スポンサーリンク

2006年12月04日

今日4日は、曽田デイ!

今日4日は、曽田デイ!
DF曽田雄志を応援しよう!!


今日の温度(JR札幌駅近くISHIYA温度計)
今季で退任の柳下監督が札幌に別れ/J2
<J2:鳥栖2-0札幌>◇最終節◇2日◇札幌ド

 サヨナラ、ヤンツー。コンサドーレ札幌は鳥栖に0-2で敗れ、ホーム最終戦を白星で飾れなかった。今季限りで退任する柳下正明監督(46)にとってはホームラストゲーム。就任3年目の今季、目標としていたJ1昇格には届かなかったが、試合後は吹っ切れたような笑顔で場内を1周した。リーグ戦は3年間で42勝39分け55敗。若手育成などの足跡を残し、札幌での指導者生活に区切りをつけた。

 深々と頭を下げた。試合後、柳下監督がマイクの前に立った。1万4349人のサポーターに謝罪した。「私の責任です。本当にいいチームになってきましたが、強いチームにはなっていなかった」。1分16秒のメッセージに道半ばにして札幌を去る無念の思いを込めた。

 最終戦も何も変わらなかった。0-2の後半6分、MF西谷に代え、1年目のMF藤田を送り出した。後半29分にはFW中山を入れ、3トップ気味にした。攻撃的な姿勢を貫いた。敗れたとはいえ、標ぼうしていたこちらから仕掛けるサッカーを、最後の最後まで貫いた。セレモニーでの場内1周ではサポーターの大声援の中、何度も手を振った。札幌の監督就任後初めて見せる吹っ切れたような笑顔で、ホームに別れを告げた。

 04年の監督就任当初、選手たちの姿勢に驚いた。ミーティングでも座って話を聞き、ボールの上に腰掛けて発言していた。すかさず「話は聞くときは立ったまま聞け」と指摘。シュート練習の順番待ちをする選手には「ジョギングしろ」と言った。練習中、一瞬でも気を抜かせない高い集中力を求めた。3年間の熱い指導で選手を戦う集団へと変えた。

 就任3年目の今季。「上がらなければ辞める」と進退を懸けて挑んだ。シーズン途中、10戦未勝利と停滞した時期には、「今、取ったら(選手が)死んじゃう」と途中補強は求めなかった。在籍する選手を信頼した。だから進退問題が浮上しても「自分からは辞めない」と途中で投げ出さなかった。男のプライドだった。順位は昨年と同じ6位、J1昇格の夢もかなわなかったが、若手育成など3年間残したものは受け継がれる。

 この日、サポーター席には柳下監督の1月1日の誕生日に引っ掛け、「おたんじょう会in国立」と書かれた横断幕が張られた。「天皇杯に向け、1試合でも多くやれるようにやっていく」。リーグ戦は終わったが、天皇杯の夢はまだ続いている。【長島一浩】

 ◆柳下正明(やなぎした・まさあき) 1960(昭和35)1月1日、静岡県浜松市生まれ。浜名高-東農大-ヤマハ発動機(現磐田)。現役時はDFでワールドユース出場(79年)天皇杯優勝(83年)日本リーグ1部優勝(87年)。31歳で現役引退。93年から磐田でコーチ、ユース監督、サテライト監督などを経て03年監督となり同年度の天皇杯優勝。04年に札幌監督に就任。家族は妻と1男1女。

[2006年12月3日 日刊スポーツ紙面から]
ヤンツーさん北海道での3年間ありがとうございました。



posted by dome123 |06:53 | コンサ | コメント(0) | トラックバック(0)