2007年12月25日

CONSAISM clasics #5

クリスマスも気にしない(ように必死で目をそらせつつ)、「classics」第5回です。


室蘭で神戸に破れ、いよいよ降格の危機が目の前に立ちはだかってきました。それから博多の森へ行くまでの僕は今まで経験したことのない緊張と不安にとりつかれていました。
たかがサッカーじゃないか。おまえはついこの間、室蘭に行かないでひたすら図書館にこもっていたじゃないか。今まで通りに生活しろよ、「割り切って」。
そういう考え方で今までやってきたんだろう?
そう自分をいさめようとしましたが、感情の流れはとどまるところを知らず、何か自分に大きな重圧がかかっているようなそんな気持ちでした。「降格は悪」「降格は屈辱」「負けることが怖い」と、初めて強く思いました。
そして僕は横断幕を作るための一枚の長い布とスプレー缶を買い、博多へ向かいました。
 
あの日の自分は狂気がとりついていた、と思うことがあります。
福岡サポーターを片っ端から睨み、必要もなく仲間と応援で口論し、試合が始まったらただひたすらに歌い、跳び、叫び、吠え、どんなことが起こったのかも具体的に覚えていないくらい。
そしてあの日生まれて初めて作った横断幕の言葉は
 
「残留できるなら死んでもいい」。
 
あの日の自分の気持ちを思い起こしてみて、本当に自分はあの恐怖や屈辱と真っ正面から戦っていたのだろうかと思うことがあります。あんな感情になったのは、そんな恐怖の気持ちを無理にでも薄め、狂気に身を投じた自分に酔い、目の前の現実から必死で目を逸らすために、ただ自分が不安や恐怖を味わわずにとった行為ではないだろうかと。
そしてそれは正しいのだと思うのです。
なぜなら、僕は「12.8」に、室蘭にいなかった。
 
何をしていたかというと、神戸戦の時と同じように大学にいて、同じように図書館にこもっていました。そして携帯電話で結果を知り、結果を知ったあとすぐに勉強に戻っていました。これもまた一つの「逃げ」の行為であったと思うのです。
行ける範囲で試合は応援に行った。残留を信じて声を上げた。神戸にも、博多にも行った。横断幕も作った。しかしそれは室蘭に行かなかったという事実の前には何も意味を持たないものになりました。一つの「終わり」を、その義務がありながら最後まで見届けなかった、見届けることに耐えられず最後に逃げ出したのですから。 あとになってこの日々を思い返したとき、あのときの自分の気持ちに初めて気がついたときに僕は激しく後悔しました。最後の最後まで見届けなかった自分を嫌いました。いっそのことサポーターなんてやめてしまおうかとも思いました。
それでも僕がこうしてゴール裏に立っているのは、それでもこのチームが好きで、札幌が好きで、もう二度と裏切るようなことをしたくないという思いと、サポーターであることをやめることで自分自身にも負けてしまうような気持ちがしているからです。
あのときのような危機が訪れたときには、今度こそは何があっても最後まで見届けたい。そして自分の声で少しでも危機を乗り越える助けになりたい。そうすることが、今まで自分を支えてきた札幌というチームに自分が出来ることだと思うのです。
だからといって自分のスタンスの根底である「生活とサッカーの割り切り」というものを変えることはないと思っています。学生から社会人になった今、このスタンスはより重要になったと思っていますし、もしあのときのような危機が訪れても、両立させることが出来ると思っています。
そしてあのときのような悲しみや絶望が訪れないように、ゴール裏に行ったときには出来る限りのサポートをするのです。自分の内にある弱さや怯えの心に勝つように、そして札幌が勝つように。

posted by retreat |00:13 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

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