2007年03月24日
青いルビー
ルビーとサファイアはコランダムという同じ石で、つまりコランダムで赤いものをルビーといい青いものをサファイアというのであり、ルビーが青けりゃそれはサファイアと言うんだ、とパタリロが言ってました。
さて、今日は全くとりとめのない話をします。
昔の人は見事なことを言ったもので、暑さ寒さも彼岸までという言葉通り、つい先日まで妙に寒かった東京もお彼岸を過ぎたら途端に暖かくなりました。今年はついぞ雪らしい雪が降ることはありませんでした。太平洋側に位置する東京ではもともとあまり雪が降ることは多くないものの、それでも年に何度かは雪が降って、北海道ならなんもたいしたことない程度の雪で交通機関がマヒして妙にいらつくわけですけど、聞くところによれば統計が残る1876年以降東京で雪が降らなかったことはただの一度もないらしく、観測史上初めてとのこと。
この時期、東京ではぽつぽつと桜も開花しているところも出始め、それは舞い散る桜のように…おっと札幌ではほとんど見ることのできないソメイヨシノの美しさを見ることのできるこの季節は一年で一番好きな季節です。北海道ではまだまだ雪が残っていて、その雪も車の排気ガスと雪解けの泥で汚くなってしまいますし、道路も雪融け水でぐちゃぐちゃになってしまいますし、スパイクタイヤが規制される前はスパイクで削り取られた粉塵で雪はもちろん空気も汚れてしまうので、この時期は北海道でもっとも汚い季節ではあるのですけど、長い間街を覆っていた雪が融けて、土の匂いと共に雪の間からふきのとうが生えているのを見つけたり、ツクシが顔を出しているのを見ると、もうすぐ春ですね、なんて思えてちょっと気取ってみたりみなかったりしたことを思い起こすにつけ、東京に出てきてもう16年目、気がつけばハタチとなった今でも北海道の春も好きです。
自分がガキの頃は実家のある西岡なんてホント空き地ばかりで何にもなく、一番有名だったのがマジもんのお化け屋敷だったくらいで(今でも空き地なんですよね…)、それこそ春の足音を少しずつ感じられるような環境でした。あまりにも何にもないため、中学時代に塾で「西岡帝国の酋長」なんてあだ名を付けられたりもしましたけど元気かクボッキー。今では自分の実家の周りもすっかり住宅地になってしまい、ふきのとうだのツクシだのもどじょっこだのふなっこだのもたぶんほとんど見られなくなっているんじゃないかと思いますけど、それでも雪国の人たちは冬が長く厳しいぶんだけ春を待ちこがれる思いは雪の降らない地域の人たちよりも強く、それこそこれだけ待ちこがれられたら春も本望だろうよってくらいみんな「みいちゃん状態」なんじゃないかと思います。そう考えると、札幌ドームができてからはこの時期でも札幌で試合ができるとはいえ、ホームのサポーターが「厚別開幕」に特別な思いを持っているのもわかるような気がします。
ちなみに、西岡に引っ越してきたのがオレが4歳の時。その前は平岸の高台公園の側に住んでいました。小さかったので当時のことはそんなに憶えていないのですが、よく高台公園で遊んだ記憶があります。今では「水曜どうでしょう」ファンの聖地となり、内地から巡礼に来る人が後を絶たないそうですね。当時のあの周辺もそれこそHTB以外何にもなかったですけど、この間30年ぶりに周辺を訪れてみたらえらい変わっててびっくりしました。ハタチですけど。
posted by choo |01:20 |
雑記 |
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2007年03月17日
更新再開宣言
いつのまにやらこのブログもすっかり腐敗してしまいました。だいたい最近はなんやかやと忙しくて本家のほうもあまり更新が出来ないくらいなので、こっちまで手が回らず、気がつけば前回の更新が去年の5月だったりするわけですが、そろそろ更新しないとなと思い始めています。
と言うのもこのオフィシャルブログの主たる目的は、「サポーターに好き勝手に書かせてそれをニヤニヤ眺める」なんてことはもちろんなく、広告収入を得ることです。一口に広告収入といってもいろいろありますし、ここの収益モデルがどうなっているか詳しいところは知りませんけど、おそらくは貼られている広告のほとんどはAmazonのアソシエイトプログラムに代表されるアフィリエイトプログラム(成功報酬型広告)と思われます。詳しい説明は省きますが、要するにサイト経由で商品が売れた場合にそのサイト運営者に一定の料率でコミッションが入るというものですね。料率は広告主によって変わりますが、Amazonアソシエイトプログラムの紹介料の場合、購入された商品の数量によって料率が3.00%(商品数1〜10)から7.00%(7,001以上)まで増える仕組みとなっています。たとえばサイト経由で3,000円のCDが1枚売れたら報酬は90円。14年前でもぬくもりすら買えない金額ですが、それを7,001枚以上売ればその金額は約147万円と、クイズハンターで優勝するよりすごい金額になります。まぁこの例はあまり現実的な数字ではないですけど、つまりは出来るだけたくさんの人に見てもらい、出来るだけたくさんの人にものを買ってもらえば、よりクラブにお金が入るというわけです。結局何が言いたいかというと、まぁ長いこと放置しておいて今更なんだという声も聞こえてきそうですが、こんなブログでも集客に多少なりとも貢献が出来るかもしれないので、あまり腐らせたまま放置するのはよそうと思ったのです。もう一つ、ここもそれなりに更新できそうな状況になったという理由もありますが、その理由については来週くらいに皆さんにも明らかになるでしょう。
で、このオフィシャルブログの運営はJリーグチームであるコンサドーレ札幌を運営している(株)北海道フットボールクラブが行っている関係で、なかなかコンサドーレやサッカーの話題以外はそぐわなさそうなイメージがありますが、サッカーの話題はどうしても本家のほうが中心にならざるを得ません。スーパースター列伝ではまだ書きたい選手もいますんで、そっちもおいおい書いていこうと思いますけど(俺王様もまだ書いてないですしね)、ここの性格上ブログを各人も読む人もコンサドーレのサポーターが中心ですので、むしろ別の全く無関係な話題を書いたほうが新規のお客さんも来るのではないかと無理矢理理屈をつけて、敢えてサッカーやコンサドーレの話題から離れたものを書いて行こうと思います。ご大層なこと書いてまた腐敗させたら笑いものですけど。
というわけで、今回はせっかくAmazonのことに触れたのでもう少しこのアソシエイトプログラムについて書きます。先ほど書いたことと若干重複しますが、このAmazonアソシエイトプログラムとは、ホームページに貼られたリンクバナーを通じてAmazonに入り、そこで商品を購入するとリンクを張ったサイトの運営者に一定の割合で報酬が入る仕組みです。先日のサポーター集会でもちょっと話があったそうですが、このアソシエイトプログラムの収益はそこそこあるようですので、普段Amazonをよく使う人はオフィシャルブログ経由で買い物をすれば、さらにチームに貢献できるわけですね。また、バナーで掲載された商品そのものじゃなく、そこから別のものを買ったとしても報酬が入ります。具体的にはここのオフィシャルブログ上にバナーとして貼られている商品の中に欲しいと思ったものがなくても、そこに表示されている適当な商品からAmazonに飛べばまったく違う商品を買ってもクラブにお金が入ります。この辺の詳しいやり方は事務局のブログに詳しく書いてますけど、要は「ロナウジーニョのフィギュアはほしくないけれど、今度発売されるMAX FACTORYの長門有希フィギュアはほしい!」というダメ人間でも大丈夫ということです(瞬殺だったけどさ)。
