2006年01月04日
はじまり-設立総会
OSC団長からタスキを渡されました。続きと発足後の事業の思い出をのんびりペースで書いていきたいと思います。
その前に、「あけましておめでとうございます。本年も当後援会の事業につきまして特段のご協力をお願いいたします。」
さて、設立時の話ですが、なんだかやたらやることがあったのですが、詳細はよく覚えていません。薄い記憶をたどると「設立準備作業有志募集」のお知らせを新聞に載せていただいて、集まった10名ほどの人間で準備を進め、設立総会はいつにする?えーいこの際だから12ですべて統一しよう!というわけでH12.12.12にしたことを記憶しております。なお、設立に当たっては、有力者から地域の経済界とのつながりも重要とのアドバイスをいただき、ご尽力していただきました。
設立総会ではHFCから提供していただいたグッズのオークションをやり、この売り上げで当時募集していた「持株会」にも後援会名義で2口参加することができました。また、いろいろな人にお願い(多少強引ぎみだった?)して個人の持株会員を新規で20口ほど集めました。この時のオークションに出品されていたものですが、今あらためてリスト見ると!!こんなすごい物出てたのね!!というかんじです。
また設立時の会長、副会長のご好意で後援会旗を作っていただき、総会時にご披露することができました。この旗は今だからいえるけど、総会に間に合わせるために無理して作っていただいたので時間が無く、デザインはその辺にいた人と相談して5分くらいで決めたものです。
posted by じむきょくちょ! |16:46 | 沿革誌 | コメント(0) | トラックバック(1)
2005年12月20日
はじまりーその後
伊達地区後援会設立の発端を、これまで記してきました。(はじまり1-5)
だいぶ間が空いてしまいましたが、続きを・・・
コンサドーレ札幌の選手を招いてのイベントも盛況のうちに終わり、スタッフの
方から後援会の設立を働きかけられた。
また、初めから手探りの状態で事を進め始めた。ある程度の資金力・ブレーンも
必要だろうし、サッカー協会の関わりも大事だろうし、、、
今回は後輩Tと二人だけでは難しいことは明らかであった。
そこで、現じむきょくちょの登場である。イベント中も僕らの傍にいて、
色々と積極的に手伝ってくれていた。「あいつは使える」後輩Tとほくそ笑んだ。
なんやかんやと理由をつけ、持ち上げて設立準備代表に仕立て上げてしまった。
ゴメン・・・今だから話せるけど。
そんなことで、じむきょくちょの精力的な活動により、H.12.12.12に
めでたく、設立総会にこぎつけたわけである。ありがとう、じむきょくちょ!
この後のこのカテゴリー「沿革誌」はじむきょくちょにバトンタッチします。
有珠山噴火を契機に、このようなつながりが出来た。
この年、HFC・コンサドーレ札幌には被災地に対し、色々な活動を通じて様々な
援助をしていただいた。これについてはまた稿を改めて・・・
posted by 団長 |17:10 | 沿革誌 | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年12月02日
はじまりー5
明日12/3、今シーズンの最終ゲームに伊達地区後援会ではバスツアーを企画
した。伊達から老若男女を乗せたバスが、札幌ドームへコンサドーレの応援
へと向かう。これまで何人の人が、このバスに乗って札幌へいっただろう。
2000年夏、僕らの忙しい夏は成功裡のうちに終わった。
子供たちも喜んでくれた、噴火でちょっと元気のなかった街もあの時はみんな
笑顔で楽しいひと時だった。コンサドーレに関心を持ってくれる人も増えただ
ろうと、後輩Tと自己満足の世界に浸っていた。
打ち上げの席で、HFC担当部長が地区後援会の話を切り出してきた。
まだ、当時は後援会組織もあまり存在しておらず、これを契機にということで
あった。選手たちを目の前にしていた僕らは、確かに高揚していた。
