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2000年5月に厚別デビュー。 同年7月29日の浦和戦にてコンサにはまる。 娘は学業専念のためダンスはお休み中。 今年は普通のサポーターに戻ってゴル裏復帰予定。 家族揃って死ぬまでコンサを応援し続けます。

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のんびりと

2008年01月01日

実家で過ごすのは三年ぶりになるお正月。
父のいないお正月にこれから慣れていくのかな、などと思いながら父愛用のPCを拝借してこれを書いている。
今朝、紅梅がひとつだけ花を咲かせた。
今年は良い一年になりそうだ。
道南なのになぜか札幌よりも雪が多い。
明日は神社に行った帰りにお墓にも寄ってこようと思っている。
「サッカーで優勝したよ」とようやく報告できる。
一度もスタジアムに連れて行ってあげることはできなかったけれど、今年は空の上から応援してくれるだろう。
We areとの試合のときはどちらを応援してくれるのかな(笑)

紅梅 初梅



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10:47

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師走

2007年12月30日

さすがに12月だけあって慌しく、全くブログも更新できないまま今年の終わりを迎えようとしている。
今年は本当に大変な一年だった。
正直苦しかった。
大切なものを沢山失ったし、それに伴って身体の調子も崩してしまったし・・・
それでもコンサの優勝で終わることが出来たのだから、来年への希望へ繋がるというものだ。

私は一月生まれなので、今年が終わるということはまたひとつ歳をとるということになる。
ぶっちゃけ今年で30代が終わるわけなのである。
波乱に富んだ30代だった。
どちらかといえば苦しいことの方が多かったけれど、幸せの質の方がずっと勝っているんじゃないかな。
この30代という10年間で得たものは自分にとって必ずプラスになると思っている。
というよりも、自分にとってプラスになることしか人生には起きないと思っている超楽天的な人間なのだ。
今は未来のプロセスで、今自分に起こっていることはたとえ辛くても自分にとって必要なことだから起こっているのだ、と。
人生にはリセットボタンもクリアボタンも無いということも改めて思い知らされた10年間だった気がする。
何も無かったことには出来ないけれど、何度でも始めることは出来るのだ、と、この10年で何度も咀嚼しながらようやく理解出来た。
沢山の人との出逢いも自分を救ってくれた。
自分にとって大切なものが何なのかもようやくわかりかけてきた。
そう思うと苦しかったけれど、充実した30代だったのだと思う。

来年はきっと素敵な年になる。
漠然だけれどそう思う。
たぶんコンササポの大半がそう思っているに違いないけれど(笑)
ひとつステップを上った場所で何かをすることは大変だけれど、上ったものにしか見えないものがある。
新しく見えたもの、得たものを素直に喜んで、苦しいけれど頑張って欲しいと思う。
そのためのサポートなら惜しまない。

もうすぐ今年が終わる。
長くて苦しかった時間がもうすぐ終わる。
さぁ、気合を入れていかなくちゃ。


以前、バンドを組んでいる友人から曲に歌詞をつけて欲しいと以来があったことがあった。
(今でこそ全くしていないけれど、その友人も私もそして旦那様も数年間まではネットでの曲作りを盛んにしていた。)
タイトルが決まっていて、それをどう組み入れたら良いものかかなり悩んだけれど、自分なりに解釈して書いてみた。
今朝ふとその曲が頭に流れて、数年前に綴った言葉だけれど、今の自分にぴったりかもと思ったりした。
何度も落ち込んでは自分自身にハッパをかけて頑張ってきた(つもり)
何を同じことしてるんだと自己嫌悪に陥るけれど、そうやって繰り返しながらようやく私と言う人間が形成されているのだから許して欲しい(誰に?)
「Happy Valentine」(曲も流れます)

「人生を振り返ることは出来ても
後ろ向きに進むことは出来ない」

私の座右の銘になっている言葉。
今までの自分を全部背負って、それでもスキップしながらこれからの人生を生きて行きたい。
大好きな人たちと手を繋ぎながら・・・

喪中なのでおめでとうは言えないけれど、皆様に良い年を迎えられるよう心からお祈り致します。
来年も皆で一緒に頑張りましょう!!