ただここでひとつ問題なのが、最短手順なら「Amazonに行く→商品を探す→カートに入れる→購入」というステップで済むのが、この方式だと「オフィシャルブログに行く→セレクトショップに行く→適当にバナーをクリックしてAmazonにいく」と手順が増えることですね。直接セレクトショップに行けば若干手間は減りますが、それでも自分のようなものぐさな人にはこの少しの手間すらめんどくさいのです。さらにもう一つ問題として、オフィシャルブログがダウンしている場合はこの方法が使えないということです。サーバのリブートくらいの時間ならともかく、先日の緊急メンテナンス時のように数日間止まってしまうと、その間買い物が出来なくなります。まぁどうしてもすぐ買いたい商品があるならば直接Amazonに行って買えばいいんですけど、塵も積もれば山田オルタナティブとも言いますし、どうせなら円だろうがドルだろうがゲイツポイントだろうが少しでもクラブにお金が入るようにしたいというのがサポーター心理です。
というわけで、その辺を一気に解決する方法をご紹介しようというのが今回のエントリの目的。イヤ散々長い前置きの割には別にそんな大した手法でもなくて、早い話が「情報ごとブックマーク化してしまおう」というものです。ブックマーク、Internet Explorerでは"お気に入り")化すればわざわざオフィシャルブログを経由してAmazonに入らなくてもいいですし、当然オフィシャルブログが生きてようが死んでようが関係ありません。
やり方は簡単、以下のURIをコピーして既にあるAmazonのブックマークのリンク先を上書きするか、もしくはブラウザのアドレスバーに貼り付けるとAmazonのトップページが表示されますので、そこで[Ctrl]+[D]キーを押してブックマークに新しく作成するだけです。以後は変更または作成したブックマークから入って買い物をすればOKというわけ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect-home?tag=consadolenet-22&site=amazon
これは実はOperaというフリーのWebブラウザで使われているものでして、Operaをインストールするとデフォルトで入っているAmazonのブックマークがOperaのアフィリエイトになっているんですね。つまりOperaを使っていてそのブックマークからAmazonで買い物をした人は、知らないうちにOperaへ寄付を行っているというわけなんですが、それをオフィシャルブログ用にちょちょいと変えたのが上のURI。これならめんどくさがり屋のあなたにも安心ですし、めんどくさがらない人にももちろん安心。オフィシャルブログがダウンしていてもその間収益がまったくなくなることもなくHFCも安心、買い物目的のみのトラフィックや負荷が減れば管理しているWEBOSSさんも安心…するほどの違いはないか。
まぁ以上の通りやり方は簡単ですので、皆さんも是非お使いのブラウザのブックマークを変えて、KanonのDVDとかKOTOKOのCDなんかを買いまくってください。全然怪しくないよ。
posted by choo |01:37 |
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2006年05月18日
ヨハネスブルグのガイドライン
−元ネタ−
<死にたい人にお薦めの危険な街・ヨハネスブルグのガイドライン>
・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた。
・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた。
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた。
・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた。
・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する。
・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた。
・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった。
・女性の1/3がレイプ経験者。
しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から「赤子ほど危ない」。
・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた。
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が
靴と服を盗まれ下着で戻ってきた。
・最近流行っている犯罪は「石強盗」 石を手に持って旅行者に殴りかかるから。
・中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。
一度襲われてまた襲われる確率が50%の意味。
・ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人、うち約20人が外国人旅行者。
−ここからネタ−
<悶えたい人にお薦めの面白チーム・コンサドーレ札幌のガイドライン>
・長期計画の3年目なら大丈夫だろうと思っていたら主力抜きの柏に屠られた。
・キックオフからわずか1分の時点で清野が試合から消えていた。
・芳賀がフリーとなったのでシュートを打ってみるとポストに当たっていた。
・キャプテンマークをしたボランチが襲撃され、気がついたら肩を外されていた。
・ドリブルで相手に突っ込んで倒れた、というか押し倒した後から右ストレートとかをぶち込む。
・左サイドを森脇に突破され、和波も「曽田も」まとめて抜かれた。
・ロスタイムから試合終了までの4分の間に3点取られた。
・パスを回していれば安全だろうと思ったら、パスの相手が全員敵だった。
・J2の1/2が札幌戦で勝利済。
しかも札幌が連敗が止めるというジンクスから「下位ほど危ない」。
・「そんなザルなわけがない」といってやってきた朴康造が90分後ハットトリックを決めて戻ってきた。
・「守りを固めれば負けることはない」と一人で攻撃に行ったアンデルソンが
ハットトリックを決めて戻ってきた。
・最近流行っている失点は「虹の架け橋」 ループシュートの弾道が虹のようだから。
・自ゴールから半径20mはミスの出る確率が150%。
誰かがミスしてまた別の人がミスする確率が50%の意味。
・コンサドーレにおけるアクションサッカーによるシュート数は1試合平均15本、うち約14本がハズレ。
posted by choo |16:07 |
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2006年05月09日
林日記
【 7:12】相川の笑い声で起床。まだ眠い。アゴを磨く。洗顔料減りすぎ。ヒゲは剃らない。
【 7:22】朝食のかわりにケロッグ1箱を平らげる。食い過ぎた。イヤになる。
「トレーニングに行っておいで」清野の言葉だ。うるさいんだよ。つーかお前も行くんだよ。
「気を付けて!」うるせぇんだよこの相川が。だからお前も来いよ。
【 7:35】ダルいトレーニング出発。庭ではうるせぇ加賀犬がわめいている殺すぞ。
【 7:43】「助けて〜!」もんじゃが叫んでいる。俺にどうしろっていうんだよ。
【 7:50】もんじゃ救出。相川に自分の弁当を食べられたらしい。うだつの上がらない奴だ。
【 8:03】今日は曇りだ。気分が盛り上がらない。早く帰ってDVD見たい。
【 8:46】相川がニヤニヤしている。
【 9:30】早朝トレーニング終了。
【 9:40】帰宅。
【 9:45】お腹がすいた。男は黙ってほうれん草を食う。また食い過ぎた。
【10:11】みんなで談笑。相川の笑い声にみんながいらつく。
【11:20】池内登場。
【11:22】「よ〜く来たな、林!」 相変わらず元気な奴だ。
「とめろ〜!マークを離すな!」
本当はどうでもいい。もんじゃ早くこい。
【11:40】フッキに襲われる。ヤバイ。アゴが汚れて力が出ない。
【11:42】「林〜大丈夫〜!」相川だ。タイミングが良すぎる。どこから見ていたんだ?
