2006年12月04日
いろんな想い。
土曜日の写真を整理していたら いろんなこの1年間の事が思い出し。(。pω-。) ジェフサポの流れから芳賀ちゃんを応援し始めた4月。 芳賀ちゃんの大の仲良しの健太郎も陰ながら応援し始めた5月。 元々、違う選手を応援している私が・・・(^_^;) ここまでこの二人に入れ込むようになるとは1月には思ってもいなかった。 この二人の男同士の友情にウルウルして 写真を見てまた感極まり・゚・(ノД`;)・゚・ ただ遠くから拝見してるだけの私だけれど 芳賀ちゃんの優しさや健太郎との関係の良さが分かる そして健太郎の涙は 悔しさもあるでしょう!札幌&ヤンツーさんへの感謝もかな
何故に健太郎だんだ!と疑問にも思う。
他にいるだろう!!解雇する選手と思ってしますが
でも健太郎にとってこの1年間札幌での生活が
今後のサッカー人生に大きな影響を与えてくれて欲しいし
また何処かで頑張って欲しい。
そして2006年コンサドーレ札幌の『22番川崎健太郎』
私の中で、記憶に残る忘れない選手のひとりとなりました。
話は変わり(おもいっきり・・・) 浦和の『J初優勝』ですが Jリーグが開幕してた当初、浦和サポだった私。 コンササポになるまではこのチームしかなかった私には 今はサポではないけれど今年の優勝は嬉しくも感動です。 元々一緒に応援していたサポ仲間は昨日埼スタに駆けつけ この13年間の想いを長々と感極まる内容メールが届いて 私も貰い泣き・゚・(ノД`;)・゚・しちゃったよ。 一時は『お荷物球団』とまで言われた浦和。 J2降格もあったし、サポ・フロント・コーチ陣との確執の違いもあった。 いろんな不評や雑音も乗り越え。 サポの数が極端に減る事もなく そしてどんな時でも応援し続けた浦和サポ。 声が枯れても応援し続けた。 そしてチームをサポートし続けた。 やっぱり浦和サポが日本一と言えるところでしょう。 浦和サポを辞めた自分が言える事ではないけれど 私もそしてコンササポも見習う所は多いと思う。 (浦和サポと同じくなるという意味ではなくて) それは最悪なチーム状況・フロントへの怒り チームの批判や選手の批判をする前に 自分はどうなのか?100%このチームへ応援しているのか? 応援スタイルは個々にいろいろだけれど。 またサポとファンの違いについてもいろいろ考えはあるだろう。 でもいつかは10年20年かかってもこのチームが最高にチームとなるのを 見続けたいと思う人達は我慢も時には必要。 サポ続けるには忍耐だよ!良い事ばかりじゃない人生みないなもんだよ そしてチームがある限り応援し続ける熱い気持ちだと思う 昨日、浦和の優勝しいろんな番組を見てそして友人からのメールを見て 改めて自分はもっと札幌に対して熱い気持ちを持ち続けていこうと! 地元にプロのサッカーチームが出来た喜びは忘れず。
それにしても昨日のゴール裏人数いるわりには声が出てないよ~(ーー゛)
これはいつも想う所なんだけれど・・・
ゴール裏の端にいる人達までに声だせ!!とは言わないよ。
でも中心部近くにいてコールもしないってどういう事!!!!
サッカーをただ観に来るならゴール裏の端とかSAとかSBとかAWAY側があるだろう。
中心部は共に闘う場所!!!!って分かっていない人多すぎ
『熱血ゾーン』の意味分かってないね。
ここが札幌のダメダメのひとつだよね~~
私の近くにそういう方いたら一喝してますが。
改善していかなくてはいけない所なんでしょうね。
私がここで書いてもただのボヤキなんですが・・・
posted by むっちゃん |02:00 | サッカー関係 | コメント(4) | トラックバック(0)