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07:15

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幸せな不幸

2007年12月05日

わかってた。
優勝に、昇格に浮かれていたけれど、この季節はそれだけじゃない。
はじけるような笑顔で優勝写真に写っていた選手が、チームを去ることになる。
わかってた、わかってるけど、鼻の奥がつーんとなる。
2000年からサポになって、だからもう8回目の冬なのに、こればっかりはどうしたって慣れない。
いつのまにかチームの新しい戦力の方が気になって、うずもれてしまうけれど、心の奥には何年たっても溶けない想いが透明な層をなす。
それは幸せな不幸なのかもしれない。
それだけ何かを好きでいられた気持ち、それだけ誰かに感謝できる気持ち。
コンサを、サッカーを好きにならなかったらこんなふうに思うこともなかったかもしれないんだもの。

どんなに選手が変わっても、チームを応援する気持ちに揺るぎはなくて
去って行った選手がどこにいても、彼らを応援する気持ちも変わらなくて
「変わりながら変わらずにある」もの
「どこまで見届けても諦めのつかないもの」
そんな言葉たち(村山由佳さんの小説に出てくる言葉です)にそっくりな自分にとっての大切な何かが、この8年で確実に増えていった。

またJ1で戦うんだ。
それはきっと素敵だけど、今よりずっと厳しいことんなんだ。
はしゃいでいられるのもあと少し。
だから今はおもいっきりはしゃぎたおそう。
それが去っていかなければいけない選手へのエールにもなると思うから。

ありがとう。


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22:12

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J2最後の風

2007年12月03日

なんてドラマティックな幕切れだったのだろう。
90分声をからした。J2最後の追い風になるように。
試合終了のホイッスルの後、ビジョンに映し出された文字を見て、優勝したことを知った。
勝って終わりたかった。
昇格できればいーや、って言ってみても、ずっと首位で来たのに緑に奪われてそのままっていうのは悔しかった。
だから優勝できたのは本当に嬉しかった。
試合が始まる前から最終戦の雰囲気にのまれてちょっとウルウルしていたけれど、終わって、やっぱり泣いてしまった。
誰もが浮かれている中で、一番冷静だったのは芳賀ちゃんだったのかも。
「ここからがスタートだ」ってあんな中で言えるなんて、やっぱり最高のキャプテンだったよ。

ゆっくりとドームを出たあと、昇格できるまで、とがまんしていたクラッシックを買って、コンビニの前で旦那様と二人で祝杯をあげた。

号外

宮の沢に戻って、軽く食事をすませてから白恋へ向かった。
雨だったけれど、良いセレモニーだった。
終わった後、西澤がサポひとりひとりに握手しながら歩いてくれたのが印象的だった。
やべっちFCにはセレモニー後の若い衆がはしゃぎながら映っていた。
来年も笑ってシーズンが終われたら良いね。

私たちの声が風になる。
きっと、もっと高く飛べる。
長い冬が一足早くあけた。
小春日和なんかじゃなくて、チームにホントの春が来ると良いな。

白恋のツリー



昨夜、書き終えてPCを落とした後に、健作の引退を知った。
ここで何度も書いているけれど、私がサッカーを、コンサを好きになったきっかけを与えてくれたのが彼の浦和戦でのゴールだった。
私の中では今でも彼が「Mr.コンサドーレ」なのだ。
健作、お疲れ様。
健作もここからがスタートなんだね。
あなたが何をしていても、これからもずっとエールを送る気持ちは変わらない。
健作にとっての追い風もきっと、たくさんたくさん札幌から吹いていると思う。
頑張って!


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01:04

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満ち時

2007年11月30日

職場のTVはデフォルトでSTVがかかっているのだけれど
夕方になると最終戦のCMが流れている、らしい。
らしい、というのは画像は見ていないので。
仕事をしていると「おーれーたちのまちのほこり♪」とサポの唄声が聞こえてくるのでTVを見ようとするのだけれど、結局間に合わずにどんなCMなのかよくわからない。
YouTubeでも見つけられない。
ものすごく気になる・・・

あー、胃が痛い。
1日は「絶対うれし泣きしようね」と友人と約束した。
今日、家に入れ替え戦の優先購入の葉書が届いていたけれど、そんなものは必要ないと信じている。
でも、胃が痛い。かなりやられてる。

朝、8時頃、通勤のバスの窓からまだ月が見えている。
満月を過ぎた月は昇るのがどんどん遅くなっていく。
でも、遅く昇った分、白くなってもまだその姿を残している。
ゆっくり昇るのも悪くない。
6年もかけたんだ。
今が満ち時。
さぁ、最終戦。
勝って、昇ろう。


