜かれたものですが、その練習メニューの豊富さから、「千のメニューを持つ男」と言われており、「千の顔を持つ男」といえばミル・マスカラスであり、「千の風になって」といえば「おっと、ここは用心しなければならない」であり、「千と千尋の神隠し」といえばそのパヤオワールド全開っぷりに最後まで何が言いたいのかさっぱり理解できなかったのであり、「崖の上のポニョ」はPV見てあまりの声優陣のへたくそさに見る気を失ったわけですが、そしてそれらはイバンチェとは全然関係はなく、新たな監督のもとでわずかな望みに賭けての崖っぷちからの立て直しが始まりました。
 幸か不幸か、この年はワールドカップによるJリーグ中断期間があり、札幌のようにワールドカップの喧噪をよそに選手の誰1人も代表に送り込んでいない蚊帳の外チームにとっては、再び鍛え直すチャンスとなります。ただそれでも就任から1ヶ月足らずという時間は決して充分とは言えなかったはず。事実、御殿場で行われた臨時キャンプでのトレーニングマッチでは、当時J2だった川崎フロンターレにいいところなく破れる体たらくでした。これはどうにもならんかもなぁと思いつつ迎えたJリーグ再開後の最初の試合は、7月13日のヴィッセル神戸戦でした。この試合、トレーニングマッチとはうって変わってやたら強気なラインとアホみたいなプレッシングサッカーを繰り広げます。まるで生まれ変わったようなパフォーマンスを見せたこの試合で勝っておけば、もしかしたら歴史は変わっていたかもしれません。しかし札幌は攻めながらも1点を奪うことができず、逆にコーナーキックから土屋征夫に決められて敗戦。その後も運動量の求められるサッカーの代償なのか、いい試合は見せるのですが最後まで守りきれず、思うように勝ち点を上乗せできない試合が続きました。
 いくら「サルベージの名人」といえども限られた時間の中でできることはそう多くはありません。そんな中でJ1残留という使命を果たすためには、とにかくメンバーを固定してレギュラー組を鍛えることが最優先で、それでも結果が出ていればよかったのでしょうが、いよいよJ2降格が現実味を帯びてくると、チーム内外から「どうせ落ちるなら来季以降を見据えて若手を育成すべき」という声も囁かれるようになりました。当時サテライトリーグには参加していなかった札幌は、張外龍コーチに任せっきりだったサブ組に対してイバンチェビッチ監督とともに他クラブのサテライトチームとのテストマッチツアーを行うようになりましたが、それでも若手を使おうとはしないイバンチェビッチ監督への風当たりは次第に強くなってくるようになりました。まぁ素人ながらほとんどの試合を見た自分の目からも、「こいつは今すぐレギュラーで使うべき」と思えた選手は新居以外には(私情込みで)いなかったんですけどね。かといってレギュラー組の選手も大差ないと言えば大差なかったんですが。
 そして2002年9月15日、残留を争うライバルだったヴィッセル神戸とのホームゲームに1-2で敗戦した翌日、かの有名な「No Idea.」、早い話が「もうダメぽ」というセリフを残してイバンチェビッチ監督は辞任(クラブは解任と発表)。名人を以てしてもサルベージ不可能なほど深海に沈んでしまった札幌は、当時の史上最速記録で降格しました。

 さて、コンサドーレ札幌を退団してからのイバンチェの足取りですが、2004年までキプロス共和国のAEPパフォスFCの監督を務めた後、セルビア・モンテネグロのFKオビリッチの監督に就任。2006~2007年シーズンはマケドニアのFKマケドニアの、2007~2008年シーズンにセルビアのFKスメデレヴォの監督を務め、2008年にはクウェートのアルクウェートで指揮を執っていたようです。2009年現在どこで何をしているのかは不明ですが、FKマケドニアの公式サイトの英語ページはなぜかイバンチェ時代で時が止まっているらしく、コーチングスタッフ紹介ページやフォトギャラリーなどで、その懐かしい姿を目にすることができます。