後輩T 「いいですよ、やりましょうー」
「今日もこんなに大勢の人が来てくれたしー」
えーっ``、またかよー、お前軽すぎるぅ~ と内心絶叫していた。。
「J1に上がります」と力強く言ってくれた選手、「後援会の件、よろしく」と
力強く握手を求めてきた部長。手を振りながら彼らは去っていった。
とても嬉しく充実感を味わっていた、と同時にその重責に後輩Tの足を
踏みつけていた・・・
posted by 団長 |18:17 | 沿革誌 | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月30日
はじまりー4
まず、初めにお詫びを・・・
あいまいな記憶を頼りにこの「はじまりシリーズ」を書いておりましたが、
ご指摘がありましたので、訂正をさせていただきます。
「はじまりー3」おいて参加いただいた選手に間違いがありました。
和波選手ではなく、池内選手(現在 得点王)でした。
このイベントに参加されていた方からコメントをいただきました。
避難民さんありがとうございました。
ご指摘があった後、当時の資料を探し出してわかりました。ブログを書かなければ
という気ばかり焦っておりました。申し訳ありません。
お詫びついでにもうひとつ、イベントのタイトルもかなり違ってました。
正式には「噴火に負けるな、希望と夢を、-サマーサッカーフェスティバルー
~コンサドーレ札幌の選手を迎えて~」というものでした。
年齢を重ねると、ほんと記憶ってあてにならないもので・・・言い訳ですが
ということで、続きです。
選手のサインやグッズを手にした子供たちが、笑顔で帰って行きました。
後輩Tと「やったなぁー、やって良かったなぁ」とお互い、はんべそで
ヨーデルを奏でていました。
会場の片付け後、HFCスタッフ、選手の方々と慰労会というか、打ち上げを
催しました。本当にみなさん好青年という感じで、我々の質問に親切に答えて
下さったり、試合での話などなかなか聞けないことも、面白おかしく話して
くれました。
帰り際には「絶対J1に上がります」と力強い言葉を残して、伊達の地を離れて
行きました。
チームは連勝街道を驀進中ではありましたが、タイトな日程の中、ご協力を
いただき本当にありがたく思いました。
このイベントには、コンサのレプリカを着て来場されている方が意外に多く
驚きました。私は一人や子供を連れて単独で行くことが多く、この地域にも
けっこうサポがいるんだなぁと・・・
中には札幌や函館から来て下さったサポーターの方もいて、嬉しく思いま
した。
そんな中、会場で声をかけてきたのが、現事務局長Y君でした。
このY君の精力的な行動がなければ、伊達地区後援会は存在しなかったでしょう。
posted by 団長 |15:37 | 沿革誌 | コメント(4) | トラックバック(0)
2005年11月28日
はじまりー3
「コンサドーレが伊達にこないかなぁ」と何気なく発した言葉が、実現する
時がやってきた。
「噴火に負けるな、~コンサドーレ札幌 少年サッカー教室~」
会場に集まったのは、近隣のサッカー少年団に所属する子供たち、また
少年団には所属していないがサッカー好きの子供たち、合わせて180人。
その子供たちの父母、コンサドーレサポーター、ファン、たまたまお祭りに
来ていた人など合わせて500人。
関係者などを含め700人を越える人が2000年8月5日、青空の下伊達カルチャー
センター芝生広場に集った。
子供たちの「コンサドーレ!」コールが響くなか、選手たちが駆け足で
入場してきた。
参加した選手・コーチは
・財前 恵一 コーチ (現トップチーム アシスタントコーチ)
・深川 友貴 選手 (現 U-18 コーチ)
・和波 智広 選手 (現 キャプテン)
・山瀬 功治 選手 (現 横浜Fマリノス)
市長の挨拶でセレモニーが始まり、選手コールの後、選手紹介があり、
サッカー教室へと進んだ。
財前コーチの進行により、まずは選手の技の披露である。
