プロフィール

【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。

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柳下監督の3シーズン(5)

2007年01月20日

 8月中旬にあの事件が起こってしまいました。選手の飲酒運転による人身事故。目の前が暗くなったのを思い出します。

  忘れてしまうことはできません。私は事故を起こした本人をコンサドーレで一番期待していたのですから。

  彼に対して絶対に許せないという意見は大半を占めるかもしれないですが、私はいつまでもブーイングを続ける人達とは友達にはなれそうにありません。

  地元出身であり、ユース出身の出世頭。どんどん選手が入れ替わろうともコンサドーレの屋台骨を支えるべき選手に育てていく必要がありました。彼のような不祥事を起こす選手をつくり上げてしまったのも、コンサドーレの責任。フロントだけでなくサポーターにも罪があるでしょう。

  愛する人を平気で裏切る行為をしてしまうような子供を育てた親は、まさに子の鏡。彼に対するブーイングは必ず自分の心に突き刺さるのです。

( つづく )


柳下監督の3シーズン(4)

2007年01月20日

 13連敗。チームの連敗記録を柳下監督の初年度である2004シーズンにつくってしまいました。

  私は連敗中、負けてはいるけれど実力でそんなに開きがあるとは思いませんでした。たまたま、悪い流れにハマりこんでしまったのだと。私はコンサドーレの実力は開幕のときにみせたサッカーを持続していけば、格段に進化すると考えていました。メンタルの弱さを指摘する人は多くて、財政的に厳しくても補強が必要ではないか?中盤の核となるようなベテランのボランチがいれば…。と、思いました。

  連敗は止まるべくして止まったと思います。運さえ味方すれば、勝っていたはずの試合が何度もあったのですから。でも負けの原因は確かにコンサドーレが作り出しているので、負けないための修正は必ず必要であったと思います。

  柳下監督は手取り足取り選手に指導などはせず、何事も自分からアクションを起こすことが大事と考えていたのではないでしょうか?そして、「負けない」ためのサッカーは決して指導しなかった。

  そして、コンサドーレはこれからだ!と、思っていた矢先に選手の不祥事が…。

( つづく )


柳下監督の3シーズン(3)

2007年01月19日

2004年の開幕戦。柳下監督のコンサドーレ初采配はホーム、札幌ドームです。

 私は2003年、一年でのJ1復帰を期待したのにボロボロにやられたことが頭にこびりついて離れませんでした。そこから若手主体に切り替えた2004年は半分あきらめの気持ちで観戦に行きました。

  ところが良いほうに裏切られました。コンサの選手は高いモチベーションで走り回り、全力を尽くして戦う姿を魅せてくれたのでした。

  この開幕に自分の持てる力を出しきってがんばるんだという感じに見える選手たちの姿をみて、柳下監督の指導力は素晴らしいと思いました。もしかしてこれなら、昇格争いをあきらめなくてもいいのかな?と思うほどに。

  しかし、このペースで飛ばしていたら後半ボコボコに得点取られるかも、と心配するほどに頑張っていたのですが、前半も時間が経つにつれ動きが悪くなり受け身の感じになり、いいサッカーが崩れていったのです。

 90分の内、60分ぐらいは確かに素晴らしいサッカーをしてくれました。しかし、残りの30分はプロのレベルにないサッカー。これをいかに一試合続けられるか?でも、楽しみなサッカーをしてくれそうな予感を感じたのでした。

( つづく  )


柳下監督の3シーズン(2)

2007年01月19日

 2004年の柳下監督のコメントです。

 「44試合やって最下位だったことは絶対忘れてはいけない。来年は逆の結果になるようにトレーニングをしていく。」

 「サポーターが最下位にいるにもかかわらず、これだけ応援してくれるチームは他にない。」

  柳下監督は選手たちにとって、常に厳しい印象となっているのでしょうか。

 就任当初はもっと選手に期待していたようで10人ぐらいは充分レギュラーのレベルにある選手がいると語っていました。しかし、実際にリーグの試合をこなしていく内に考えを修正したようでした。メンタルの弱さや攻守ともに連携の無さが目につきました。

  ただし一試合90分の内、何分かは非常に素晴らしいサッカーができていたのです。しかも、私の観戦した感想としては開幕戦は2003のシーズンのサッカーよりも好印象でした。

( つづく )


柳下監督の3シーズン(1)

2007年01月19日

 柳下監督の指揮した3シーズンは「コンサドーレスタイル」といえるもの探求、フロント・監督・選手・サポーターが何らかのイメージを求めて戦った3年間だったと思います。

 それまでの7年間の積み重ねは「無」には決してしたくない。負債に苦しむコンサドーレが存続できなくなることだけは、絶対に避けたかった。

 季刊「サッカー批評」でツギハギだらけの経営で負債を積み上げた歴史だったと酷評された。確かに的を得た内容ではあったが、コンサドーレは燃え尽きることなくチームの強化計画(5段階計画)をつくり、柳下監督を招いたのでした。

 柳下監督の求めたサッカーは相手に合わせることなく、自らの意思でゲームを支配する、「アクションサッカー」。

 HFCのコンサドーレのコンセプトは「戦うチーム」。

 サポーターは、どんなサッカーを求めてきたのでしょうか?2004年のころに戻って考えたいと思います。

( つづく )