http://www.fcmakedonija.com.mk/en/

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2009年05月25日

全盛期のイチローなら…のガイドライン

-元ネタ-

<全盛期のイチロー伝説>
・3打数5安打は当たり前、3打数8安打も
・先頭打者満塁ホームランを頻発
・イチローにとってのホームランは内野安打の打ちそこない
・先頭打者サイクルヒットも日常茶飯
・9回裏100点差、チームメイト全員負傷の状況から1人で逆転
・ワンバウンドも余裕でヒット
・一回のスイングでバットが三本に見える
・バントでホームランが特技
・打席に立つだけで相手投手が泣いて謝った、心臓発作を起こす投手も
・ホームランでも納得いかなければサードベース踏まないで帰ってきてた
・あまりに打ちすぎるから牽制球でもストライク扱い
・その牽制球もヒット
・ピッチャーを一睨みしただけでボールが二遊間に飛んでいく
・試合の無い移動日でも2安打
・バット使わずに手で打ってたことも
・自分のホームランボールを自分でキャッチしてレーザービームで投げ返す
・内野ランニングホームランなんてザラ、2周することも
・一塁でアウトになってからベンチに帰る方が早かった
・ウェイティングサークルでヒット打った
・打球キャッチしようとしたピッチャーと、それを受け止めようとしたセカンド、ショート、センターの選手ともどもスタンドインさせた
・観客の韓国人のヤジに流暢な韓国語で反論しながら背面キャッチ
・グッとガッツポーズしただけで5点くらい入った
・スイングでハリケーンが起きたことは有名
・湾岸戦争が始まったきっかけはイチローの場外ホームラン
・ライトの深い位置から三塁線のスクイズも処理してた
・ボーリングの球を楽々ホームランにしてた
・自分の打球に飛び乗ってスタンドまで行くというファンサービス
・イチローは、いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める少年にグローブを買ってあげたことがある

-ここからネタ-

<全盛期のコンサドーレ札幌伝説>
・1試合3失点は当たり前、4試合連続3失点も
・開始早々失点を頻発
・コンサドーレにとってのJ2優勝は入れ替え戦進出のしそこない
・キックオフパスミスも日常茶飯
・2-1で試合時間残りわずか、サポーター全員勝利確信の状況から4分で3失点
・数的優位でも余裕で失点
・相手の一回のフェイントでDFが三人引っかかる
・直接フリーキックで壁当てが特技
・就任を打診するだけで監督候補が泣いて謝った、着信拒否を決め込む監督候補も
・五輪代表候補選出でも納得いかなければ1人だけ試合に出ないで帰ってきてた
・あまりにしょぼすぎるからリーグ戦14位でも参入戦扱い
・その参入戦も全敗
・相手選手を少し触っただけで助っ人ボランチがピッチの外へ飛んでいく
・プレッシャーの無いどフリーでも枠外
・FW使わずにMFだけ並べてたことも
・自分のパスミスを自分で取り返してレーザービームで相手にパス
・助っ人がシーズン途中退団なんてザラ、開幕前に帰ることも
・点を取ってから取り返される方が早かった
・センターサークルからゴールを決められた
・クロスボールをキャッチしようとしたゴールキーパーと、それをクリアしようとしたボランチ、サイドバック、センターバックの選手ともどもミスしてゴールインさせた
・スタンドのサポーターのヤジに難解な哲学用語で禅問答しながら臨時ゴールキーパー
・グッとクロスボールを上げただけで獲得を心底後悔させた
・ロシアリーグ得点王が詐称だったことは有名
・チーム迷走が始まったきっかけはアルシンドのバカ15連発
・敵陣の深い位置からの何気ないロングボールでも失点してた
・サルベージの名人を楽々「No Idea.」にしてた
・自分のミスで失点してスタンドを睨むというファンサービス
・コンサドーレは、いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める少年に一口株主の申込書をあげたことがある

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2007年03月24日

青いルビー

 ルビーとサファイアはコランダムという同じ石で、つまりコランダムで赤いものをルビーといい青いものをサファイアというのであり、ルビーが青けりゃそれはサファイアと言うんだ、とパタリロが言ってました。

 さて、今日は全くとりとめのない話をします。

 昔の人は見事なことを言ったもので、暑さ寒さも彼岸までという言葉通り、つい先日まで妙に寒かった東京もお彼岸を過ぎたら途端に暖かくなりました。今年はついぞ雪らしい雪が降ることはありませんでした。太平洋側に位置する東京ではもともとあまり雪が降ることは多くないものの、それでも年に何度かは雪が降って、北海道ならなんもたいしたことない程度の雪で交通機関がマヒして妙にいらつくわけですけど、聞くところによれば統計が残る1876年以降東京で雪が降らなかったことはただの一度もないらしく、観測史上初めてとのこと。
 この時期、東京ではぽつぽつと桜も開花しているところも出始め、それは舞い散る桜のように…おっと札幌ではほとんど見ることのできないソメイヨシノの美しさを見ることのできるこの季節は一年で一番好きな季節です。北海道ではまだまだ雪が残っていて、その雪も車の排気ガスと雪解けの泥で汚くなってしまいますし、道路も雪融け水でぐちゃぐちゃになってしまいますし、スパイクタイヤが規制される前はスパイクで削り取られた粉塵で雪はもちろん空気も汚れてしまうので、この時期は北海道でもっとも汚い季節ではあるのですけど、長い間街を覆っていた雪が融けて、土の匂いと共に雪の間からふきのとうが生えているのを見つけたり、ツクシが顔を出しているのを見ると、もうすぐ春ですね、なんて思えてちょっと気取ってみたりみなかったりしたことを思い起こすにつけ、東京に出てきてもう16年目、気がつけばハタチとなった今でも北海道の春も好きです。
 自分がガキの頃は実家のある西岡なんてホント空き地ばかりで何にもなく、一番有名だったのがマジもんのお化け屋敷だったくらいで(今でも空き地なんですよね…)、それこそ春の足音を少しずつ感じられるような環境でした。あまりにも何にもないため、中学時代に塾で「西岡帝国の酋長」なんてあだ名を付けられたりもしましたけど元気かクボッキー。今では自分の実家の周りもすっかり住宅地になってしまい、ふきのとうだのツクシだのもどじょっこだのふなっこだのもたぶんほとんど見られなくなっているんじゃないかと思いますけど、それでも雪国の人たちは冬が長く厳しいぶんだけ春を待ちこがれる思いは雪の降らない地域の人たちよりも強く、それこそこれだけ待ちこがれられたら春も本望だろうよってくらいみんな「みいちゃん状態」なんじゃないかと思います。そう考えると、札幌ドームができてからはこの時期でも札幌で試合ができるとはいえ、ホームのサポーターが「厚別開幕」に特別な思いを持っているのもわかるような気がします。

