プロフィール
【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
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2007年01月08日
ブログ = 日記 ということでいいのかなぁと、コンサドーレにはなかなかたどり着きませんが自分の記憶とサッカーに対して思ったことを言葉として残しておきたいので、自分史を少しづつ書いております。 まずはワールドカップにからめての記憶を呼び起こしていくつもりなのですが、題材を変えてフィードバックも考えております。サッカーに対する自分の気持ちは、なかなか書ききれませんので…。初めてサッカーの魅力に取り付かれたころのテレビ観戦の心臓のドキドキ感は尋常じゃなかったと思います。中学時代に休み時間にやっていたサッカーでも、相当ドキドキで心が熱くなってました。 そんな私ですが人生何があるかわからないものでコンサドーレの始動の時期(1996年ころ)は、なぜかサッカーとすれ違ってしまった時期でした。ハンドルネームで書いているとはいえ、自分の人生を赤裸々に語るのは少々気恥ずかしいものがありますが、ぜひとも自分の触れたくない過去にも触れていこうと考えております。 サッカーとはまったく関係のない話になるでしょうが、記憶から呼び覚まして文章に起こしておきたいのです。
2007年01月08日
【1990年のロベルト・バッジョ】 イタリア・ワールドカップ(以下WC)グループリーグのチェコスロバキア戦の単独ドリブルによる華麗なゴールはマラドーナの5人抜きを髣髴とさせた。この印象が強烈過ぎるため、私は正直言って第1印象としては、「マラドーナみたいなイタリア人?」でした。 その後、川平慈英が司会のダイヤモンドサッカーを観ていて(札幌でようやくテレビ東京系がみれた!)WCもしくはユーロの予選での映像を見るまでバッジョのプレーを知ることはありませんでした。単独ドリブルのイメージしかなかった私にとっては衝撃でした。 FWでゲームメーカー?しかもプレーのスピードと独特のタメをもっている。そんな印象でした。セリエAでの彼のプレーを観てみたい!そんな思いが徐々に高まるのでした。 【日本代表の飛躍①】 そんなころ、1991年のキリンカップから日本代表の飛躍が始まりました。今までは観光気分で来日するクラブチームにすら完敗していた代表チームが、86年WC得点王リネカーを擁するトットナム、後にJリーグでも活躍するビスマルクもいたバスコダガマとの戦いを勝ち抜き優勝したのです! さらに1992年にハンス・オフトが監督に就任するとダイナスティカップ優勝!アジアカップ優勝!と今まででは考えられないような好成績をあげました。さらに1994年のアメリカWC予選のアジア一次予選を突破したのです。 そして、ついにJリーグが開幕! サッカーが観たい!その思いが高まり 私はついにBSを手に入れることを決断したのです!
2007年01月08日
【高校選手権決勝】 15歳からサッカー部に入った私は、冬の選手権に対するちょっとした憧憬の念がありました。なぜなら私の母校は予選にすら出場する権利がないので…。それじゃあ、俺たちは天皇杯の北海道代表を目指そう!(絶対ムリムリ!)とキャプテンが気合を入れたのを懐かしく思い出しました。 おめでとう!盛岡商! 【ドイツトリオ】 ACミランのオランダトリオに対してインテルのドイツ人プレーヤー、ユルゲン・クリンスマン、アンドレアス・ブレーメ、ローター・マテウスが「ドイツトリオ」とよばれていました。当時はちょうどベルリンの壁が崩壊。ワールドカップ(以下WC)には東西統一は間に合いませんでしたが、統一すれば間違いなくドイツのレベルアップするのかなぁ?と、漠然と思いました。 私自身、その当時ウィングをやっていた(システムは4-3-3が普通でした。)ため、サイドのプレーヤーには注目していました。世界の流れは2トップが主流となり、ウィング専門のプレーヤーは少なくなりました。サイドのオープンスペースに走りこむのはサイドバックの仕事になりつつありました。そこで、西ドイツの3-5-2の両サイドハーフはもともと4-4-2の両サイドバックの選手だったのですが、とくにブレーメの攻撃力をフルに生かすためにこのシステムにしたといわれてました。自分もそんなポジションでプレーしてみたいと思っておりましたが、3-5-2なら左のDFかセンターバックをやることになり、自分の攻撃力のなさを思い知るのでした。 前回大会のころはあまり目立たない選手でマラドーナにマンマークを任されたマテウスがドイツのゲームメーカーになり、10番を背負うようになっていました。