2008年06月04日

Don't Trust Over 30,Don't Trust Myself.

ほのかに暗いホテルの宴会場で資格試験を受けながら、自分は15年前の自分になったような気がしていた。15年前にもこのホテルで、この会場で、同じように試験を受けていたはずだった。私立高校の受験で室蘭から札幌までわざわざやってきて受けた試験は、ただの記念受験となることがわかってはいたけれどそれでも受けたんだった。合格したとしても行かないであろう高校の試験を。

生涯2度目の札幌の事は余り覚えていない。受験のことで頭がいっぱいだったからだろう。最初に札幌に来たのは小学校の修学旅行の時で、北大前の湿っぽい旅館で給食以下の夕食を残し、改装前のテレビ塔でどうしようもなく粉っぽくて不味いカレーを残し、バスでひたすら眠りこけた一泊二日だった。15年前の時も一泊で、たしか単身赴任をしていた親のアパートに泊まっていったはずだ。そんなことを試験の最後10分間で思い出していた。周囲は様々な年代と性別の人がスーツだったり私服だったりで一心に解答用紙に向かっている。その中でこんな昔のことを思い出している自分はなんなんだろう。そして、15年前の自分が今の自分を見ていたらおそらく絶望するだろうな、と考えて、そのまま10分間絶望していた。15年前の自分よ、すまん。30近くなってもこんなもんだ。

あと2ヶ月ちょっとで誕生日を迎えてついに三十路を迎えるにあたり、最近の自分はちょっと憂鬱だ。何もできないまま二十代を過ごしてしまった、と思う。身体を壊した24歳以降のことは特にその思いが強い。自分はこれまでに何を残してこられただろうか、これから何を残せるのだろうか、四十代になったときに同じかこれ以上の思いをするのだろうか、と考えたときにはもう自分の思考回路は暗黒ループに沈み込んでいた。その後会社に帰って仕事をするのがしんどかったことは言うまでもない。これからできることと、できそうなことと、どうあがいてもできそうにないことがだんだんわかってきて、でもどこかではあきらめたくないという気持ちもあって、とにかく混濁していた。それでも、とりあえずの職場、自分が労働にしがみついていられる場所は今のところここしかない。例え管理者が何人過労で倒れようとも、次々と退職しようとも。なんだか出世をかけたチキンレースみたいだ。いや、そもそも人生そのものがチキンレースなのか。

札幌の選手達も、こんなことを考えてたりもするのだろうか。
曽田や西澤がどんな三十路を迎え、また迎えようとしているのか、ちょっと聞いてみたい気もする。それと、三十路を迎えるに当たっての心構えなど。自分の夢も希望も現実の前にかすんで何をどうすればいいのかわからないし、なんとかここであがくしかないし、この気持ちをどうやって文章にまとめたものかと悩んでいる。昔話しか書けない自分もふがいない。昔話ができる過去を持っているだけいいことだ、と誰かが言っていたけれど、そろそろ未来と現在の話もしたい。けれど、それには時間が足りない、それが恨めしい。

だから限りある時間で、限りある知識と記憶で、とにもかくにも、書き続けていくしかないのだ。たとえなんにもならない駄文であろうとも。

posted by retreat |21:29 | life | コメント(0) | トラックバック(0)

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