 ちなみに、西岡に引っ越してきたのがオレが4歳の時。その前は平岸の高台公園の側に住んでいました。小さかったので当時のことはそんなに憶えていないのですが、よく高台公園で遊んだ記憶があります。今では「水曜どうでしょう」ファンの聖地となり、内地から巡礼に来る人が後を絶たないそうですね。当時のあの周辺もそれこそHTB以外何にもなかったですけど、この間30年ぶりに周辺を訪れてみたらえらい変わっててびっくりしました。ハタチですけど。

posted by choo |01:20 | 雑記 | コメント(1) | トラックバック(1)

2007年03月17日

更新再開宣言

 いつのまにやらこのブログもすっかり腐敗してしまいました。だいたい最近はなんやかやと忙しくて本家のほうもあまり更新が出来ないくらいなので、こっちまで手が回らず、気がつけば前回の更新が去年の5月だったりするわけですが、そろそろ更新しないとなと思い始めています。

 と言うのもこのオフィシャルブログの主たる目的は、「サポーターに好き勝手に書かせてそれをニヤニヤ眺める」なんてことはもちろんなく、広告収入を得ることです。一口に広告収入といってもいろいろありますし、ここの収益モデルがどうなっているか詳しいところは知りませんけど、おそらくは貼られている広告のほとんどはAmazonのアソシエイトプログラムに代表されるアフィリエイトプログラム(成功報酬型広告)と思われます。詳しい説明は省きますが、要するにサイト経由で商品が売れた場合にそのサイト運営者に一定の料率でコミッションが入るというものですね。料率は広告主によって変わりますが、Amazonアソシエイトプログラムの紹介料の場合、購入された商品の数量によって料率が3.00%(商品数1~10)から7.00%(7,001以上)まで増える仕組みとなっています。たとえばサイト経由で3,000円のCDが1枚売れたら報酬は90円。14年前でもぬくもりすら買えない金額ですが、それを7,001枚以上売ればその金額は約147万円と、クイズハンターで優勝するよりすごい金額になります。まぁこの例はあまり現実的な数字ではないですけど、つまりは出来るだけたくさんの人に見てもらい、出来るだけたくさんの人にものを買ってもらえば、よりクラブにお金が入るというわけです。結局何が言いたいかというと、まぁ長いこと放置しておいて今更なんだという声も聞こえてきそうですが、こんなブログでも集客に多少なりとも貢献が出来るかもしれないので、あまり腐らせたまま放置するのはよそうと思ったのです。もう一つ、ここもそれなりに更新できそうな状況になったという理由もありますが、その理由については来週くらいに皆さんにも明らかになるでしょう。
 で、このオフィシャルブログの運営はJリーグチームであるコンサドーレ札幌を運営している(株)北海道フットボールクラブが行っている関係で、なかなかコンサドーレやサッカーの話題以外はそぐわなさそうなイメージがありますが、サッカーの話題はどうしても本家のほうが中心にならざるを得ません。スーパースター列伝ではまだ書きたい選手もいますんで、そっちもおいおい書いていこうと思いますけど(俺王様もまだ書いてないですしね)、ここの性格上ブログを各人も読む人もコンサドーレのサポーターが中心ですので、むしろ別の全く無関係な話題を書いたほうが新規のお客さんも来るのではないかと無理矢理理屈をつけて、敢えてサッカーやコンサドーレの話題から離れたものを書いて行こうと思います。ご大層なこと書いてまた腐敗させたら笑いものですけど。