【11:43】「新しいアゴよ〜!」さようなら、アゴ127号、こんにちはアゴ128号。
相川がニヤニヤしている。
【11:45】「いくぞ〜!シャイニ〜ングウィザ〜ド!!」ただのレッグラリアートだ。
「もう二度と退場しない…!」このセリフには飽き飽きしている。
【11:49】練習終了。「お疲れ〜」格好だけ言ってみる。そんなに疲れてない。
【11:53】もんじゃが来た。「林!助けに来たよ!」遅すぎる。帰れ。うだつの上がらない奴だ。
【12:30】帰宅。しまふく寮で加賀犬が靴下すべりをしていた。
相川がニヤニヤしてこっちを見ている。
いやがらせか?殺すか?
【12:42】昼食のかわりにやっぱりケロッグ1箱を食べる。俺を何人だと思ってるんだ。
【13:12】「トレーニングに行っておいで」清野の言葉だ。もうかよ。早えんだよ。
いいからお前も来いよ。
【13:35】またもやダルいトレーニング出発。
昼飯を平らげた加賀犬が、ソファーですやすや眠ってやがる。蹴ったろか。
【13:50】曽田と合流。俺達はどうも女子に人気がない気がする。
【14:01】もんじゃがまた叫んでる。相川にまた弁当を食われたらしい。
相川はもんじゃに恨みでもあんのか?
【14:43】雨が降ってきた。守りにくいことこの上ないが、どっちみちこんな守備陣で無失点なんか無理だ。
【15:05】やはり相川がニヤニヤしている。
【15:30】みんなで守備確認。曽田が外れて千葉が入りやがった。物好きな道民だな。
【15:50】真ん中には池内が再び登場。お前らどっちも要らねぇよ。
【16:02】池内が清野に抜かれやがった。
「止めろ!清野を離すな!」別にほっといてもシュート入らんけどな。あれ?もんじゃは?
【16:10】フッキに襲われる。ヤバイ。アゴが汚れて力が出ない。
【16:32】「林〜大丈夫〜!」相川だ。いつの間にどこへ逃げてやがったんだ。
【16:33】「新しいアゴよ〜!」さようなら、アゴ128号、こんにちはアゴ129号。
【16:35】「いくぞ〜!シャイニ〜ングウィザ〜ド!!」やっぱただのレッグラリアート。
「もう二度と退場しない…!」あと1枚でまた出場停止でやんの。
お前のポテンシャル、ゴールに活かせよ。
【16:39】練習終了。たまには得点取りたい。
【17:53】もんじゃが来た。「林!助けに来たよ!」遅い。遅すぎる。うだつ(略
【18:30】晩飯。自炊しようと思ったら、家にラーメンしかなかった。俺は小池さんじゃねえよ。
【19:45】風呂に入る。アゴを念入りに磨く。
【20:30】清野や相川と談笑。眠みいよ。
【21:00】就寝。明日もまた同じ一日だ。
posted by choo |11:24 |
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2006年04月28日
ワールドカップ開幕間近
なんだかんだ言って子育てに忙しいのもあって、気がつけばこの別館もすっかり放置してしまいました。たまには更新しないと腐敗ブログの栄誉をいただいてしまいますので、久しぶりに更新しようと思います。スーパースター列伝もいろいろとネタはまだあるのですが、とりあえず今日はコンサドーレの話題からちょっと離れてみようと思います。
今年の我々の注目といえば、当然のことながらコンサドーレがJ1昇格できるかどうかということですが、世間的にはやっぱり今年6月に行われるドイツワールドカップでしょう。ワールドカップといえば今更説明の必要はないとは思いますが、4年に一度行われる、単一の競技としては世界最大のサッカーの国際大会です。普段はサッカーにあまり興味がないような人も優勝国当ての賭けに参加したり、とりあえずカズくらいしか知らないけど何となく日本を応援してみたり、「やっぱジーコってフラットスリーだよな!」とかいい加減なことを言われて鵜呑みにしてしまったり、「Wカップってどんだけ大きい乳なんだよ!」などと言わんでもいいことを言ってドン引きされたりする人も続出するわけですが、とにかくサッカーというスポーツががもっとも注目を浴び、人気の出る時期がこのワールドカップの開催年です。
そんな世の中の流れに合わせるべく、どこの業界もこの「ワールドカップ景気」にあやかろうとします。大会のスポンサーとなり「応援キャンペーン」として関連グッズを販促に使用する企業はもちろん、家電メーカーも大画面・高画質のテレビやハイビジョンも録画できるHDDレコーダなどの新製品を我先にと投入しますし、旅行会社も現地への応援ツアーを次々と企画したりしています。また、そういったワールドカップに関連するものだけでなく、サッカーそのものの人気を狙った「商品」が溢れるのもこの時期です。今週号の週刊少年サンデーと週刊少年マガジンでは、新連載としてサッカーマンガがスタートしました。
サンデーの「GOLDEN★AGE」は架空のJ1チーム「茅ヶ崎シーサーペンツ」のジュニアユースチームに所属する天才的なサッカーセンスを持つ中学生の少年が主人公。神奈川県茅ヶ崎市をホームタウンとする割には、ホームスタジアムはどう見ても仙台スタジアムでした。方やマガジンのほうは「エリアの騎士」という、タイトルだけ見ればサッカーマンガというよりは勧善懲悪バトル系としか思えないマンガですが、こちらは天才的な技術を持つ兄の陰で、やはり天性の才能がありながらもサッカー部でマネージャーに甘んじている弟が主人公。物語はその兄が中心選手として名を連ねるU-15日本代表が、兄の活躍でブラジルのU-15代表と引き分けるというシーンから始まりますが、いくらブラジルが相手とはいえ、U-15の試合でスタジアムが満員になることはないと思います。
というわけで「GOLDEN★AGE」が60ページ、「エリアの騎士」が87ページと気合充分。通常の新連載が長くても40ページくらいであることを考えればかなりの力の入れようではありますが、実はサッカーというスポーツは、マンガの題材としてはあまりいいものではないんですよね。マンガのような絵だと試合そのものの魅力が伝わりにくいですし、プレイのすごさもわかりにくいというのがその理由です。たとえば野球ならば、チームスポーツではあっても基本的には「ピッチャー対バッター」という個人の対決の図式が成り立ちますし、その対決も「150kmの剛速球で三振に仕留めるピッチャー」とか「その150kmの球をスタンドにぶち込むバッター」とか、割とすごさを伝えやすい上にその対決の結果をわかりやすく描写することも出来ますし、バスケットボールなんかでも、ゴールシーンが多いので割と試合そのものを盛り上がらせることはできますし、プレイのすごさなども比較的伝えやすいのです(それでも「SLAM DUNK」が成功するまでは、「バスケマンガは少年誌ではタブー」とまで言われていた)が、サッカーの場合はなかなかそういうわけにも行きません。まぁこの辺は「見せ方」の問題、つまり作者の技量にも関係があるんでしょうけど、サッカーの場合は盛り上げようとすると、特にわかりやすさが求められる少年誌の場合は、どうしても試合よりも登場人物に極限までスポットを当てた描写しかできなくなります。事実、過去成功したと言われる少年誌におけるサッカーマンガは、「キャプテン翼(ジャンプ:高橋陽一)」や「シュート!(マガジン:大島司)」のように、野球で言えば「アストロ球団」なトンデモ超人系のマンガばかりです。サンデーの「ファンタジスタ(草場道輝)」も連載開始当初こそ常識の範囲内だったように思いますが、主人公がイタリアに行く辺りからだいぶ超人化が加速していました。例外と言えるのは塀内夏子の「オフサイド」や「Jドリーム」(ともにマガジン)くらいでしょうか。「オフサイド」の主人公はゴールキーパーからフォワードに転向するなど、割と無茶もしてますけどね。
