2009年11月08日
浪越徳治郎先生
リクエストに答えて、室蘭の使者からのレポートです。 中山峠のお坊さんと留寿都村の赤い靴の女の子は次回以降に続きます。 留寿都村の道の駅 230ルスツにいました。 この方が、浪越徳治郎先生なんですね。 230ルスツは裏側が公園になっていました。 そこに、このような方もいました。 開拓の母だそうです。 この方も多発性関節リュウマチで苦しんだところを先生に 見てもらったのでしょうか。 世事に疎い私なので浪越先生のことは 「指圧の心は母心、・・・」 の決めぜりふくらいしか知りませんでしたが、やはり一つのことを極めるのは 並大抵のことではないようです。 先生の親指の指紋はすっかりすり減ってしまっていました。
3枚目の写真GOODですね!壁紙にします。 コンサの将来も、こんな感じになれば良いな