カレンダー

プロフィール

HN:たじ たこ焼きの移動販売「ほっと12」の店主です。 2001年からコンサドーレのサポートシップスポンサーを継続中。 このブログは旧題「たじ争論」でしたが2010年より「たじの○○な話」に改題致しました。 個人的に好きなことや興味のあること、気になったこと、その他いろいろを特にサッカーやコンサドーレにとらわれずに適当に書いてこうと思ってます。

リンク集

カテゴリー

検索

【小説】コンサドーレの春(1)

2008年09月09日

この物語はフィクションであり、実在の人物、団体とは関係ありません。

【小説】コンサドーレの春(1)


ついにこの日がやってきた。2050年、5月。この日コンサドーレ札幌が勝つか引き分ければ、チーム創設55年にして初のJ1リーグ制覇である。対戦相手はFC千苫。この優勝を決める試合が北海道ダービーだというのも何かの因縁か。思えば2008年、洞爺湖サミットで温暖化対策として「2050年には温室効果ガスを50%減」という目標が掲げられ、その年、犬飼サッカー協会会長(当時)が「秋春制導入推進」を宣言した時から、今日のこの日までのストーリーが動き出していたのかもしれない。それにしても長い道のりだった・・・。


2008年7月。北海道洞爺湖でG8サミットが開催された。この頃から地球の温暖化傾向が顕著となり、サミットの主要議題は温暖化対策。そこで2050年には温室効果ガスを50%削減するという提言がなされた。その年はちょうど北京オリンピック。中国の経済発展ぶりは凄まじく、当然中国やインドなど新興経済大国の強い反発もあり、まぁ、サミットでの提言は単なるお飾りの目標だろうなと私は思った。実際温暖化はその後も進行していくわけだが・・・
ちょうどそのころ、日本サッカー界では一つの大きな変化が起ころうとしていた。川渕氏が退任した後、後任の犬飼サッカー協会会長が、Jリーグの秋春制移行を提言したのだ。ヨーロッパの主要リーグは秋春制で行われており、Jリーグもそれに合わせるべきだという意見はそれ以前からあり、検討されたものの、秋春制は日本の気候風土、文化に合わないという理由で導入が見送られていた。特に雪国では冬場の練習、試合に大きな問題があり、導入に対する根強い反対意見があったのだが、犬飼会長は「2年後には移行したい、できないというのはやる気がないからだ」と鼻息が荒かった。

この年、6年ぶりにJ1復帰したコンサドーレだが、やはりJ1の壁は厚く、シーズン2/3を過ぎて最下位。降格は確定的かと思われたのだが、シーズン終盤になって、エースダビが大ブレイク。ゴン中山の4試合連続ハットトリックの記録を塗り替える5試合連続ハットトリックによりシーズン最終試合で16位に滑り込み、入れ替え戦出場の権利を獲得した。入れ替え戦の相手は山形。12月10日山形での初戦はみぞれ混じりの悪天候だったが、初めての昇格チャンスということで山形サポは熱狂、札幌からコンサドーレサポも大量に押し寄せ、NDスタは1万7千人の満員の観客で埋め尽くされた。結果は2-2の引き分けだったが、アウェイゴールを2点あげているコンサドーレが優位に立ったと思われていた。札幌の積雪は12月上旬までは少なめで、それまではコンサドーレは除雪しながら宮の沢で練習をしていたのだが12月11日、札幌は30cmの大雪となった。札幌ドームは大雪の予報を察知し、間一髪通常より一日早くホバリングステージをドーム内に引き込むことで事なきを得た。コンサドーレは試合2日前からドーム内に引き込んだホバリングステージで練習をし、いよいよ最終決戦へ。12月13日も札幌は朝から雪が降るあいにくの天気だったが、ドームの中は熱気がムンムン。3万を超す大観衆。犬飼会長も札幌ドームに足を運び試合の行く末を見守った。「札幌、山形という雪国のクラブでもこうして12月にちゃんと試合ができているし、お客さんもこんなにたくさん入っている。秋春制にしたら観客動員が落ちるなんて言う人もいるけど、良い試合さえすれば冬でもお客さんは来てくれる」と、この入れ替え戦を見て一層秋春制導入に自信を深めたようだった。

それから4年後、2012年。多くの反対意見、特に雪国クラブの強い抵抗にもかかわらず、とうとうJリーグは秋春制を導入したのである。札幌に本拠を置くコンサドーレはここから大いなる運命の荒波に飲み込まれていく。
(続く)


post by たじ

12:31

小説 コメント(0)

