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HN:たじ たこ焼きの移動販売「ほっと12」の店主です。 2001年からコンサドーレのサポートシップスポンサーを継続中。 このブログは旧題「たじ争論」でしたが2010年より「たじの○○な話」に改題致しました。 個人的に好きなことや興味のあること、気になったこと、その他いろいろを特にサッカーやコンサドーレにとらわれずに適当に書いてこうと思ってます。
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2008年01月09日
今年はJ1ということで、新規の観客が増えることが予想される。 他人事のように「予想」してるだけじゃダメなわけで、サポーター一人一人もまた集客に力を尽くす必要がある。 そこで開幕戦に向けて札幌ドーム4万人!!のプロジェクトである。昨年の9/15に続き、4万人の集客を目指し、1/20のキックオフイベントの時にチラシを配るとのこと。昨年の京都戦の来場者は3万2559人。潜在的需要があることが証明されたわけで、開幕戦少しでも4万人に近づけたいものである。 さて、表題は「いかに新規顧客を集めるか」という話ではなく、その先の話。新規顧客を集めたなら、いかにその人達をリピーターにするか、ということが大事である。また、そうして増えたサポーターも、何かのきっかけでサポーター離れしてしまうこともある。実際、2001~2002の頃熱烈なサポーターだった人で今はコンサドーレに興味を失っている人というのも少なくはないだろう。 なぜか。熱が冷めることなくずっとサポーターでいてもらうためには何が必要なのか。そういう観点で考えてみたい。私自身は、今の段階では将来コンサドーレに対する熱が冷めてしまう、という可能性は考えにくい。将来的に絶対無いとは言えないけれども。しかし、かつて熱中していたもので、現在はその熱が冷めてしまったものというのはたくさんある。きっとそれは誰しもあるだろう。そういうものについて振り返って考えてみるというのは実は結構参考になるのではないかと思う。 私はかつて何に熱中していたか。そしてなぜその熱が冷めてしまったのか。 それを考えることでコンサドーレの観客増及びサポーターの定着化に対してのヒントがあるかもしれない。 一応、シリーズ化して不定期連載の予定です。 とりあえず今回は序のみ。 (予定稿) ・プロ野球 ・大相撲 ・プロレス ・将棋 ・浜田省吾 ・米米CLUB
2008年01月08日
私のサッカー観といっても大抵のことは既に書いてきているので今までの繰り返しになってしまうが、自分の考えの整理という意味でチーム始動前、年の初めなので私のサッカー観について書いてみる。 サッカーに限らず、対戦型競技全般に共通している肝と私が思うのは「ミスをした方が負ける。相手のミスを咎めることができた方が勝つ」ということである。よってクオリティの高い試合とは「ミスの少ない試合」のことだと言える。いかにミスを減らすか、という観点で技術や戦術を突き詰めていくと、基本的には戦術は守備的になっていくのが常である。なぜなら、守備におけるミスの方がより敗戦に結びつきやすいからである。 しかし、もともとロースコアゲームであるサッカーが守備的になると決着が付きにくいという点でエンターテイメント性が下がってしまう。そこでゲームバランスを取るためのルールの微調整というのが常に行われるわけだが、個人的にはもう少し攻撃側に有利なルール改正があった方がいいと思っている。平均的なスコアで5-4くらいになるような。やはり得点シーンが多い方がエンターテイメント性は高まるであろうと思う。 しかし、得点の取り合いのゲームは面白いとは単純には言えない。現行でも5-4というスコアの試合はしばしば発生するのだが、その多くは「ファインゴールの応酬」というよりは「ミスの応酬」によりハイスコアゲームとなっていることの方が多いのではないか。クオリティの低いゲームの結果ハイスコアになるのだとしたら、「得点の取り合い」のゲームを「面白いゲーム」と評することはできない。クオリティの高さとハイスコアが両立するようなルール上の工夫というのは今後も模索されていくのではないかと思うし、そうあってほしいと思う。 戦術について攻撃的とか守備的とかということがよく言われる。しかし、理想を言うならば「攻守にバランスの取れた戦術」が一番いいに決まっている。どちらかに偏るのではなく、攻撃も強く且つ守備も堅いと。これはあくまで理想だが、その観点から言えば優れた戦術とは「攻守の切り替えが早い」ということになるのではないかと思う。マイボールになったときには素早く攻め込み、敵ボールになったときには素早く守備を固める。守備は攻撃の始まりであり、攻撃は守備の始まりである。そういうコンセプトの戦術が望ましいのであって、攻撃的な戦術が良いか守備的な戦術が良いかという議論は重要だとは思わない。ただ、個人的な好みを言えばやはり基本は守備からではないかと思う。守備がザルな試合は興を削ぐ、というのが私個人の感覚である。 プロサッカー(を含むプロスポーツ)は競技であり且つエンターテイメントである。勝つことを目的として選手はプレーするが、それが見ているものに面白いと思われないのであれば意味がない。