2005年11月25日

はじまりー2

 「来てもらいましょうよ、コンサドーレに!」
この一言で、僕らの2000年の夏は忙しくなった。

 噴火で疲弊気味の街にコンサの選手に来ていただき、元気をもらおう
という、単純で短絡的な考えの企画である。当時はまだ若くゴール裏で
サルトしながら応援こそしていたが、HFCにはなんのつながりもコネクション
もないのである。後輩Tも簡単に言ってくれたよなぁ、と思いながらも
僕たちは動き出した。

 先輩の友人がコンサドーレの設立に関わっていたと聞き、まずはそこからと
早速札幌に尋ねた。その方はスポンサーにもなっており、すぐにHFCの担当へ
コンタクトを取ってくれ、企画書を持って尋ねてごらんとアポまで取り付けて
いただいた。

 1週間後、コンサドーレの練習場に担当部長と広報の方をたずねた。
ピッチで活躍している選手が目の前にいるのである。
あの高木琢也選手が「こんにちわー、ごくろうさまです」と声をかけてくれた。
 かなり舞い上がっていた。「が、が、がんばってください」と言った声は
ひっくり返り、ヨーデルになっていた。

 翌日、僕は高木琢也のゲートフラッグを作った。

 企画書を見ていただき、いくらかの言葉を交わした後、部長が言った。
「わかりました。行きましょうー、日程と選手はまかせてください」
「えーっ``、本当ですかー!あ、あ、ありがとうございます」
僕と後輩Tはヨーデルでハモっていた。

 HFCからの日程はちょうど伊達武者まつりの初日であった。プログラムの
中に組み込んでいただき、いくらかの予算も捻出いただいた。
各団体への案内状作り、横断幕作り、パンフレット作り、など準備に精を
出す日々であった。

 「噴火に負けるな、~コンサドーレ札幌 少年サッカー教室~」
 まだ、白い噴煙を上げる有珠山をバックに、青空の下ついに始まった。


posted by csdate |00:00 | 沿革誌 | コメント(0) | トラックバック(0)

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