北の湖

2008年09月08日

私は子供の頃、相撲が大好きだった。当時は北の湖と輪島の両横綱時代。
学生横綱出身のエリート輪島に対して北の湖は中学の時に北海道の田舎から出てきた叩き上げの相撲青年と全く好対照なところがライバル対決を一層盛り上げた。当時の北の湖は無愛想でふてぶてしく、憎らしいほど強かった。美男力士貴乃花(初代)の敵役としてヒールの横綱であった。
しかし、私にとっては道産子の横綱、北の湖は大ヒーローであった。口べたで相撲一途なところがまたカッコイイ。ひょっとして大鵬の優勝記録を抜くのではないかとも思ったが、晩年はさすがにケガに悩まされ、優勝24回に止まった。最後の24回目の優勝の時、弟弟子で同じく道産子の北天佑が隆の里に勝ち、兄弟子の援護射撃をしたときの土俵の上の北天佑と土俵下にいた北の湖が笑顔で顔を合わせてのは大相撲界に残る名シーンだったと思う。

そんな北の湖が引退し親方になり、理事長になった。北の湖理事長の口癖は「土俵の充実」であった。土俵一途、中学生の時から人生が土俵と共にあった北の湖にとっては「土俵の充実」こそが全ての問題を解決するためのキーワードだった。数年前、相撲人気の低迷を打開する方策を聞かれた北の湖理事長が「土俵の充実」と答えたのを聞いたときは苛立ちを覚えた。力士が皆北の湖なわけではない。「土俵の充実」で問題が解決するなら苦労はしない。大相撲が土俵を充実させることは当たり前のことであり「土俵の充実」という言葉は実際には「無策」と同じ意味だ。私はそう思い、北の湖理事長の理事長としての資質には大いに疑問を感じていた。というよりも、これ以上理事長を続けていけば名横綱、大横綱北の湖の名誉にどんどん傷が付いていく、それが耐えられない思いであった。理事長は1期で退いて、後は顧問的な名誉職に鎮座していてほしかった。

そうして今日、とうとうボロボロに傷つき、理事長を辞任する事になってしまった。事ここに至ってはもう辞任以外に道はない。私は今回の大相撲大麻事件、事の真相がどうというよりも、大横綱北の湖がズタボロになって理事長を辞任するということがとても悲しいのである。こんなに傷つく前に理事長職を辞めることはできなかったものか。
こういうことを書くと、「相撲界の名誉よりも北の湖個人の名誉の方が大切なのか」と相撲ファンには怒られそうだが、怒られてもいい。本当にこんなボロボロに傷つく北の湖は見たくなかった。それだけ私にとって北の湖は子供の頃の大ヒーローだったのだ。本当に残念。


post by たじ

15:58

スポーツ コメント(0)

あ、代表戦だったのね

2008年09月07日

今朝起きた後の感想。別に知らなかったわけではないが、ド深夜と言うよりはド早朝の試合、わざわざテレビを見る気もしないので余裕で寝て起きたら試合が終わっていた、という状態。

冷静に考えると代表の不人気ぶりはかなり深刻かもしれない。日本人のサッカーに対する関心は2002のワールドカップをピークに下がる一方だ。ブームが去れば関心がなくなるのは世の常、2002年以降日本サッカー界が盛り上がるような材料は特にはなく、逆に大スター「ヒデ」の引退でより一層不人気に拍車がかかった。しかし日本サッカー界の牽引役である代表チームの不人気はクラブチームに対しても大きな影響があると思うのだが、どうしたものか・・・


選手ブログについて

2008年09月06日

選手ブログ

単なる外部のブログのリンクなんですけど、これ・・・

なぜかコンサドーレの選手はオフィシャルブログでブログを開設せず、他のブログサービスを利用している。そして、それをあたかも自社コンテンツであるかのように「選手ブログ」のページにリンクするこのオフィシャルブログ。いったい何がどうなっているのだがさっぱりわからない。

選手の立場からすると、クラブのオフィシャルブログを利用したくない気持はわかる気がする。移籍したときにブログの移転に困るから。サッカー選手としてどこに移籍しても変わらずに続けられるブログにするにはクラブの縛りがない方がいいのは確かだと思う。寂しいことではあるが。

この選手ブログの事も含めて、オフィシャルブログの方向性はどうなっているのか・・・そういう疑問も日を改めていずれ書こうと思う。


ネタ切れ

2008年09月05日

いまいち書くネタに困っている。
シーズン中にしょっちゅうブチブチ中断期間があるのはJ1だからこそなのだが、シーズン通してコンスタントに試合があったJ2が懐かしい・・・なんて今のタイミングで言うのは少々不謹慎か!?


post by たじ

13:03

その他 コメント(0)