まぁそんなわけで両誌の新連載、どちらも主人公はスゴい才能を持つ天才少年ということで、どちらかといえば登場人物に焦点を当てたものでしょうが、いずれも連載第一回目の時点で打ち切り臭がプンプンするのが気になるところです。せめて小学生が走るトラックの下を通すシュートを打ったり、中学生のシュートで芝が焦げたりするくらいのハジケっぷりを見せてほしいものですが、中途半端な超人系マンガは突き抜ける運命にあるというのは、特にマガジンは「クラック!!」でつい最近思い知ったと思うんですが…。
ということで、ここから次はサッカーゲームの話でもしようと思ったのですが、マンガの話でつい盛り上がってしまったので、その話はまた次回にでも。
posted by choo |00:37 |
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2006年03月01日
【スター列伝】播戸竜二
現在Jリーグの各クラブでレギュラークラスとして活躍しているプロ選手というのは、そのほとんどが過去何人もJリーガーを輩出しているような名門校の出身か、あるいはJリーグのクラブユースの出身の、いわゆるサッカーエリートたちです(超人でいえばロビンマスク)。トレセン制度やスカウト網が発達した昨今では、プロで通用するような選手が無名のまま埋もれているということはほとんどなくなったと言っていいかもしれません。しかしそんな中でも高校時代まで全国的に全く無名でありながら、プロになって活躍したという選手はごくわずかながらいます(超人でいえばジェロニモ)。代表例としては、今の札幌サポーターにとっては文句なしに上里一将なのでしょうが、筆頭格とも言えば今回取り上げる播戸竜二ではないでしょうか。
1979年8月2日、兵庫県姫路市の生まれ。香寺町立香寺中学校から姫路市立琴丘高校に進みましたが、高校時代は国体選抜の経験がある程度で全国的には無名の存在でした。1998年にガンバ大阪へ入団しましたが、入団とは言っても給料はほとんど出ない練習生契約で、実家のある姫路から毎日2時間半かけて練習に通っていたそうです。プロ契約の条件は「2試合に出場すること」。当時のガンバにはエムボマや松波正信、小島宏美らがおり、FWの選手層は決して薄いものではありませんでしたが、数少ないチャンスをつかんでこの条件をクリアしプロ契約を勝ち取った播戸は、持ち前のスピードと溢れんばかりの闘争心を生かしてこの年13試合に出場し2得点。翌1999年にはユース代表にも選出され、ナイジェリアでのワールドユース準優勝に貢献。所属チームでも途中出場が多かったものの25試合に出場して1得点を挙げ、この年のオフにガンバ大阪に移籍した吉原宏太との「交換レンタル」という形で2000年にコンサドーレ札幌に移籍してきました。
ワールドユース準優勝メンバーとはいえ、高原直泰、永井雄一郎、小野伸二、稲本潤一、小笠原満男、本山雅志ら錚々たるメンバーが並ぶ中、スーパーサブとしての出場が多く本大会で無得点に終わっていた播戸の知名度は決して高いものではなく、むしろ「そんな人いたっけ?」的な扱いで、同じ年に加入したエメルソン同様、必ずしも大きな期待を持って迎え入れられたわけではありませんでした。その上、やってきた経緯に加えて、吉原とは似たような背格好でプレイの特徴も似ており、さらにガンバでつけていた番号も同じ18番だったため、どうしても吉原と比較されてしまうのは仕方がない話で、前のシーズンにJ2で15得点を挙げた得点源と同時に人気No.1選手だった吉原の穴を埋められるかどうかという見方が強かったように思います。
しかし、札幌にやってきた播戸竜二はその予想をいいほうに裏切ります。サガン鳥栖との開幕戦で先制点を叩き込み、サポーターに向けて最高のアピールを見せました。ところが、この名刺代わりの一発も束の間、この試合で相手DFのタックルを受けて腰椎横突起骨折という重傷を負ってしまい早々に離脱を余儀なくされます。奥ゆかしく名刺だけ置いていった播戸が戦列に復帰したのは5月のサガン鳥栖戦。まるまる1クールを棒に振る格好となってしまいました。しかし復帰3戦目のアルビレックス新潟戦で決勝ゴールを叩き込むと、その後も持ち前のスピードとどんなボールにも食らいついていく執着心を武器にコンスタントにゴールを挙げ続け、エメルソンとの「すばしっこいちびっ子2トップ」は他のJ2チームの脅威となりました。この年の播戸の成績はシーズン合計で32試合出場16ゴール。エメルソンの34試合31ゴールという異常な成績に隠れてしまったのは不幸でしたが、前年の吉原と比べても全く遜色ない数字を残しました。また、人気面においても端正な顔立ちの吉原とは系統が違うながらも、やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような、人当たりがいいわけではないけどどこか憎めないキャラクターで、地元出身の期待株だったルーキー山瀬功治(現横浜F・マリノス)を凌いでチーム一の人気を集めるようになっていきました。
というわけで期待以上の働きを見せた播戸ですが、ネックだったのは他の主力選手同様彼もまたレンタル選手だったこと。レンタル依存体質からの脱却は急務であり、幸か不幸かエメルソンの完全移籍に失敗したチームには、まだそのための資金が3億円近く残されていました。サポーターからも播戸の完全移籍を望む声が圧倒的でしたし、ガンバへレンタル移籍中だった吉原宏太が4000万円で完全移籍となることが決定的とされておりましたので、当然その吉原と交換でレンタルされていた播戸の完全移籍は確実だろうと思われていました。ところが結末は、吉原が完全移籍し播戸はレンタル延長。本人が完全移籍を拒否したのかそれともチームの事情なのかはわかりませんが、いずれにしても播戸は2001年もレンタルのままプレイすることになりました。