8番のほうが似合ってるのになぁ、なぜわざわざ10番に変えるのか?8番に愛着はないのかな?それだけ10番は特別なんですよね。ドイツ代表を拒否し続けたバルサのシュスターには酷評されていた選手だったのですが、このWCではまちがいなく輝いていたと思います。まあゲームメーカーらしいファンタジーはあまり感じない選手ではありました。 クリンスマンは2006年の代表監督としての印象が強くなってしまいましたが、1990年当時は若く才能あふれるFWでした。ドイツ人らしい強さと迫力のあるストライカーでしたね。ドイツはワールドクラスのゴールキーパーが次から次へと出てくるのは不変ですが、クリンスマンが出てきたときにはストライカーについても同じように思っていたのですが、その後は続きませんでしたね。(ビアホフもヤンカーも良い選手ですけどね。クローゼとポドルスキには期待したいです。) 1990年に優勝し、その後東西統一を果たし、手がつけられなくなるほど強くなるのではという期待どおりにはならず、次のワールドカップには世代交代がうまくいかなかったのでした。逆にイタリアは新たな才能が開花し、私にとっても第2のアイドルを見つけたのでした。 ( つづく )
2007年01月08日
【オランダ・ミリオン・トリオ】 たしかそんなフレーズ聞いたことあったような…。トヨタカップのヨーロッパ代表として、1988年はPSVでロナルド・クーマンが来日、ブラジルのロマーリオなどもいいプレーを見せましたがPK戦で敗退。1989年はACミランのフランク・ライカールト、マルコ・ファンバステンが、1990年にはルート・フリット(グーリット)も来てオランダトリオの3人がそろって素晴らしいプレイを魅せてくれました。 1990年のトヨタカップはACミランが3-0で勝利。今まで不調だったファンバステンが復調のきっかけをつかむのではないか?というような動きをみせ、フリットも素晴らしいフェイントで国立を沸かせました。そしてMVPのライカールトが攻守の要として活躍しました。ワールドカップ(以下WC)で残念な結果をみせられていたので超一流の選手でもコンディションや舞台の違いにより思うように活躍出来ないことがあると認識しました。 そのWCイタリア大会ですが、フリットもファンバステンもケガで出場があやぶまれるという状況でしたが、私はその二人のプレーをWCで観たい気持ちが強かったので出てほしいと希望してました。このふたりがいない状況では決勝トーナメントも難しいので、優勝争いは別のヨーロッパのチームになるだろうと思いました。 ( つづく )
2007年01月08日
【1990年イタリア大会】 前回の優勝国アルゼンチンのマラドーナのことについては、すでに(6)でふれました。彼を徹底マーク、悪質ファールで封じるという作戦に対して、アルゼンチンが同点PKでもいいからガチガチに守るというサッカーに終始したことで面白くない試合が多かった。ブラジルとの対戦で負けていてくれれば、マラドーナがその後の悲劇に会うこともなかったのです。 そのこともあるけど、大会全体を通して守備的なチームが多くて中盤はスペースのつぶしあいとなり、ゲームメーカーと呼ばれる選手の活躍の場はサイドもしくは前線に移りつつあった。そのなかで、ルーマニアのハジ、ユーゴスラビアのストイコビッチ、ベルギーのシーフォといったところは輝きを十分に魅せていました。南米のゲームメーカーはつぶされたスペースで厳しいマークに苦戦を強いられた印象です。 それまでの常識を覆す活躍をしたアフリカのカメルーンはさわやかなチームではあったが、私は好きにはなれませんでした。チーム戦術よりも個人の能力に依存したチームはどうしても好感をもてません。 プラティニという私の一番の憧れの選手が引退してしまったので、私が楽しみとして注目していたのはドイツとオランダでした。1988年のヨーロッパ選手権はその当時映像観ることができませんでしたが、よく読んでいたサッカーダイジェストでもかなり特集されていましたのでオランダに素晴らしい選手達がいるのはわかっていました。フーリット、ライカールト、クーマン、ファンバステン。オランダ代表を映像で観られるのがすごく楽しみで期待していました。 ( つづく )
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【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
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