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01:10

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自分の足で

2007年11月25日

あわよくば・・・という気持ちで見ていた京都戦。
引き分けでも昇格が決まるとあって、コレクションハウス横で観戦していた私たちにはクラッカーが配られ、試合終了のホイッスルと同時に紐を引いてね、という説明までされていた。
でもロスタイム直前、そう、前節のあのPKとほぼ同じタイミングで京都が決勝点を入れた。
試合が終わり、しばしの沈黙の後、コールが起こった。
梟巣から出てきた選手を見送るものだった。
他の選手からかなり遅れて、ゆっくりと梟巣の階段を下りてきた大塚の姿もあった。
まだ痛そうに足を引きずっていた。
緑も勝ってうちは2位。
最終戦はなんとしても勝たなければかなり危うい状況になってしまった。
ホームで、勝って、自分の足で昇格しろという神様のメッセージなんだと思った。
大塚の姿を見て、絶対に勝たなきゃいけないという思いを強くした。

最終戦、仕事はなんとか休みにした。
夜に予定が入っていたのもぶっちぎることにした。
ネガってる場合じゃない。
信じなければ前には進めない。
気合入れていくぞー(^_^)/


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21:23

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解禁日

2007年11月15日

今日はボジョレーヌーヴォーの解禁日だ。
健康診断では昨年引っかかった肝臓も今年は大丈夫とのお墨付きをもらった(?)ので安心して飲めるのだ。
ここ数年頼んでいるところから今年も飲み比べ3本セットを注文した。
ネットで頼んだので万が一今日受け取れなければ大変だということで、念のため帰りにも買ってきた。

パカレ(美味しい!)とウサギ
とっておきのパカレとウサギのエチケットが可愛いワイン。
ここ数年の定番。

3本セットの1本と神の雫
去年も買ってアタリだったアルベールビショーのワインと3本セットのうちのビオワイン。

ロゼヌーヴォー
日本では今年から、というロゼヌーヴォーも普通のと微発泡のものを入手した。
微発泡のものは優勝が決まったら飲もうかな←今年飲めるのか(^^;

ボジョレーヌーヴォーは若いワインだからそれほど美味しいものではないのだけれど、それでもやっぱり毎年のように飲んでしまう。
今年は父にも飲ませてあげよう。
思えば父とボジョレーヌーヴォーなんて飲んだことはなかった。
初めての乾杯が遺影とだなんてちょっと淋しいけれど、酒好きの父のことだ、笑って許してくれるだろう。
四十九日も過ぎ、ようやく綺麗な場所でのんびりしている頃かな?
夢にも出てこないということは、思い残したことは無いのだと思う。

さて、日曜日は大事な京都戦。
午前中、病院に行かなければいけないので、診察が終わったらすぐに駆けつけるつもりでいる。
昨日、いつもの患者さんサポに「日曜日ね!」と声をかけられた。
最終戦は駄々をこねて仕事を休むことにした(笑)
12月1日まで駆け足の日々だ。

うっすらと積もるほど雪らしい雪が降った。
「白い恋人」も製造を再開した。
今日はいろんな解禁日なんだなぁと思った。



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20:17

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読書の秋

2007年11月07日

先日、ソダンが本の推薦なんていうのをしていたけれど、私も短い通勤時間で本を読んでいる。

東野圭吾は好きな作家だ。
最初に読んだのは「白夜行」だったろうか?
あの話がドラマになると聞いた時はとてもびっくりしたけれど、あれはあれでよく作られていたと思う。
今も「ガリレオ」が放送されている。
トリックは原作と同じだけれど、設定は少し違っている。
なにより、最初は佐野史郎をイメージして書かれたという主人公を福山が演じているし(笑)
相手役の刑事も女性ではなく男性(ドラマでは北村さんが演じている役)。
でも、ドラマの設定も充分面白い。
原作は短編集なので読みやすいので、東野圭吾を初めて読むという方には結構オススメなのかも。
長編を読み始めると止まらなくなってしまうので、通勤中の読書には短編の方が良いのかもしれない。
今週末は四十九日でまた実家に帰るので、JRやバスの中で読む時間がたっぷりある。
さて、何を持っていこうか。