 というわけで、今回はせっかくAmazonのことに触れたのでもう少しこのアソシエイトプログラムについて書きます。先ほど書いたことと若干重複しますが、このAmazonアソシエイトプログラムとは、ホームページに貼られたリンクバナーを通じてAmazonに入り、そこで商品を購入するとリンクを張ったサイトの運営者に一定の割合で報酬が入る仕組みです。先日のサポーター集会でもちょっと話があったそうですが、このアソシエイトプログラムの収益はそこそこあるようですので、普段Amazonをよく使う人はオフィシャルブログ経由で買い物をすれば、さらにチームに貢献できるわけですね。また、バナーで掲載された商品そのものじゃなく、そこから別のものを買ったとしても報酬が入ります。具体的にはここのオフィシャルブログ上にバナーとして貼られている商品の中に欲しいと思ったものがなくても、そこに表示されている適当な商品からAmazonに飛べばまったく違う商品を買ってもクラブにお金が入ります。この辺の詳しいやり方は事務局のブログに詳しく書いてますけど、要は「ロナウジーニョのフィギュアはほしくないけれど、今度発売されるMAX FACTORYの長門有希フィギュアはほしい!」というダメ人間でも大丈夫ということです(瞬殺だったけどさ)。

 ただここでひとつ問題なのが、最短手順なら「Amazonに行く→商品を探す→カートに入れる→購入」というステップで済むのが、この方式だと「オフィシャルブログに行く→セレクトショップに行く→適当にバナーをクリックしてAmazonにいく」と手順が増えることですね。直接セレクトショップに行けば若干手間は減りますが、それでも自分のようなものぐさな人にはこの少しの手間すらめんどくさいのです。さらにもう一つ問題として、オフィシャルブログがダウンしている場合はこの方法が使えないということです。サーバのリブートくらいの時間ならともかく、先日の緊急メンテナンス時のように数日間止まってしまうと、その間買い物が出来なくなります。まぁどうしてもすぐ買いたい商品があるならば直接Amazonに行って買えばいいんですけど、塵も積もれば山田オルタナティブとも言いますし、どうせなら円だろうがドルだろうがゲイツポイントだろうが少しでもクラブにお金が入るようにしたいというのがサポーター心理です。
 というわけで、その辺を一気に解決する方法をご紹介しようというのが今回のエントリの目的。イヤ散々長い前置きの割には別にそんな大した手法でもなくて、早い話が「情報ごとブックマーク化してしまおう」というものです。ブックマーク、Internet Explorerでは"お気に入り")化すればわざわざオフィシャルブログを経由してAmazonに入らなくてもいいですし、当然オフィシャルブログが生きてようが死んでようが関係ありません。
 やり方は簡単、以下のURIをコピーして既にあるAmazonのブックマークのリンク先を上書きするか、もしくはブラウザのアドレスバーに貼り付けるとAmazonのトップページが表示されますので、そこで[Ctrl]+[D]キーを押してブックマークに新しく作成するだけです。以後は変更または作成したブックマークから入って買い物をすればOKというわけ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect-home?tag=consadolenet-22&site=amazon

 これは実はOperaというフリーのWebブラウザで使われているものでして、Operaをインストールするとデフォルトで入っているAmazonのブックマークがOperaのアフィリエイトになっているんですね。つまりOperaを使っていてそのブックマークからAmazonで買い物をした人は、知らないうちにOperaへ寄付を行っているというわけなんですが、それをオフィシャルブログ用にちょちょいと変えたのが上のURI。これならめんどくさがり屋のあなたにも安心ですし、めんどくさがらない人にももちろん安心。オフィシャルブログがダウンしていてもその間収益がまったくなくなることもなくHFCも安心、買い物目的のみのトラフィックや負荷が減れば管理しているWEBOSSさんも安心…するほどの違いはないか。

 まぁ以上の通りやり方は簡単ですので、皆さんも是非お使いのブラウザのブックマークを変えて、KanonのDVDとかKOTOKOのCDなんかを買いまくってください。全然怪しくないよ。

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2006年05月18日

ヨハネスブルグのガイドライン

-元ネタ-

<死にたい人にお薦めの危険な街・ヨハネスブルグのガイドライン>
 ・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた。
 ・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた。
 ・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた。
 ・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた。
 ・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する。
 ・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた。
 ・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
 ・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった。
 ・女性の1/3がレイプ経験者。
  しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から「赤子ほど危ない」。
 ・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた。
 ・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が
  靴と服を盗まれ下着で戻ってきた。
 ・最近流行っている犯罪は「石強盗」 石を手に持って旅行者に殴りかかるから。
 ・中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。
  一度襲われてまた襲われる確率が50%の意味。
 ・ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人、うち約20人が外国人旅行者。