J1での播戸は相方がエメルソンからウィルに替わったものの、開幕戦から息の合ったコンビネーションを見せ、開幕戦の決勝ゴールやホーム開幕戦でのヴェルディ戦でのゴール、古巣ガンバ大阪戦での決勝ゴールなど重要なゴールを次々と挙げ、大量失点を喰らった清水戦ではチーム全体の気持ちがキレてしまっていた中、1人だけ気を吐いて意地のゴールを決めるなど、勝負強さに加えて負けん気の強さも発揮。また、「無名の苦労人のサクセスストーリー」という少年マンガさながらのサッカー人生が実際マンガになったり(「播戸竜二物語・少年サンデースーパー2001年12月号掲載)、コンサドーレの選手として初めて自身の公式サイトを開設して情報発信したりと、徐々に北海道以外にもその存在感をアッピールしていきました。
ところがシーズンも終盤になると、そのパフォーマンスは目に見えて落ちていきます。J1残留という目標がほぼ見えてきた頃はチーム全体に倦怠感が漂っており、特別に播戸だけが悪かったというわけではないのですけど、持ち味である裏への飛び出しはすっかり影を潜め、足元でボールを欲しがって何度もボールを奪われるシーンが多く見られるようになりました。今にして思えば、彼は彼なりに「ただ速いだけのストライカー」からの脱却を目指し、プレイの幅を広げようと必死だったのかもしれません。しかし、(少なくともこの時期は)スピードを忘れた播戸なんてベアークローのないウォーズマンみたいなモンです。1stステージでは6得点を挙げながらも、10月17日のサンフレッチェ広島戦の2ゴールを最後にゴールはぱったりとなくなり、2ndステージではわずかに3得点。もっとも、チーム全体でもそれ以降は6試合で2点しか取れなかったのですけど。結局この年はシーズン通算で29試合9得点という成績でした。
そしてこの年のオフ、当然のようにレンタル選手であった播戸の去就が注目されますが、結局サポーターの慰留も虚しく生まれ故郷である兵庫県のヴィッセル神戸にレンタル移籍。今にして思えば沈む船から逃げるネズミみたいなものだったのかも知れません。彼がもし残っていれば、翌年は…やっぱり降格していただろうな。
その後2003年に神戸に完全移籍を果たし、2004年には名古屋のマルケスと並んでJ1得点ランキング3位となる17ゴールを挙げ、シーズン通算では32試合で20ゴールという大活躍を見せました。ちなみにこの年の得点王はエメルソン(浦和・27ゴール)、2位に大黒将志(ガンバ・20ゴール)。得点ランキングトップ3を元札幌選手が占めるという、逃した魚は大きいシーズンでした。しかし昨年は怪我もあってあまり試合に出られず、2得点に終わりチームもJ2降格。今年からガンバ大阪に完全移籍し、7シーズンぶりに古巣でプレイすることになっています。
公称171cm65kgと決して恵まれているとは言えない身体で、サッカー選手としては裏街道を通りながらも日本有数のストライカーに上り詰めたのも、「火の玉小僧」と呼ばれた負けん気の強さがあってこそでしょう。ルーキー時代に、紅白戦で危険なファウルをしてきたダンブリーに右ストレートを食らわしたという逸話も残っていますが、そんな播戸も気がつけば今年で27歳。実はソダンと1歳しか違わないという事実が意外に感じられる辺り、播戸竜二という選手はやっぱりこの先も「永遠の小僧」で有り続けるのかも知れません。
posted by choo |23:57 |
スーパースター列伝 |
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2006年02月15日
【スター列伝】関浩二
サッカー選手にも「ファッション」があります。といってもダンディズムな某キングとか有名ブランドの長マフラーとか黒ポンチョで成コレとかの私生活上のファッションではなく、あくまでピッチ上のサッカー選手でのファッションの話です。ただし、当然のことながら基本的にサッカー選手というのは決められたユニフォーム以外着用できません。まぁ世の中にはホルヘ・カンポス(元メキシコ代表)やホセ・ルイス・チラベルト(元パラグアイ代表)のような傾奇者なゴールキーパーもいますけど、少なくともJリーグではそれもダメっぽいですし、フィールドプレイヤーは言わずもがな。なので選手たちは、ルールに抵触しない範囲の限られたポイントで「こだわり」を見せなければいけません。ですから、たとえば髪を染めたりユニフォームの襟を立てたりと、数少ないポイントで精一杯のこだわているわけですが、その中で半袖への異様なこだわりを見せる「半袖プレイヤー」というのが存在します。半袖プレイヤーとは、年がら年中半袖ユニフォームだけでプレイする選手のことです。それをファッションと呼ぶのかどうかは意見の分かれるところでしょうが、暑かろうがが寒かろうが常に半袖というのは、ある意味漢らしさを前面に押し出したファッションということができると思います。
さて、半袖プレイヤーとしては、昨季限りで現役を引退してフロント入りした柏レイソルの薩川了洋氏が有名で、その他にもヴァンフォーレ甲府の杉山新(この選手も元柏)、マイナーなところでは日テレベレーザの中地舞といった選手もいますが、コンサドーレサポーターとしては、こちらも昨季限りで現役を退いた「板長」こと俺達のモリ…いや森下仁志氏と、そして何より今回取り上げる関浩二が思い出されます。というか、「コンサドーレの半袖」といえば真っ先に関を思い出す人のほうが多いのではないでしょうか。何しろ12月の室蘭での試合ですら半袖でプレイしていたという剛の者。男らしさを通り越して命まで顧みない、まさしく富樫源次の油風呂です。
というわけで関浩二は1972年6月26日東京都青梅市の生まれ。読売日本SCユース(現東京ヴェルディユース)から1991年に読売クラブ(現東京ヴェルディ1969)へ進み、1994年に東京ガス(現FC東京)に移籍。1996年から1997年までベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に移籍したあと1998年に再び東京ガスにレンタル移籍(所属元は平塚)し、同年途中からコンサドーレ札幌にレンタル移籍してきました。