なんてのんびりしたことを書いてはいるが、結構ドキドキしている。
他力本願もずいぶんあるけれど、もしかしたら今週末には昇格が決まるかもしれない。
条件としてはうちが勝つのはもちろん、京都と仙台が引き分け以下。
うーん、仙台には気持ちとしては是非勝ってもらいたいのだけれど・・・
NHKでも放送が決まったので、実家でも見ることが出来るだろう。
その時間帯はまだ「We are」な兄は到着していないかな。
さてどんな結果になることやら。

明後日は健康診断。
病み上がり(まだ上がりきってない)で不健康そのものなのに・・・
まぁお酒はずっと飲んでいないから肝機能は大丈夫、なはず・・・
そうそうインフルエンザがもはや流行だしているそう。
選手はせっかく怪我が治ってもインフルエンザなんてことにならないように気をつけて!!


post by LUNA

00:29

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毎年恒例

2007年11月03日

気がつくともう11月で、初雪も降ったりして。
でも自分の中ではいろんなことがありすぎて、忙しすぎて
10月の記憶なんて何もなくて・・・
あまり良いことのなかった1年だけれど、今年もこの時季がやってきて
ファクトリーのツリーの点灯式に行ってきました。
いつからか忘れてしまったけれど毎年点灯式には行っています。
今年は道路が混んでいて点灯式には間に合わなかったけれど、
ライトアップされたツリーを見てきました。

クリスマスツリー

そしてこれも毎年恒例で、豚まんも食べてきました(笑)

おなかいっぱいになる大きさ

出かける前にはナビスコ杯が放送されていて、藤くんとかバンちゃんとかのとびっきりの笑顔が見られて
あぁ、やっぱりタイトル取るってすごく嬉しいことなんだ、と思いました。
J1昇格が目標で、あと3試合、なんとか持ちこたえることができそうだな、とは思うけれど、ここまできたらやっぱり優勝したいな。
1番じゃなきゃ意味が無い、なんて思わないし、昇格して、これからもJ1に残留できることのほうがずっと大切だけれど、でも、気持ちとしてはやっぱり優勝したい。
思いっきり喜びたい。
全くもって個人的な理由だけれど、まるで良いことのなかった1年でも、コンサが優勝してくれたら吹き飛んでしまう、きっと。
神様なんていないって今年ほど思い知らされたことはなかったけれど、
もしもサンタクロースがいるのなら、良い子にしていたうちのチームの子達を見ていたでしょう?
クリスマスにはまだ早いけれど、優勝という名前のプレゼントが届くと良いなぁ・・・



post by LUNA

22:18

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不完全燃焼

2007年10月14日

ドームの仙台戦以来の久々の観戦だったけれど
仕事が終わってからだったので後半開始からの観戦となった昨日。
いつもならば、そして今のチームの状態ならば、どんな勝ち方でも勝ち点3をGetできたことで満足するはずの私なのだけれど・・・

なんなの、あのグダグダ感は?
なんなの、あの雑なボールさばきは?
なんなの、ゴール前でシュート打たないうちのFWは?
こんな試合してたら絶対今年は昇格できないわ、と
一人で苛立ちながら帰途についたのだった。

前半も見ていたなら、少しは気持ちも変わったのだろうけれど
無理して寒い中(思ったほどではなかったけれど)出かけていったのに
あんな試合を見せられるなら行かなければ良かったと思った。
結果だけを見たのなら、きっと「ようやく勝てたねー」で終わったのに・・・
勝ったはずなのに嬉しくない、不完全燃焼状態だった。

