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2007年12月26日

aftertalk #5

clasics #5をお届けしました。

「残留できるなら死んでもいい」って言葉は今思い返すとすごいよなあ。
結局降格したから生きてて良かったね、と友人にからかわれたのも今となっては思い出。生きてて良かったかどうかはまだわからないけど。
この回で書いたことはいちばんの若気の至り、かつ自分の情けなさをいちばん表しているエピソードだと思う。このダンマクを書いた時点で、自分は恐怖から逃げ出したのだろうし、弱さを露呈してしまっている。狂気に100%染まってしまうことはなにも良い結果を生み出さない。そして無用な諍いをして、降格した。
当時のアウェイサポーターとホームのサポーターはぎくしゃくした関係で、それは東芝移転というのもいくらか関係していたし、互いの住む土地との距離感にもとまどっていた。その小さな歯車の狂いが降格が近づくにつれてどんどん大きくなり、試合開始前に話し合いというか、アウェイ側から「もうお前達とはやっていけない」みたいなことを言い出してしまった。何もせっぱ詰まった博多の森でやることではなかったのに。結局その場は解決策もないまま(いきなり怒ったり怒られたりしてるんだから解決策なんてとりようがなかったろうし)試合に臨んでしまって、みんな声だけは出しているけど気持ちはバラバラ、みたいなことになってしまった。そんな状況じゃ、「残留できるなら死んでもいい」なんて言葉はなんの意味も持たない、過剰な自己満足でしかなかったと思っている。そしてその「ホーム-アウェイ問題」が解決を見るのは2000年頃になってから。勝つことが最大の薬だった、ということだ。

結局このダンマクは処分に迷って、結局正月に神社のどんど焼きに出して燃やした。こういうふうに処分していいのかどうかわからなかったけど、土の中に埋めるのも保管するのもどうかと思ったし、処分するにしてもゴミに出してしまうのはどうだろうとも思った。燃えるダンマクを見ながらずっと手を合わせていたけど、あの時の自分は何に対して祈っていたんだろう。悲しみや絶望も一緒に燃やしてしまいたいと思ったのだろうか、あるいはそういうものから逃げたかっただけなのだろうか。どちらにせよ、今でもこのチームを応援しているのはあのときの贖罪の気持ちが(年々薄れていくにせよ)少しでも含まれているからだろう。このチームに幾度も心を救われたという感謝と、あの時支えることのできなかった自分の無力に対する贖罪。自分の応援する気持ちというのは、そういったもので構成されているのかもしれない。

あれ以来、ダンマクを手書きしたのは一枚だけだ。

posted by retreat |23:01 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)