-ここからネタ-

<悶えたい人にお薦めの面白チーム・コンサドーレ札幌のガイドライン>
 ・長期計画の3年目なら大丈夫だろうと思っていたら主力抜きの柏に屠られた。
 ・キックオフからわずか1分の時点で清野が試合から消えていた。
 ・芳賀がフリーとなったのでシュートを打ってみるとポストに当たっていた。
 ・キャプテンマークをしたボランチが襲撃され、気がついたら肩を外されていた。
 ・ドリブルで相手に突っ込んで倒れた、というか押し倒した後から右ストレートとかをぶち込む。
 ・左サイドを森脇に突破され、和波も「曽田も」まとめて抜かれた。
 ・ロスタイムから試合終了までの4分の間に3点取られた。
 ・パスを回していれば安全だろうと思ったら、パスの相手が全員敵だった。
 ・J2の1/2が札幌戦で勝利済。
  しかも札幌が連敗が止めるというジンクスから「下位ほど危ない」。
 ・「そんなザルなわけがない」といってやってきた朴康造が90分後ハットトリックを決めて戻ってきた。
 ・「守りを固めれば負けることはない」と一人で攻撃に行ったアンデルソンが
  ハットトリックを決めて戻ってきた。
 ・最近流行っている失点は「虹の架け橋」 ループシュートの弾道が虹のようだから。
 ・自ゴールから半径20mはミスの出る確率が150%。
  誰かがミスしてまた別の人がミスする確率が50%の意味。
 ・コンサドーレにおけるアクションサッカーによるシュート数は1試合平均15本、うち約14本がハズレ。

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2006年05月09日

林日記

【 7:12】相川の笑い声で起床。まだ眠い。アゴを磨く。洗顔料減りすぎ。ヒゲは剃らない。
【 7:22】朝食のかわりにケロッグ1箱を平らげる。食い過ぎた。イヤになる。
     「トレーニングに行っておいで」清野の言葉だ。うるさいんだよ。つーかお前も行くんだよ。
     「気を付けて!」うるせぇんだよこの相川が。だからお前も来いよ。
【 7:35】ダルいトレーニング出発。庭ではうるせぇ加賀犬がわめいている殺すぞ。
【 7:43】「助けて~!」もんじゃが叫んでいる。俺にどうしろっていうんだよ。
【 7:50】もんじゃ救出。相川に自分の弁当を食べられたらしい。うだつの上がらない奴だ。
【 8:03】今日は曇りだ。気分が盛り上がらない。早く帰ってDVD見たい。
【 8:46】相川がニヤニヤしている。
【 9:30】早朝トレーニング終了。
【 9:40】帰宅。
【 9:45】お腹がすいた。男は黙ってほうれん草を食う。また食い過ぎた。
【10:11】みんなで談笑。相川の笑い声にみんながいらつく。
【11:20】池内登場。
【11:22】「よ~く来たな、林!」 相変わらず元気な奴だ。
     「とめろ~!マークを離すな!」
     本当はどうでもいい。もんじゃ早くこい。
【11:40】フッキに襲われる。ヤバイ。アゴが汚れて力が出ない。
【11:42】「林~大丈夫~!」相川だ。タイミングが良すぎる。どこから見ていたんだ?
【11:43】「新しいアゴよ~!」さようなら、アゴ127号、こんにちはアゴ128号。
     相川がニヤニヤしている。
【11:45】「いくぞ~!シャイニ~ングウィザ~ド!!」ただのレッグラリアートだ。
     「もう二度と退場しない…!」このセリフには飽き飽きしている。
【11:49】練習終了。「お疲れ~」格好だけ言ってみる。そんなに疲れてない。
【11:53】もんじゃが来た。「林!助けに来たよ!」遅すぎる。帰れ。うだつの上がらない奴だ。
【12:30】帰宅。しまふく寮で加賀犬が靴下すべりをしていた。
     相川がニヤニヤしてこっちを見ている。
     いやがらせか?殺すか?
【12:42】昼食のかわりにやっぱりケロッグ1箱を食べる。俺を何人だと思ってるんだ。
【13:12】「トレーニングに行っておいで」清野の言葉だ。もうかよ。早えんだよ。
     いいからお前も来いよ。
【13:35】またもやダルいトレーニング出発。
     昼飯を平らげた加賀犬が、ソファーですやすや眠ってやがる。蹴ったろか。
【13:50】曽田と合流。俺達はどうも女子に人気がない気がする。
【14:01】もんじゃがまた叫んでる。相川にまた弁当を食われたらしい。
     相川はもんじゃに恨みでもあんのか?
【14:43】雨が降ってきた。守りにくいことこの上ないが、どっちみちこんな守備陣で無失点なんか無理だ。
【15:05】やはり相川がニヤニヤしている。
【15:30】みんなで守備確認。曽田が外れて千葉が入りやがった。物好きな道民だな。
【15:50】真ん中には池内が再び登場。お前らどっちも要らねぇよ。
【16:02】池内が清野に抜かれやがった。
     「止めろ!清野を離すな!」別にほっといてもシュート入らんけどな。あれ?もんじゃは?
【16:10】フッキに襲われる。ヤバイ。アゴが汚れて力が出ない。
【16:32】「林~大丈夫~!」相川だ。いつの間にどこへ逃げてやがったんだ。
【16:33】「新しいアゴよ~!」さようなら、アゴ128号、こんにちはアゴ129号。
【16:35】「いくぞ~!シャイニ~ングウィザ~ド!!」やっぱただのレッグラリアート。
     「もう二度と退場しない…!」あと1枚でまた出場停止でやんの。
     お前のポテンシャル、ゴールに活かせよ。
【16:39】練習終了。たまには得点取りたい。
【17:53】もんじゃが来た。「林!助けに来たよ!」遅い。遅すぎる。うだつ(略
【18:30】晩飯。自炊しようと思ったら、家にラーメンしかなかった。俺は小池さんじゃねえよ。
【19:45】風呂に入る。アゴを念入りに磨く。
【20:30】清野や相川と談笑。眠みいよ。
【21:00】就寝。明日もまた同じ一日だ。