なんだかこんなふうにボヤいているのは、やっぱり自分のメンタルな部分が大きいのだと思う。
ここしばらくブログの更新もできていなかったのは、父が逝ってしまったから。

父の愛した夕陽
ここから先は暗い話の長文なので、スルーして下さい。 自分で何かに書き留めておきたいと思ったので・・・



父は4年前に食道の大半と胃の全部を癌のために摘出した。
今まで転移することもなく、そこそこ元気に生活もしていた。
食べる量が減って、体力が落ちていたけれど、それでも車だって運転していたし、年齢のわりにはサイバーで、私たちよりずっと良いスペックのPCを使って、実家に帰るたびに父の書斎は新しいプリンターやら外付けのHDやらが増えていた。
函館から車で1時間半ほどの田舎の町に住んでいる両親は、病院も手術やその後の大きな検査は函館の病院に通っていたが、いつもは地元の道立病院に通院していた。
それでも定期的に検査もしているし、と安心していたけれど、実際は違っていた。
今回の直接の死因は肺炎ということになる。
食道癌の再発に起因するものとのドクターの見解だし、もちろんそれは間違いないのだろうけれど、実際肺炎が起きたのは、内視鏡検査の後だった。
翌々日から咳と高熱が出た、と電話で知らせてきた母に、感染症も心配だからとにかく病院に連れて行くように勧めた。
電話で病院に問い合わせたら、「内視鏡と発熱は関係ありません」と言われたそうだ。
もともとあまり病院に行くのが好きではない父は、そう言われたなのなら、と担当医の外来診察のある日まで受診しなかった。
受診した時には熱が平熱まで下がっていたということもあり、ドクターはレントゲンもとらずに解熱剤と抗生物質だけ出してそのまま診察を終えたという。
帰宅して(自分で車を運転して出かけたそうだ)、少し寝て、トイレに起きて、そこで倒れて救急車で運ばれた。
その時には肺はもう真っ白だったそうだ。
私も知らなかったことだけれど、父はもともと腎臓の調子も良くなく、最近ではかなり腎機能が落ちていて、透析するかしないか、という話にまでなっていたそうだ。
腎臓の機能が落ちているということは、解毒作用が働かないということ。
脱水症状も併発し、強い薬を使えないということに繋がる。
肺炎がもっと早くにわかっていて、小さい状況だったら、なんとか薬で対処できたし、腎臓がそこまで悪くなければ、強い薬を投与することもできたけれど
悪因子が重なって、父は入院した時には手遅れの状態だったということになる。
それでも入院してすぐ意識も戻って、普通に会話もできていたので、母もそこまで悪いとも知らされておらず、私や兄にも「入院した」という電話だけだった。
入院から3日目の朝、兄から「家に電話しても昨夜も今朝も誰も出ないし留守電にもなっていないから気になる」というメールが入った。
たまたま仕事が休みだった私がお昼頃に電話してもやはり繋がらない。
母の携帯も電源が入っていないままだった。
しばらくしてから母から「昨夜、父の意識が混乱して、ちょっと危ない状態だから、できれば子供たちにも話をしたいとドクターが言っている」と連絡が入った。
兄と連絡を取り合い、夜には函館に着き、そこからレンタカーで地元の病院に9時過ぎに着いた。
着いた時、父はうなされていた。
私たちが来たということは母に言われてわかったが、第一声は「孫たちは?」だった。
「子供じゃなくて孫かい」と悪付きながらも、私も兄も正直心配でたまらなかった。
その日は夜遅かったので、ドクターとは次の日に話しをすることになり、夜は三人で交代で父に付き添った。
田舎の病院で、看護士の人数も足りないのか、普通ならば完全介護で付き添いは要らないといわれるだろうと思っていたのに、付き添い大歓迎という感じだった。

翌日、兄と私の二人で話しを聞いた。
肺炎の状態はかなり悪く、ここまで急激に広がるというのは癌の影響だと考えて間違いないということだった。
実際に写真を見ても、一部残った食道から肺に向かって何か伸びているのが見えた。
そのドクターは父の担当になってまだ3ヶ月ほどだった。
4年前の手術後、函館の担当外科医と連絡を取りながら父の経過を観察していたはずの地元のドクターは、実際にはやるべきことをあまりしていなかったらしい。
去年の6月には食道癌のマーカーが上昇しているが、リンパの肥大はみられないので経過観察という報告が函館の担当医からされていたが、どういう「観察」をしていたのかわからないが、きちんと検査をしている形跡はなかったそうだ。
地元の担当医が変わってから、何年かぶりに内視鏡検査をすることになった。
それまでは術後の傷口さえ触診することもなかったという。
ドクターの考え方や治療方針はさまざまで、ドクターからドクターへの指示というのはいろいろな面で難しいのだと思う。
だから函館の担当医と地元の担当医の間で意思の疎通が上手くいかなかったというのは仕方の無いことかもしれないけれど、
少なくとも医療の現場にいる人間ならば、もう少し患者側に立ってもらいたいと思わずにはいられなかった。
入院直前の受診の時だって、今熱がなくても熱が何日か続いていた、とか、咳が出ていた、とか、患者が何も言わないからそれでスルーしてしまうのではなく、ドクターから問いかけることは出来なかったのだろうか?と思う。
私は薬剤師なので、ドクターからの処方箋を患者に渡す仕事をしている。
カルテはないから、患者の病状などはその場で聞くしかない。
幸い整形外科の処方が多いので、あまりナーバスな病状にぶち当たることはないけれど、それでも患者に聞くことの大切さ、難しさは相当なものだ。
「病院で医者に話したから、あんたたちはさっさと薬だけを渡してくれたら良い」という患者が多い。
それだけ患者はドクターを信頼している。
そういう立場なのだ、ということをドクターや看護士はもっと感じて欲しいと思った。
もちろん、本当に良くしてくれた看護士さんもいたし、ドクターも一所懸命やってくれたとは思うけれど、命にかかわることは取り返しがつかない。
だから遺族の気持ちって普通は許せることでもなかなか整理がつかないのだと思う。

