2006年04月01日

【日本ハム】新人の八木がプロ初先発初勝利

日本ハム新人の八木がプロ初先発初勝利
 力投する日本ハム先発の八木 <日本ハム1-0オリックス>◇31日◇スカイマーク 日本ハムの希望枠ルーキー八木智哉投手(22=創価大)が、プロ初先発初勝利をマークした。オリックス打線を6回途中まで4安打無失点。再三のピンチをしのぎ「全然緊張しなかった。すごく気持ちよかった」と満面の笑みを見せた。
 3者凡退は5回だけ。それでも変化球を駆使する慎重な投球で、アウトカウントを稼いだ。1回1死一、二塁では得意のスクリューで中村を二ゴロ併殺打。2回も併殺で切り抜けた。ヒルマン監督は「素晴らしい内容。持ち球をうまく組み合わせていた」と称賛した。
 試合前から笑顔でリラックス。前日30日にプロ初勝利を挙げた同期のオリックス平野佳に「きょうは勝つから」と宣言し、実際に白星をつかんでみせた。
 1-0の試合を最後はベンチで見守った。「自分が投げるより緊張した。次は9回を投げ切りたい」。屈託なく言い切る期待の左腕が、チームに活力をもたらしそうだ。

ドクターKと呼ばれた大学(創価大)時代のような、投球スタイルではなかった。一人一人、丁寧に粘りの投球を披露する。毎回のように走者を背負いながら、5回0/3を4安打無失点。プロ初登板、初先発、初勝利でチームの連敗を3で止めた。初めてのヒーローインタビュー。「緊張すると思ったんですけど、あまり緊張せずに入れたのがよかった。胸を借りる気持ちで投げました」とくしゃくしゃの笑顔で胸を張った。
 1年前は想像もできない舞台だった。「ドラフトにかかるかは微妙かな、と。あっても下位だと思っていました」昨年3月、就職活動のつもりで社会人野球・ホンダ鈴鹿の練習に参加。希望枠で横浜入りした高宮の直球に刺激を受けた。最上級生になるタイミングと重なり「変わったのは意識。自然と走り込みの量が増えました」。進化がようやく始まった。
 きっかけは突然だった。昨年6月の全日本大学選手権。2回戦の関東学院大戦で、審判から2段モーションとの指摘を受けた。セットポジションでの投球だが、真上に上げていた右ひざを二塁方向へ引き上げるように修正すると、フォーム全体の流れが良くなった。「右肩が下がる癖が直って、体が突っ込まなくなった。試合の中でつかむもの、ってあるじゃないですか。まさにそれだったと思います」偶然が生んだ“突然変異”が、プロへの道を開いた。
 試合前には、大学時代からのゲンかつぎになっている、大学のトレーナーが歌うラップ系の曲を聴き、精神を集中させた。運も味方につけて、初勝利を手にしたルーキー左腕。宣言通りの新人王取りへ、最高の第一歩を踏み出した。(山口 泰史)
 ◆八木 智哉(やぎ・ともや)1983年11月7日。横浜市生まれ。22歳。山梨・日本航空高から創価大を経て、05年ドラフト希望枠で日本ハムに入団。大学4年時の全日本大学選手権では、5試合で49三振を奪う大会記録を樹立。秋の明治神宮大会の関東地区予選準決勝(白鴎大戦)では、20奪三振で完全試合を達成した。181センチ、75キロ。左投左打。独身。 


日本ハム森本が決勝適時打
 
5回日本ハム2死二塁、森本が左前に先制打を放つ  
日本ハム森本稀哲外野手(25)が、値千金の一打を放った。0-0の5回2死二塁、フルカウントから直球を左前へ運んで均衡を破った。「膠着(こうちゃく)状態だったし、何とかしたかった」と胸を張った。
 試合はこの1点が決勝点となり、新人の八木智哉(22=創価大)に初白星がついた。打の殊勲者は「投手陣のおかげ。貴重な場面で打ててよかった」と謙遜(けんそん)しながら上機嫌に引き揚げた

日本ハム新庄が14打席ぶり安打
<日本ハム1-0オリックス>◇3月31日◇スカイマーク
 打撃不振の日本ハム新庄が、バント安打で14打席ぶりの安打を記録した。6回無死一塁で三塁方向へプッシュ気味の絶妙なバントをし、俊足を生かして内野安打に。親交が深い清原との注目の第1ラウンド。試合前に対面することはなかったが、試合の方では仲良く1安打同士と、渋~く「引き分け」に持ち込んだ。



posted by dome123 |07:44 | 日ハム | コメント(0) | トラックバック(0)

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