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2006年04月28日

ワールドカップ開幕間近

 なんだかんだ言って子育てに忙しいのもあって、気がつけばこの別館もすっかり放置してしまいました。たまには更新しないと腐敗ブログの栄誉をいただいてしまいますので、久しぶりに更新しようと思います。スーパースター列伝もいろいろとネタはまだあるのですが、とりあえず今日はコンサドーレの話題からちょっと離れてみようと思います。

 今年の我々の注目といえば、当然のことながらコンサドーレがJ1昇格できるかどうかということですが、世間的にはやっぱり今年6月に行われるドイツワールドカップでしょう。ワールドカップといえば今更説明の必要はないとは思いますが、4年に一度行われる、単一の競技としては世界最大のサッカーの国際大会です。普段はサッカーにあまり興味がないような人も優勝国当ての賭けに参加したり、とりあえずカズくらいしか知らないけど何となく日本を応援してみたり、「やっぱジーコってフラットスリーだよな!」とかいい加減なことを言われて鵜呑みにしてしまったり、「Wカップってどんだけ大きい乳なんだよ!」などと言わんでもいいことを言ってドン引きされたりする人も続出するわけですが、とにかくサッカーというスポーツががもっとも注目を浴び、人気の出る時期がこのワールドカップの開催年です。
 そんな世の中の流れに合わせるべく、どこの業界もこの「ワールドカップ景気」にあやかろうとします。大会のスポンサーとなり「応援キャンペーン」として関連グッズを販促に使用する企業はもちろん、家電メーカーも大画面・高画質のテレビやハイビジョンも録画できるHDDレコーダなどの新製品を我先にと投入しますし、旅行会社も現地への応援ツアーを次々と企画したりしています。また、そういったワールドカップに関連するものだけでなく、サッカーそのものの人気を狙った「商品」が溢れるのもこの時期です。今週号の週刊少年サンデーと週刊少年マガジンでは、新連載としてサッカーマンガがスタートしました。

 サンデーの「GOLDEN★AGE」は架空のJ1チーム「茅ヶ崎シーサーペンツ」のジュニアユースチームに所属する天才的なサッカーセンスを持つ中学生の少年が主人公。神奈川県茅ヶ崎市をホームタウンとする割には、ホームスタジアムはどう見ても仙台スタジアムでした。方やマガジンのほうは「エリアの騎士」という、タイトルだけ見ればサッカーマンガというよりは勧善懲悪バトル系としか思えないマンガですが、こちらは天才的な技術を持つ兄の陰で、やはり天性の才能がありながらもサッカー部でマネージャーに甘んじている弟が主人公。物語はその兄が中心選手として名を連ねるU-15日本代表が、兄の活躍でブラジルのU-15代表と引き分けるというシーンから始まりますが、いくらブラジルが相手とはいえ、U-15の試合でスタジアムが満員になることはないと思います。
 というわけで「GOLDEN★AGE」が60ページ、「エリアの騎士」が87ページと気合充分。通常の新連載が長くても40ページくらいであることを考えればかなりの力の入れようではありますが、実はサッカーというスポーツは、マンガの題材としてはあまりいいものではないんですよね。マンガのような絵だと試合そのものの魅力が伝わりにくいですし、プレイのすごさもわかりにくいというのがその理由です。たとえば野球ならば、チームスポーツではあっても基本的には「ピッチャー対バッター」という個人の対決の図式が成り立ちますし、その対決も「150kmの剛速球で三振に仕留めるピッチャー」とか「その150kmの球をスタンドにぶち込むバッター」とか、割とすごさを伝えやすい上にその対決の結果をわかりやすく描写することも出来ますし、バスケットボールなんかでも、ゴールシーンが多いので割と試合そのものを盛り上がらせることはできますし、プレイのすごさなども比較的伝えやすいのです(それでも「SLAM DUNK」が成功するまでは、「バスケマンガは少年誌ではタブー」とまで言われていた)が、サッカーの場合はなかなかそういうわけにも行きません。まぁこの辺は「見せ方」の問題、つまり作者の技量にも関係があるんでしょうけど、サッカーの場合は盛り上げようとすると、特にわかりやすさが求められる少年誌の場合は、どうしても試合よりも登場人物に極限までスポットを当てた描写しかできなくなります。事実、過去成功したと言われる少年誌におけるサッカーマンガは、「キャプテン翼(ジャンプ:高橋陽一)」や「シュート!(マガジン:大島司)」のように、野球で言えば「アストロ球団」なトンデモ超人系のマンガばかりです。サンデーの「ファンタジスタ(草場道輝)」も連載開始当初こそ常識の範囲内だったように思いますが、主人公がイタリアに行く辺りからだいぶ超人化が加速していました。例外と言えるのは塀内夏子の「オフサイド」や「Jドリーム」(ともにマガジン)くらいでしょうか。「オフサイド」の主人公はゴールキーパーからフォワードに転向するなど、割と無茶もしてますけどね。