この問題は全てのプロスポーツの持つ永遠の課題であろうと思う。もし100戦100勝のチームが存在するのならばそこに「勝負の興」は存在しない。そうなってしまってはプロスポーツは成立しない。勝てばいい、強ければいい、と単純には言い切れない。逆に弱くても観客に面白いと思われ、スタジアムに人が入るならば興行としては成り立つ。ならば「プロ」スポーツ選手は勝負よりも客受けを優先すべきかといえば、それは断じて否である。それを容認するということはつまり「八百長」を認めることと同義である。そうなればもう競技の根幹が成立しない。あくまでも競技者は勝利絶対優先で競技を行わなければならない。勝利絶対優先のプレーの中に存在する競技の面白さを見ているものに伝えることこそが「プロ」競技者の使命であろうと思っている。
2008年01月07日
今年も子供の写真がついた年賀状をたくさんいただいた。 今や小さな子供をもつ親の年賀状としては子供の写真というのはスタンダードである。 かしかし、どうにも引っかかるのである。 物騒な世の中なものだから、子供の「顔」「名前」「年齢」「性別」「住所」を公にするというのは危険ではないか?? 私信であり、信頼のおける人に出すのだから大丈夫・・・なのだろうか。 今のご時世、どこから何が流出するかわからない。そもそも年賀状は封書じゃなくてハガキだから、相手に届くまでの間にどれだけの人がそれを目にしたことか。 大げさなことを言っているのかもしれない。 そんなことを考えること自体悲しいことでもある。 それでも「個人情報」とか「セキュリティ」とか「○○な事件」とかを考えると、毎年正月は難しい気持ちになるのである。その年賀状の写真に写っている子供がかわいいからこそ余計に。
2008年01月06日
スポーツ観戦をしていて「美しい」と感じることがある。 この「美しい」というのは私の中では「格好いい」とか「華麗」とかとはまた違ったものだと思う。 私が今までスポーツ観戦してきた中で一番「美しい」と思ったシーン。それは1989年10月12日、西武-近鉄のダブルヘッダー第一試合、同点で迎えた8回、ブライアントに決勝ホームランを打たれた渡辺久信の姿。 優勝のかかった天王山の試合、そこまでに既に郭泰源がブライアントに2本のホームランを打たれて同点にされている。ローテーションの中心であった渡辺久信が、その絶対に落とせない試合にリリーフとして登場した。なんとしてもこのブライアントを押さえない限りは西武の優勝はない。 近鉄は前年あの伝説の10.19の悲劇から1年。なんとしても優勝したいという意気込み、そして圧倒的なブライアントの爆発でこの年も西武と激しい優勝争いをしていた。 まさに気持ちと気持ちのぶつかり合い。 そしてあのシーン。渡辺久信が投じた渾身ボールをブライアントが鋭い金属音を残して高々と打ち上げた。渡辺久信はボールがバットに当たった瞬間にそれがホームランになることを悟り、投球動作が終わる前に力無く踏み出した左足から崩れていき、虚ろな目でボールの行方を追っている。 あの崩れ落ち方にプロ野球の全てが詰まっているといってもいい。選手の、観客の全ての人の思いがあの渡辺久信の姿に体現されている。前年から続く激しい優勝争いという舞台設定、エースと四番の対決、渾身の投球に渾身の打撃。そして歓喜と悲嘆。 美しさは意図して作られるものではなく、偶然の産物である。 **** サッカーに関しては、試合を見ている絶対数が野球より少ないせいか、それに匹敵する美しさには今のところ出会えていない。しかし、最近それに近い美しさを感じたシーンがある。 コンサドーレの昨年の最終戦。ダビの同点ゴールが決まったときの砂川のガッツポーズ。西からのヘディングのパスを砂川は胸でトラップして、そのボールを自分でシュートしようとしたが、ややトラップが大きく、砂川では間に合わないと瞬時に判断したダビが同点ゴールをたたき込んだ。既にシュート体制に入っていた砂川は当然ゴールの真ん前で、ダビのシュートをまさに目の前で見て、そしてそれがゴールに突き刺さるのを真っ正面で確認し、そしてだれよりも早くガッツポーズをした。蹴ったダビ以上に、誰よりも早く同点ゴールを確信したのだからそれも当然ともいえる。その砂川のガッツポーズは誰よりも美しいガッツポーズだと私には思えた。 「格好いい」でもなく「華麗」でもない「美しい」と思える瞬間に出会えること。それはスポーツ観戦をしているものにとって最高の幸せではないかと思う。これからもそういう場面に一つでも多く出会えますように。
2008年01月05日
今年の箱根駅伝は駒沢の層の厚さが光る大会だった。 毎度駅伝を見て思うのは襷の重み、そして人間の精神力のなせる凄さについて。 襷を繋ぎたい一心で必死になって走る。10区の中継地点、東農大が残り3秒で襷が繋がったのを見たときには涙が出た。 残念ながら途中棄権が3校出てしまったが、そういうどうしようもない状態ではなくとも、多くの選手は襷を渡した後その場でバッタリと倒れ、一歩も動けなくなる。直前まで走っていたというのに。それはまさに精神が限界を超えて身体を動かしていたということだ。そして襷にはそれを可能にする重みがある。
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