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2007年03月24日

青いルビー

 ルビーとサファイアはコランダムという同じ石で、つまりコランダムで赤いものをルビーといい青いものをサファイアというのであり、ルビーが青けりゃそれはサファイアと言うんだ、とパタリロが言ってました。

 さて、今日は全くとりとめのない話をします。

 昔の人は見事なことを言ったもので、暑さ寒さも彼岸までという言葉通り、つい先日まで妙に寒かった東京もお彼岸を過ぎたら途端に暖かくなりました。今年はついぞ雪らしい雪が降ることはありませんでした。太平洋側に位置する東京ではもともとあまり雪が降ることは多くないものの、それでも年に何度かは雪が降って、北海道ならなんもたいしたことない程度の雪で交通機関がマヒして妙にいらつくわけですけど、聞くところによれば統計が残る1876年以降東京で雪が降らなかったことはただの一度もないらしく、観測史上初めてとのこと。
 この時期、東京ではぽつぽつと桜も開花しているところも出始め、それは舞い散る桜のように…おっと札幌ではほとんど見ることのできないソメイヨシノの美しさを見ることのできるこの季節は一年で一番好きな季節です。北海道ではまだまだ雪が残っていて、その雪も車の排気ガスと雪解けの泥で汚くなってしまいますし、道路も雪融け水でぐちゃぐちゃになってしまいますし、スパイクタイヤが規制される前はスパイクで削り取られた粉塵で雪はもちろん空気も汚れてしまうので、この時期は北海道でもっとも汚い季節ではあるのですけど、長い間街を覆っていた雪が融けて、土の匂いと共に雪の間からふきのとうが生えているのを見つけたり、ツクシが顔を出しているのを見ると、もうすぐ春ですね、なんて思えてちょっと気取ってみたりみなかったりしたことを思い起こすにつけ、東京に出てきてもう16年目、気がつけばハタチとなった今でも北海道の春も好きです。
 自分がガキの頃は実家のある西岡なんてホント空き地ばかりで何にもなく、一番有名だったのがマジもんのお化け屋敷だったくらいで(今でも空き地なんですよね…)、それこそ春の足音を少しずつ感じられるような環境でした。あまりにも何にもないため、中学時代に塾で「西岡帝国の酋長」なんてあだ名を付けられたりもしましたけど元気かクボッキー。今では自分の実家の周りもすっかり住宅地になってしまい、ふきのとうだのツクシだのもどじょっこだのふなっこだのもたぶんほとんど見られなくなっているんじゃないかと思いますけど、それでも雪国の人たちは冬が長く厳しいぶんだけ春を待ちこがれる思いは雪の降らない地域の人たちよりも強く、それこそこれだけ待ちこがれられたら春も本望だろうよってくらいみんな「みいちゃん状態」なんじゃないかと思います。そう考えると、札幌ドームができてからはこの時期でも札幌で試合ができるとはいえ、ホームのサポーターが「厚別開幕」に特別な思いを持っているのもわかるような気がします。

 ちなみに、西岡に引っ越してきたのがオレが4歳の時。その前は平岸の高台公園の側に住んでいました。小さかったので当時のことはそんなに憶えていないのですが、よく高台公園で遊んだ記憶があります。今では「水曜どうでしょう」ファンの聖地となり、内地から巡礼に来る人が後を絶たないそうですね。当時のあの周辺もそれこそHTB以外何にもなかったですけど、この間30年ぶりに周辺を訪れてみたらえらい変わっててびっくりしました。ハタチですけど。

posted by choo |01:20 | 雑記 | コメント(1) | トラックバック(1)

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Re:青いルビー

>それは舞い散る桜のように
センチメンタルなお話にコメントするのは野暮でしょうが…上京した時に幼なじみがついてきたのでしょうか?私は内地出身ですが、北海道の住宅が二重窓なのはカルチャーショックでしたよ。
それはそうと、札幌とその周辺も変わりましたよね。地下鉄が通ったおかげで、風の強い日に橋を渡って学校にいかなくて済むようになったし、うまいっしょクラブの「田舎のことは岩内で」での屯田論争も今は昔…かな?

posted by じゃがバター塩辛| 2007-04-01 20:20

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