 まぁそんなわけで両誌の新連載、どちらも主人公はスゴい才能を持つ天才少年ということで、どちらかといえば登場人物に焦点を当てたものでしょうが、いずれも連載第一回目の時点で打ち切り臭がプンプンするのが気になるところです。せめて小学生が走るトラックの下を通すシュートを打ったり、中学生のシュートで芝が焦げたりするくらいのハジケっぷりを見せてほしいものですが、中途半端な超人系マンガは突き抜ける運命にあるというのは、特にマガジンは「クラック!!」でつい最近思い知ったと思うんですが…。

 ということで、ここから次はサッカーゲームの話でもしようと思ったのですが、マンガの話でつい盛り上がってしまったので、その話はまた次回にでも。

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2006年03月01日

【スター列伝】播戸竜二

 現在Jリーグの各クラブでレギュラークラスとして活躍しているプロ選手というのは、そのほとんどが過去何人もJリーガーを輩出しているような名門校の出身か、あるいはJリーグのクラブユースの出身の、いわゆるサッカーエリートたちです(超人でいえばロビンマスク)。トレセン制度やスカウト網が発達した昨今では、プロで通用するような選手が無名のまま埋もれているということはほとんどなくなったと言っていいかもしれません。しかしそんな中でも高校時代まで全国的に全く無名でありながら、プロになって活躍したという選手はごくわずかながらいます(超人でいえばジェロニモ)。代表例としては、今の札幌サポーターにとっては文句なしに上里一将なのでしょうが、筆頭格とも言えば今回取り上げる播戸竜二ではないでしょうか。

 1979年8月2日、兵庫県姫路市の生まれ。香寺町立香寺中学校から姫路市立琴丘高校に進みましたが、高校時代は国体選抜の経験がある程度で全国的には無名の存在でした。1998年にガンバ大阪へ入団しましたが、入団とは言っても給料はほとんど出ない練習生契約で、実家のある姫路から毎日2時間半かけて練習に通っていたそうです。プロ契約の条件は「2試合に出場すること」。当時のガンバにはエムボマや松波正信、小島宏美らがおり、FWの選手層は決して薄いものではありませんでしたが、数少ないチャンスをつかんでこの条件をクリアしプロ契約を勝ち取った播戸は、持ち前のスピードと溢れんばかりの闘争心を生かしてこの年13試合に出場し2得点。翌1999年にはユース代表にも選出され、ナイジェリアでのワールドユース準優勝に貢献。所属チームでも途中出場が多かったものの25試合に出場して1得点を挙げ、この年のオフにガンバ大阪に移籍した吉原宏太との「交換レンタル」という形で2000年にコンサドーレ札幌に移籍してきました。
 ワールドユース準優勝メンバーとはいえ、高原直泰、永井雄一郎、小野伸二、稲本潤一、小笠原満男、本山雅志ら錚々たるメンバーが並ぶ中、スーパーサブとしての出場が多く本大会で無得点に終わっていた播戸の知名度は決して高いものではなく、むしろ「そんな人いたっけ?」的な扱いで、同じ年に加入したエメルソン同様、必ずしも大きな期待を持って迎え入れられたわけではありませんでした。その上、やってきた経緯に加えて、吉原とは似たような背格好でプレイの特徴も似ており、さらにガンバでつけていた番号も同じ18番だったため、どうしても吉原と比較されてしまうのは仕方がない話で、前のシーズンにJ2で15得点を挙げた得点源と同時に人気No.1選手だった吉原の穴を埋められるかどうかという見方が強かったように思います。
 しかし、札幌にやってきた播戸竜二はその予想をいいほうに裏切ります。サガン鳥栖との開幕戦で先制点を叩き込み、サポーターに向けて最高のアピールを見せました。ところが、この名刺代わりの一発も束の間、この試合で相手DFのタックルを受けて腰椎横突起骨折という重傷を負ってしまい早々に離脱を余儀なくされます。奥ゆかしく名刺だけ置いていった播戸が戦列に復帰したのは5月のサガン鳥栖戦。まるまる1クールを棒に振る格好となってしまいました。しかし復帰3戦目のアルビレックス新潟戦で決勝ゴールを叩き込むと、その後も持ち前のスピードとどんなボールにも食らいついていく執着心を武器にコンスタントにゴールを挙げ続け、エメルソンとの「すばしっこいちびっ子2トップ」は他のJ2チームの脅威となりました。この年の播戸の成績はシーズン合計で32試合出場16ゴール。エメルソンの34試合31ゴールという異常な成績に隠れてしまったのは不幸でしたが、前年の吉原と比べても全く遜色ない数字を残しました。また、人気面においても端正な顔立ちの吉原とは系統が違うながらも、やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような、人当たりがいいわけではないけどどこか憎めないキャラクターで、地元出身の期待株だったルーキー山瀬功治(現横浜F・マリノス)を凌いでチーム一の人気を集めるようになっていきました。
 というわけで期待以上の働きを見せた播戸ですが、ネックだったのは他の主力選手同様彼もまたレンタル選手だったこと。レンタル依存体質からの脱却は急務であり、幸か不幸かエメルソンの完全移籍に失敗したチームには、まだそのための資金が3億円近く残されていました。サポーターからも播戸の完全移籍を望む声が圧倒的でしたし、ガンバへレンタル移籍中だった吉原宏太が4000万円で完全移籍となることが決定的とされておりましたので、当然その吉原と交換でレンタルされていた播戸の完全移籍は確実だろうと思われていました。ところが結末は、吉原が完全移籍し播戸はレンタル延長。本人が完全移籍を拒否したのかそれともチームの事情なのかはわかりませんが、いずれにしても播戸は2001年もレンタルのままプレイすることになりました。

