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2007年12月19日

aftertalk#3

はい、「classics」第3回でした。

昔も今もあまりカネのない生活をしてるんだけど、学生時代っていうのはいちばん「カネがなくても幸せ」な時期なんだろうなと思う。一度就職してそこそこの給料をもらうと、いざそこからドロップアウトしたときにカネのなさを身に染みてわかってしまうわけで。
「サッカーファン版エンゲル係数」の話は、その後小田嶋隆さんが「ギド係数」という言葉で書いていた。うちならばさしずめ「コンサ指数」とでも言うところだろうか。総収入におけるフットボール関係の支出が占める割合。月の総収入の半分くらいがフットボール関係(遠征費やらチケット代やら)で占められていたこともあったっけ。それでも必然的に遠征手段はできるだけ安い方法になってしまうわけで、とにかく学割や18きっぷは必須。というか当たり前だった。「ムーンライトながら」は何回乗ったかわからない。もう乗りたくないと思うくらい。

遠征でいちばんきつかったは97年のアウェー山形。1-4でさんざんに負けて怒って、そのあと天童のバスターミナルまで移動して(たぶん歩いたんじゃなかったか)やっと乗り込んだ夜行バスは普通の観光バス4列シートで、新宿に着くまでろくに眠れなかった。00年真夏の新潟(最高37℃という狂った気温)も、乗り込んだ「ムーンライトえちご」の空調が壊れてぽたぽた落ちる水を見ながら帰った。そんな金のかからない遠征ばっかりしていたこともあって、社会人になってから乗った新幹線には感動した。あれだけ時間をかけて移動してたところまで、3時間とかそこらで移動できるなんて!って。自由にできるお金が増えたぶん、衝動的に見に行ったりして。
たとえば「『日曜日だけど、近場で試合がなくて暇だから』という理由で新幹線に乗ってJ2を見に行く」っていう文があるけど、これは川崎サポーターの知人と飲んでいるときに「明日仙台行かない?」と誘われ、「応援研修」と称して新幹線に乗って仙台に行ったときのエピソード。睡眠時間3時間かそこらで始発の東北新幹線に乗り、仙台の知人にチケットまで用意してもらいコアゾーンで応援、帰りの新幹線は東京までデッキ座りっぱなし、みたいな強行軍。札幌の試合がない日に他チームの応援を勉強することは何度かあった。ナビスコで清水サポの端っこに混じったり、川崎のGゾーン行ったり、もっと昔なら平塚で神戸の応援(矢野マイケルとかいたころ)行ったりして応援のテンポやバランス、タイミングを勉強させてもらってたり。「他チームの応援するなんて何事だ!札幌サポの風上にも置けない!」と怒る人もいそうだけどまあ時効ということで。

もうひとつ、「余裕の持てる移動が出来るのだからその分もっと応援そのものに力をそそぎ込めるはずだ」なんて書いているけど、いちばん充実していたのはいちばん金のなかった学生時代なのかもなあ、と思う。移動していた時間すら楽しかったし、社会人以降は行きも帰りも疲れていた記憶のほうが多い。それでも苦にならなかったのは、旅をするということが昔から好きだったり(中標津に住んでいた小学生の頃、釧路まで通院するのに標津線を使っていたときから「鉄」な人間だ)、小説をみっちり読み込めることができたり(本格的に小説にのめり込んだのは大学生になってからだ)、ときには旅の時間を共にしてくれる友人がいたりしたからだ。今になっても、そういう人たちに恩を返せるような人間になれてないなあ。

あと前回からの流れでもあるんだけど、本当にこのときは応援と実生活を割り切ろう割り切ろうと必死に考えていたんだなあとつくづく思う。それだけ会社が嫌だったということなんだろう。正直、このころから夜眠れなくなったりしたし。そんなわけで私生活では泥沼の気配になりつつあったのでした。

posted by retreat |22:52 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)