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2006年05月15日

逸らさない視線を信じる

自分はピッチに立って華麗にボールを捌くことなんてできないから、
だからサポーターは応援するしかできないんだよ。
そんな感じの印象的な書き込みを見かけた。

真実を全て知りえてもいないのに、頭でっかちな評論なんていらない。
そんなものはシーズン終了後にやればいい。
私たちには今、先にやらなければならないことがあるはずだ。

90分走り続けることは大変なことだ。
絶え間なく、思考をめぐらしていくのもやっぱり大変だ。
応援してる側より、ピッチの彼らの方がもっとずっと消耗してる。
その時だけでなく、毎日毎日消耗してる。

ピッチに立って戦う選手。
スタンドで声を枯らすサポーター。
それぞれ立場は違う。でも戦ってる。
両方がそれぞれ形は違えど戦って、足し算は掛け算にもなる。

目先の勝ち負けに一喜一憂もする。
でも、それが全てなんかじゃない。それは一部でしかない。
存在そのものが、自分にとっては欠かせない大切なもの。

だから、その存在を脅かすものは私にとって敵だ。
相手チームとまた別なネガティブという名の厄介な敵。
大事なものを、育て生かしていく以外の思考はいらない。

短いスパンではなく、長いスパンで初めて意味を成すこともある。
上手く行く事もあれば、そうでないこともある。
ふつうの人生でも、そんなことは数限りなくある。

だけど、過程で起きたほとんど全てのことには無駄なんてない。
上がったり下がったりしてるけど、確実に前には進んでいる。
積み上げたものを放棄することはいとも簡単にできるけど、
再び作り上げる時間は、多分とてつもなく難しく、厳しい。


まだシーズンは4分の1が終わったばかり。
スタンドに目を逸らさず見つめていた視線の強さを、私は信じる。
一番悔しくて、もどかしい思いをしてるのは彼ら自身だと思う。
壁をぶち破る知恵と経験は、多分もう備わっているはずだから。

posted by ERI |21:51 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年05月08日

成長痛

土曜日の試合、ずっとスカパーで見てました。

練習が足りないんじゃないかとか、
一生懸命やってないんじゃないかとか、
色々耳に目に飛び込んできますけど、
今のこのチーム一生懸命でない選手はいないと、私は思っています。

頻繁には行けませんけど、練習を見に行くと、
課題を克服しようとそれぞれ努力しようとしてる選手の姿が見えます。
試合で頑張ってない選手なんていない、とも思います。
戦ってるものにとって、勝負に負けることが悔しくないはずがない。

ただ何となく今感じてるのは、それぞれの頑張りのベクトル。
これが微妙に、あっちこっちに行っちゃってるんじゃないかなってこと。
チームとして、同じ方向をちゃんと向いてるつもりが、
実はそれぞれがちょっとずつ、視線がずれてるんじゃないかいとう印象。
その修正は、できるだけ早くやったほうが、苦しみは少なくてすむかな?

でも、このチームは2年間という時間をかけて築き上げてきた土台がある。
私はこの土台=基礎が簡単に崩れるはずがないと思ってます。
多分、壁に突き当たってるこの時、どうやってそれを乗り越えていくのか、
私なりの視点でしっかり見定めさせてもらおうと思っています。


ものが育っていく過程では色々な事があります。
自分の周囲の事を思い返してみても、最初から最後まで順調いったことは「稀」です。
転んだり、躓いたりしながら、全部の経験・体験を自らの糧として大きくなっていく。
失敗した事・辛かった事すら、その後の大きな喜びの前には笑い話になったりもする。

上手く行かないときは、精一杯自分の力を蓄えるチャンスかもしれない。
そして、蓄えたその全ての力を放出できる日が必ず来る。


「私」は、監督とチームを信じています。
この気持ちは何があろうと変わりません。
私にとって信じるに足るものを、この2年間ずっと見せ続けてくれましたから。

今、目の前で起きていることにも意味がある。全て偶然ではなく必然の。
放棄することは、いとも簡単に出来る。
でも、やり続けること、やり通すことは本当に難しい。
あえてその命題に取り組んでいる人たちへのリスペクトは常に持ちたいものだ、
と思っています。

posted by ERI |19:37 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(0)