鋭くカーブするボール、ピタッと止まるトラップ、スピードのあるドリブル
など、目前で行なわれることに子供たちは目を輝かせて大喜びし、大きな
歓声をあげた。
グループに分かれ、選手から基本的な技術の指導を受けたのち、ミニゲーム
の始まりである。GKにはドーレ君を擁するコンサドーレチームVS少年チーム。
ユーモア溢れる選手のプレー、ドーレ君の滑稽な動き、子供たちのファイン
ゴール、会場は多くの笑顔と歓声に包まれていた。
グッズの抽選会、長蛇の列ができたサイン会と進み、イベントの終わりで
ある。最後に「目指せJ1、コンサドーレ札幌!!」選手たちにエールを送り、
無事日程を終えることができた。
背後に構える有珠山の噴煙が、いつもより少なく感じた。
posted by csdate |23:00 | 沿革誌 | コメント(2) | トラックバック(0)
2005年11月25日
はじまりー2
「来てもらいましょうよ、コンサドーレに!」
この一言で、僕らの2000年の夏は忙しくなった。
噴火で疲弊気味の街にコンサの選手に来ていただき、元気をもらおう
という、単純で短絡的な考えの企画である。当時はまだ若くゴール裏で
サルトしながら応援こそしていたが、HFCにはなんのつながりもコネクション
もないのである。後輩Tも簡単に言ってくれたよなぁ、と思いながらも
僕たちは動き出した。
先輩の友人がコンサドーレの設立に関わっていたと聞き、まずはそこからと
早速札幌に尋ねた。その方はスポンサーにもなっており、すぐにHFCの担当へ
コンタクトを取ってくれ、企画書を持って尋ねてごらんとアポまで取り付けて
いただいた。
1週間後、コンサドーレの練習場に担当部長と広報の方をたずねた。
ピッチで活躍している選手が目の前にいるのである。
あの高木琢也選手が「こんにちわー、ごくろうさまです」と声をかけてくれた。
かなり舞い上がっていた。「が、が、がんばってください」と言った声は
ひっくり返り、ヨーデルになっていた。
翌日、僕は高木琢也のゲートフラッグを作った。
企画書を見ていただき、いくらかの言葉を交わした後、部長が言った。
「わかりました。行きましょうー、日程と選手はまかせてください」
「えーっ``、本当ですかー!あ、あ、ありがとうございます」
僕と後輩Tはヨーデルでハモっていた。
HFCからの日程はちょうど伊達武者まつりの初日であった。プログラムの
中に組み込んでいただき、いくらかの予算も捻出いただいた。
各団体への案内状作り、横断幕作り、パンフレット作り、など準備に精を
出す日々であった。
「噴火に負けるな、~コンサドーレ札幌 少年サッカー教室~」
まだ、白い噴煙を上げる有珠山をバックに、青空の下ついに始まった。
posted by csdate |00:00 | 沿革誌 | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月24日
はじまりー1
有珠山が22年振りに噴火した2000年、僕たちの住む街は
少しの閉塞感と疲労感が漂っていた。
当時、街作りの団体に所属していた僕らは避難所のボランティアに
精を出していたが、正直言って疲れていた。ただ創設時から応援して
いたコンサドーレのリーグ戦での快進撃が、僕にとってのモチベーションの
支えになっていた。
噴火も落ち着き、避難所もその規模を徐々に小さくして行った。
何か街で元気の出ることをしたいと考えていた僕は、後輩のT君と飲んで
いる時、
「コンサドーレの選手、来てくれないかなぁ」とぼそっとつぶやいた。
「せんぱ~い、それ最高っす。絶好調のコンサに来てもらって、元気を
出しましょうよ。」
「えーっ``、何言ってんのよー、来るわけないじゃん」
「やってみましょうよー、先輩」
その夏「噴火に負けるな、~コンサドーレ札幌少年サッカー教室~」
子供たちの「コンサドーレ」のコールが響く中、選手が駆け足で会場へと
入って来た。
posted by OSC団長 |21:20 | 沿革誌 | コメント(1) | トラックバック(0)