途中とはいっても、関が移籍してきたのが移籍登録期限ギリギリの10月21日。当時のコンサドーレはもともとシーズンはじめの登録人数が26人と少なかったこともありますが、同じ日に移籍してきた埜下荘司(横浜フリューゲルス)、その少し前に加入した棚田伸(柏レイソル)ともども、もはや出場が濃厚となっていたJ1参入決定戦回避、あるいは最悪参入戦「勝ち抜け」に向けての戦力補強であることは明確でした。しかし、移籍してきた半袖の関は、参入決定戦4半袖を含む8半袖に出場しましたがゴールを挙げることは出来ず、チームもあえなくJ2降格。結果だけを見れば、残留するためにやってきた選手としてはサポーターの期待には添うものであったとは言い難い出来でした。とはいえ、この年半袖の関は移籍前から古傷の膝を痛めており半袖以外は決して万全の状態ではなかった上、半袖の関が移籍してくる直前にウーゴ・フェルナンデス監督がフロントとの確執から解任され、事実上崩壊していたと言っていいチームにあって、移籍してきたばかりの半袖の関がどうこう出来る状況ではありませんでした。逆に、チーム全体に漂うあきらめムードの中、それでも何とかしようという熱いプレイはサポーターの半袖をつかんで離さなかったのです。参入決定戦の最終戦のアビスパ福岡戦でも12月の室蘭で半袖姿で登場。試合に敗れJ2降格が決定した時、人目もはばからず号泣していた半袖の関の姿に半袖を打たれた人も多かったと聞きます。
その半袖が認められたのか、翌1999年にはコンサドーレに完全移籍し、この年も関は当然のように半袖でプレイし続けました。しかし、シーズン通算で28半袖(リーグ・カップ・天皇杯合計)に出場したものの、途中出場や途中交代が多くフル出場はわずかに6半袖のみ。得点もシーズン合計で7得点に留まりました。チーム自体の出来がアレだったというのもありますが、オフには構想外となってしまいました。
ところでオレのフットサル仲間に、青梅で小学生時代の関と対戦してきた人がいます。その人が言うには「関は本当にうまかった。うちのチームでは『他のヤツにはやられてもいいから関だけにはやられるな』が合い言葉だったけど、それでも止められなかった」そうです。ちなみにその人もオレから見ればめっちゃくちゃうまい人なのですが、その人に言わせれば「レベルが違った」ということらしいです。まぁそうでなければテクニカルな選手が揃う読売ユースに入れるわけもないはずですけど、サポーターが評する関という男は、「半袖」という以外では「うまくはなかったが、熱い男」というもので、なんだかイメージが全く違います。まぁ、プロ選手というのはそういう人たちの集まりですから、関はその中では「普通」レベルということなのでしょうか。ただ、札幌にいた当時は既に彼の膝はとうに限界を超えていたようで、その辺りの影響もあったのかも知れませんね。ちなみに、小学生当時から半袖だったかどうかは聞いてません。
札幌を退団したあとの関は、半袖のまま地元青梅に戻り、JFL入りを目ざしていた関東リーグの青梅FCに元FC東京の奥原崇と共に加入しました。青梅FCでは2002年まで在籍していたようですが、結局JFL入りすることは出来ませんでした。その後、2003年にコンサドーレのジュニアサッカースクールのコーチとして札幌に再び戻り、小学生の指導をする傍ら北海道リーグのトヨタ自動車北海道で現役を続けていたらしいですが、結局この年を最後に現役を引退し、2004年のU-12チームの誕生に伴いU-12のコーチに就任しました。今年はU-15チームのコーチとなり順調に指導者としてのキャリアを半袖で積み重ねています。いや半袖はウソ。
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2006年02月04日
【スター列伝】ロブソン
昨季までの過去10シーズンにおいて、これまで札幌に在籍したことのあるコーチングスタッフ以外の外国籍選手は全部で31人。様々な国籍の選手たちが札幌でプレイしてきました。この31人の中には吉成大や徐暁飛らの立場上は助っ人ではない選手も含んでいますので、単純に「外国人選手=助っ人」と考えるわけにもいかないのですが、「外国人は宝くじみたいなもの」という岡田武史元監督の言葉通り、いわゆる「助っ人」として入団して期待通りに活躍した選手もいる一方で、全く役に立たなかった選手も決して少なくありませんでした。その「期待はずれ」の代表格といえば、古くからのサポーターは1999年のリカルジーニョ、ジネイ、クレーベルの3人が思い浮かぶでしょう。しかし、何しろ彼らの試合出場は最も多いリカルジーニョでさえ5試合で、クレーベルに至ってはたったの1試合しか出ていないというスーパーブラジル人です。6月を迎える前に退団したリカルジーニョの代わりにやってきたジネイも、加入直後の3試合でそのへっぽこっぷりを遺憾なく発揮したっきり二度と姿を見せなくなったため、1999年の後半からスタジアムに通い始めたオレは彼らを生で見たことがありません。そんなオレにとってもっとも印象深い「期待はずれ選手」が、今回取り上げるロブソンです。
本名ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シウバ。1974年9月21日生まれで、1992年マツバラで選手生活をスタート。コリンチャンス、ゴイアス、ウニオン・レイリア(ポルトガル)など複数のクラブを渡り歩いたあと、1997年にロシアリーグ1部の強豪スパルタク・モスクワに移籍しました。そして2001年までの4シーズン半の間にリーグ戦102試合で32ゴールという成績を残し、2002年にコンサドーレ札幌にやってきました。経歴が間違っていなければ、マツバラでミールさんと一緒にプレイしているはずですね。
ウィルという強力なストライカーの活躍でJ1残留を果たしながらも、そのエースの引き留めに失敗した札幌にとって、ウィルに替わる助っ人ストライカーの獲得は至上命題でした。その期待を負うべくやってきたのがこのロブソン。前年のロシアリーグで15ゴールを挙げ得点王に輝き、またクラブチーム最高峰の大会であるUEFAチャンピオンズリーグにも出場して2得点と実績充分。Jリーグに各国リーグの得点王がやってくるのは特に珍しい話ではないですけど、「チャンピオンズリーグ出場経験者」というのはそれほど多くありません。さらには当時ロシア代表の監督も兼ねていたスパルタク・モスクワのロマンツェフ監督が、ロシア代表のためにロブソンの帰化を要請していたという報道もあり、いわば「ロシア代表監督お墨付き」と言えるだけに、ロブソンはサポーターのみならずマスコミからも「大物」という扱いを受け、道内メディアはもちろん全国誌である「サッカーダイジェスト」でも、まだ開幕前だというのにインタビュー記事が組まれるほどの騒ぎでした。
そんな感じですから、サポーターの期待はが高まるのも無理もない話でした。開幕前の練習試合で不発が続いても、ウィルがそうだったように太りすぎでコンディションが悪いためであり、コンディションさえ上がれば活躍するだろうと楽観視され、開幕前の宮崎キャンプでの阪南大学戦での初ゴールと、次の韓国チャンピオンの城南一和戦での計2得点だけで眠れる獅子が目覚めたと思ったものです。大きな希望はいつしか未だ見ぬロブソンを「ものすごい選手だ」と脳内補完してしまっていました。