このまま肺炎が治らなければ、体力的にもって1週間だとその時に宣告された。
母にはそこまでリアルな数字は言うことが出来なかった。
それでも私たちが着いて3日目くらいには少し落ち着いて、少しだけ話もできるようになっていた。
けれど、3日目の夜からまた悪化した。
悪化したというのを知らされないまま、「良くなってきているので、ここで少し強い薬を使って一気に治しましょう。ただ、副作用が出るかもしれないので承諾書を書いてください」と母が連れて行かれ、承諾書を書かされた。
私は仮眠あけでぼーっとしていてあまり状況が良くわからなかったけれど、血液検査の結果だけみて、父を診察もしないうちにそんなことを言い出すドクターに不信感を抱き、不安な気持ちでいっぱいだった。
結局、「強い薬」を投与しても父の症状が良くなることは無く、意識があるのはあと2日くらいだろう、と言われ、その日のうちに娘と主人を呼び寄せた。
兄はひとまず帰って仕事のめどを付けて、家族を連れてすぐに戻ってくるということになった。
兄が帰る時には父の意識はずいぶんしっかりしていて、孫の写真を見せろ、と言って、兄の飛行機代のことまで心配していた。
夜には娘も到着し、その時の喜びようったらなかった。

その日の夜中に急変した。
今まであまりワガママを言わなかったのに、どうしても外に行きたいとダダをこね、「熱が下がったらね」となだめた。
少し眠った後、急にむくっと起き上がろうとするものだから止めた、それでもまた起き上がった、その後から意識がなくなった・・・
もってあと3~4時間と言われた。
兄は間に合わなかった。
「みっともないところ見せたくなかったんだろう」と兄は言った。
母と主人と娘と私の4人に見送られて父は逝った。
十五夜の日の朝だった。
「ロマンチストな人のすることだから」と母は言った。
そういえば病室の窓からも綺麗な月やオリオン座が見えていた。

それから後はバタバタだった。
母は父の死を受け入れられず、少し間、記憶を失った。
兄が到着するまで私が葬儀の関係も進めなければいけなかった。
なんとか母も回復して、葬儀も終えたけれど、初七日が過ぎるまではあまりに忙しくて、悲しむ暇もなかった。
仕事も約2週間休んだ。
一度札幌に戻り、また3連休だったので、土曜日の仕事の後に帰省した。
ようやく先週から普通の生活に戻った。
大学から親元を離れていたので、父がいなくなったいう実感が正直あまりわかない。
普段どおりに仕事をしているし、昨日は試合も観に行った。
兄とは相変わらずサッカーの話で盛り上がる。
少しだけ実家に電話する回数が増えたことと、母が必要に迫られて携帯のメールを練習し始めた、ということ以外は何も変わらない気がする。
もっと実家に帰っていればよかった。
夏休みだって少し無理をすれば帰れたのに。
函館戦の時だって、少し無理をすれば、孫の顔を見せることだって出来たかもしれないのに・・・
GWにたった1泊しただけで、今年はあまり会う機会もなかった。
親孝行は死んでからは出来ないというけれど、まだまだ時間はあると思っていた。
まだ73歳だったのに・・・


地元の夕陽はとても綺麗だ。
地元を離れるまで、太陽は海に沈むものだと思っていた。
水平線に触れてから沈むまではあっという間で、燃えながら沈んだ後、空を焼いていく。
じわじわと広がる黄昏は、これから先少しずつ広がっていく父の不在の悲しみと似ているのだと思った。


post by LUNA

11:44

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