 J1での播戸は相方がエメルソンからウィルに替わったものの、開幕戦から息の合ったコンビネーションを見せ、開幕戦の決勝ゴールやホーム開幕戦でのヴェルディ戦でのゴール、古巣ガンバ大阪戦での決勝ゴールなど重要なゴールを次々と挙げ、大量失点を喰らった清水戦ではチーム全体の気持ちがキレてしまっていた中、1人だけ気を吐いて意地のゴールを決めるなど、勝負強さに加えて負けん気の強さも発揮。また、「無名の苦労人のサクセスストーリー」という少年マンガさながらのサッカー人生が実際マンガになったり(「播戸竜二物語・少年サンデースーパー2001年12月号掲載)、コンサドーレの選手として初めて自身の公式サイトを開設して情報発信したりと、徐々に北海道以外にもその存在感をアッピールしていきました。
 ところがシーズンも終盤になると、そのパフォーマンスは目に見えて落ちていきます。J1残留という目標がほぼ見えてきた頃はチーム全体に倦怠感が漂っており、特別に播戸だけが悪かったというわけではないのですけど、持ち味である裏への飛び出しはすっかり影を潜め、足元でボールを欲しがって何度もボールを奪われるシーンが多く見られるようになりました。今にして思えば、彼は彼なりに「ただ速いだけのストライカー」からの脱却を目指し、プレイの幅を広げようと必死だったのかもしれません。しかし、(少なくともこの時期は)スピードを忘れた播戸なんてベアークローのないウォーズマンみたいなモンです。1stステージでは6得点を挙げながらも、10月17日のサンフレッチェ広島戦の2ゴールを最後にゴールはぱったりとなくなり、2ndステージではわずかに3得点。もっとも、チーム全体でもそれ以降は6試合で2点しか取れなかったのですけど。結局この年はシーズン通算で29試合9得点という成績でした。
 そしてこの年のオフ、当然のようにレンタル選手であった播戸の去就が注目されますが、結局サポーターの慰留も虚しく生まれ故郷である兵庫県のヴィッセル神戸にレンタル移籍。今にして思えば沈む船から逃げるネズミみたいなものだったのかも知れません。彼がもし残っていれば、翌年は…やっぱり降格していただろうな。
 その後2003年に神戸に完全移籍を果たし、2004年には名古屋のマルケスと並んでJ1得点ランキング3位となる17ゴールを挙げ、シーズン通算では32試合で20ゴールという大活躍を見せました。ちなみにこの年の得点王はエメルソン(浦和・27ゴール)、2位に大黒将志(ガンバ・20ゴール)。得点ランキングトップ3を元札幌選手が占めるという、逃した魚は大きいシーズンでした。しかし昨年は怪我もあってあまり試合に出られず、2得点に終わりチームもJ2降格。今年からガンバ大阪に完全移籍し、7シーズンぶりに古巣でプレイすることになっています。

 公称171cm65kgと決して恵まれているとは言えない身体で、サッカー選手としては裏街道を通りながらも日本有数のストライカーに上り詰めたのも、「火の玉小僧」と呼ばれた負けん気の強さがあってこそでしょう。ルーキー時代に、紅白戦で危険なファウルをしてきたダンブリーに右ストレートを食らわしたという逸話も残っていますが、そんな播戸も気がつけば今年で27歳。実はソダンと1歳しか違わないという事実が意外に感じられる辺り、播戸竜二という選手はやっぱりこの先も「永遠の小僧」で有り続けるのかも知れません。


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