そのロブソンが、いよいよサンフレッチェ広島との開幕戦でヴェールを脱ぎました。183cm79kgという堂々たる体躯から繰り出される競り勝てない空中戦、2歩目の時点で相手DFに先回りされる一瞬のスピードを持ち、その黄金の右足から放たれるシュートは出し惜しみする奥ゆかしさ、磁石のN極とN極のような正確なトラップ…。ロブソンのあらゆるプレイに目を奪われたサポーターは、「なぁ、なんかあいつスゴくね? 別の意味で」「全ての能力が秀でてるぞ、マイナス方向に」「なんていうか、ゾック?」「いや、あれはザクタンクだ」などと大絶賛でした。
開幕戦で広島の大勝の立役者となったロブソンは、次のベガルタ仙台戦でも90分間試合から消え続けるという、まさに1人だけ別次元のプレイを見せて仙台の勝利に貢献すると、第3節のジュビロ磐田戦でも異議と故意のハンドによる合わせ技一本で退場し、ここから一気に3点を奪って試合を決めた磐田へのナイスアシストを見せました。出場停止となった第4節の名古屋戦はロブソン不在の穴が大きく札幌が勝ってしまいましたが、出場停止明けの柏戦ではさすがのパフォーマンスで柏の快勝をお膳立てし、続く京都パープルサンガ戦でも京都のVゴール勝利を導きました。
この間、ロブソンの能力に疑問を持ち始めていたあるサポーターが、海外のサイトでロブソンの経歴を調べてみると、「ロシアリーグ得点王」というふれこみは真っ赤なウソと判明。札幌にやってくる前年に挙げたゴールも15ゴールではなく11ゴールで、チーム得点王ではあるもののリーグ得点王を獲得した記録はありませんでした。オレも独自で調べてみたところ、練習しないロブソンにロマンツェフ監督がブチギレしたとか、相手選手にヒジ打ちをお見舞いして5試合出場停止を喰らったとか、相手選手と乱闘をおっぱじめたとか、その黒歴史が出てくる出てくる。素行に問題があるのはまぁいいとしても、それはきっちり結果を残してこその話。結局、京都戦のあとの柱谷哲二監督の「ロブソンには責任を取ってもらう」というあまりにも有名なセリフを最後に試合に出ることはなくなり、結局Jリーグでは1点も上げることができないまま、同年入団したDFマクサンドロと共に5月末にひっそりと退団しました。ロブソンに責任を取ってもらった柱谷監督も、後を追うように6月始めに解任されています。過去の経歴や肩書きがいかに無意味なものであるか、我々サポーターに教えてくれた選手でした。
札幌を退団したあとのロブソンは、スパルタク・モスクワからのレンタル移籍だったにも関わらず、なぜかロシアには戻らずにフランス2部リーグのロリアンというチームに移籍しました。後日談として、札幌で活躍できなかったのはケガをして万全の状態じゃないまま試合に出ざるを得なかったからという話もありますが、そのロリアンでの成績は、3シーズン合計で72試合16ゴール(カップ戦含む)。助っ人としては少々物足りない成績と言わざるを得ず、あのまま札幌に残っていたとしても我々が期待していたような「エメやウィルと同じくらいの活躍」は望めなかったでしょう。Jリーグ1部とフランス2部リーグ、そしてロシア1部リーグの間にどのくらいのレベル差があるかはわかりませんが、スパルタクで活躍できたのは、イゴール・ティトフという優れたゲームメーカーがいたからかもしれませんね。ちなみに腹黒な元主将はロブソンについて、シーズン開幕前の時点で既に「ハズレ」と断言していたそうです。
ところでロブソンは、どうやら昨シーズン限りでロリアンを退団しているようです。その後の行方は不明ですが、もし今季もプレイしていればグルノーブルに移籍した大黒将志との対戦があったかもしれないだけに残念ですね。
posted by choo |00:25 |
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2006年01月27日
たまにはスター列伝以外の更新も
先日のオレとカミさんの会話。
妻:「ねぇ、マリノスに入団したマイクって、あのマイク?」
俺:「そうだよ。高円宮杯で大伍と一緒に準優勝したハーフナー・マイク」
妻:「ふーん。なんかすっかり大人っぽくなってたね」
俺:「精悍な顔立ちになっていたねぇ」
妻:「…」(←何か思いついたらしい)
俺:「?」
妻:「…マイク巻…」
ジーコさん、ドイツではこの2トップでよろしく。
さて、現在長期キャンプ中のコンサドーレですが、我々にとって気になるのは、果たして今年のチームはJ1昇格という目標を達成出来るのかどうかということです。今季の補強はうまく行ったと言えると思いますが、それだけで勝利が約束されるわけではありません。やはりチーム全体としてシーズンを勝ち抜けるだけの力を持っていなければ昇格は見えてこないわけです。そのためにはやはりこの開幕前のキャンプでどこまでチームを作ることが出来るか。それが重要になってくるでしょう。
ところが、といっては妙ですが、チームの始動からこっち、ヤンツーのコメントはおおむね合格点といった感じのものがほとんどです。ヤンツーが思ってもないリップサービスの出来る人じゃないことはわかっていますし、実際去年、一昨年と同じ時期のコメントは苦いものばかりでした。そのヤンツーの口からお褒めの言葉が出てくるくらいですから、これはもういやが上にも期待してしまうと言うもの。風の噂では選手たちも手応えを感じつつあるという話も聞こえてきますし、こりゃあひょっとするとひょっとするかも、とオラすっげえワクワクしてきたぞ。
とはいえ、やっぱりそれはこの目で実際に見てみないとわかりません。去年もこの目で開幕前のチームを見たおかげで、素人ながらもある程度のチーム力は見えてきたわけですし。というわけで、昨年に引き続き今年も九州まで行ってキャンプでの練習を見てこようと思っています。予定としては熊本での第2次キャンプ中の2/18〜19。まだ練習予定は発表されていないのですが、発表されてからだと飛行機取るのに苦労するのでかなり決め打ち。オフだったら哀しいので練習してください。
posted by choo |01:57 |
雑記 |
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2006年01月26日
【スター列伝】吉原宏太
不定期更新のスーパースター列伝、第9回目の今回は「元祖アイドル」吉原宏太を書きます。
1978年2月2日大阪府藤井寺市生まれ。小学校2年生の時に藤井寺サッカー少年団でサッカーを始め、道明寺中学校から和歌山県の初芝橋本高校に進学。3年生の時(1995年)の高校選手権で7得点を挙げて得点王を獲得して同校をベスト4に導き、この活躍が認められて翌年から旧JFLを戦うできたてホヤホヤのコンサドーレ札幌に入団しました。
通常、プロになれるような実力を持つ選手というのは、そのほとんどが選手権の時点で卒業後の行き先が決まっているパターンが多く、高校選手権で「プロへ就職活動」となるパターンはそれほど多くありません。また、この「選手権ルート」でプロ入りした選手は岐阜工の片桐淳至(→名古屋グランパスエイト)や国見高校の松橋章太(→大分トリニータ)などあまり活躍した印象ないのですが、吉原の場合はルーキーイヤーの1996年に開幕スタメン(1996年4月21日・福島FC戦)に名を連ねただけでなく、先制ゴールを含む2得点を挙げてチームの開幕戦勝利に貢献。その後も公称170cmと小柄ながらも裏へのスピードと思い切りの良さを生かして試合出場を重ねていきました。当時のJFLがプロアマ混成リーグで、対戦相手のレベルにばらつきがあったとはいえ、それでもリーグ戦・天皇杯で27試合7得点は申し分のない活躍と言えるでしょう。さらにプレイヤーとしての活躍のみならず、その甘いマスクは女性ファンのハートをがっちりキープ。コンサドーレのメインスポンサーである石屋製菓の主力商品「白い恋人」のテレビCMにも抜擢されるなど、その人気は鰻登りでした。
翌1997年は試合出場こそ18試合に留まりながらも、自身初のハットトリック(5月18日・大塚製薬戦)を含む10得点(リーグ戦・天皇杯合計)を挙げJFL優勝・Jリーグ昇格に貢献。1998年に開幕スタメンとしてJリーグデビューを飾る(3月21日・清水エスパルス戦)と、4月25日のベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)戦でJリーグ初ゴールをマーク。この年リーグ戦、カップ戦、天皇杯計41試合に出場し13得点を挙げ、人気・実力共に「コンサドーレのエース」となりましたが、残念ながら入れ替え戦では不発に終わりチームはJ2降格となりました。
J2での再スタートとなった1999年は、チームとしては散々なシーズンでしたが、吉原個人にとっては大きな飛躍の年となりました。FC東京サポーターに「色白おかま」呼ばわりされながらも、5月2日のヴァンフォーレ甲府戦でJリーグ初のハットトリックを達成するなど順調に得点を重ねてきた吉原は、日本代表のフィリップ・トルシエ監督に認められてシドニーオリンピックを目指すアジア一次予選のメンバーに招集されました。そのアジア一次予選の香港ラウンドでのフィリピン戦で、交代出場ながらもハットトリックを達成すると、続くネパール戦でも2得点、3戦目のマレーシア戦で1得点、最終戦の香港戦でも1得点。相手は格下ばかりとはいえ、4試合で7得点を決める大活躍を見せました。トルシエ監督の期待に見事に応えた吉原は、今度はなんとフル代表に招集されます。日本代表がパラグアイで行われるコパ・アメリカに招待国として出場した際、アルゼンチンでの直前合宿中にFWの中山雅史(ジュビロ磐田)がケガをしてしまったため、急遽呼ばれたのです。当時の五輪代表には吉原ではなく高原直泰(ジュビロ磐田)や柳沢敦(鹿島アントラーズ)、平瀬智行(鹿島)といったFWが主力でしたし、久保竜彦(サンフレッチェ広島)などフル代表経験を持つストライカーも残っていた中で、誰もが驚いたフル代表招集。まぁ、トルシエ監督にとっては、「あぁもうこんな時にナカヤマ怪我しやがって代わりを呼ぼうにも地球の裏側まで選手を貸してくれるようなクラブなんてねぇだろうなああそうだだったらヨシハラを呼ぼうどうせ札幌はJ2だし昇格無理だろうし」といった感じだったのかもしれませんけどね。それでも吉原が代表に選出されたことは事実であり、パラグアイ戦で途中出場ながらも代表キャップを記録したことで「吉原宏太」の名は全国区となったわけです。
当然サポーターにとっても、コンサドーレから初の現役代表選手が出たことは誇らしいことでありました。しかしそのサポーターの喜びの裏側で、「トップレベル」を実際に肌で感じた吉原本人は、翌年に控えていたシドニー五輪のメンバーとして名を連ねるため、その先に待つワールドカップのために、より高いレベルの環境でプレイすることを望むようになっていったのでしょう。札幌がJ2残留となったこの年のオフ、36試合出場15得点(リーグ・カップ・天皇杯合計)という成績を残し、ガンバ大阪へレンタル移籍していきました。
今でこそ主力選手の移籍(引き抜き)は珍しい話ではないですけど、名実ともに札幌の顔だった選手が移籍していったのはこの吉原が初めてであり、当時のオレも含めたほとんどのサポーターはそれをどう受け止めていいかわかりませんでした。チームが彼を「戻ってくる可能性の残る」レンタル移籍としたのも、エースを失うショックが大きかったサポーターへの影響を考えれば仕方がなかったのかも知れません。今であれば、中途半端にレンタル移籍させるくらいなら完全移籍にして移籍金満額取れという声のほうが強いでしょうから、サポーターも随分免疫がついたものです。いやまぁ、出来ればこんな免疫なんていらないんですけどね。結局吉原は2000年オフにガンバへ完全移籍となり、移籍した当時にサポーターが抱いていた「1年後に戻ってきてほしい」という希望は叶うことはなかったのですが、どっこいその頃のサポーターは既にバンバンとエメに夢中でした。人間は忘れる生き物です。
ガンバに移籍した後の吉原は、しばらくはそれなりの活躍を見せていたものの、西野体制となってからは監督との折り合いもあまりよくなかったようで次第に出番も減っていき、より多くの出場機会を求めての移籍志願話がオフの恒例行事となっていました。昨季の終盤はベンチからも外れるようになり、ついに移籍を決断。今年から大宮アルディージャでプレイすることになっています。
表面上は「札幌を捨てた」という形での移籍となり、「かわいさ余って憎さ百倍」というサポーターもいる一方で、「初代生え抜きエース」としての吉原を特別な存在として感じているサポーターも決して少なくありません。プロ2年目以降から彼が好んで背負っていた「18番」の背番号は、札幌でも特別な番号として認識されていました。まぁ実際、吉原の他に18番を背負って、それに見合う活躍をしたのは山瀬功治くらいしかいませんけど。また、吉原自身もプロのキャリアをスタートし、最初の4年間を過ごした札幌は特別な場所で、移籍後もいろいろなところで札幌について触れることが多く、「第二の故郷」と考えているようです。それだけに、今でも毎オフになると吉原宏太札幌復帰話がまことしやかに囁かれたりもしますが、1996年のチーム創設時のメンバーで現在もJリーグで現役を続けているのはこの吉原ただ1人だけですから、キャリアの最後は札幌で過ごして欲しいなぁと少しだけ思ったりもしています。
posted by choo |01:58 |
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