2008年05月05日

aftertalk #46

clasics #46でした。今でもがんばれって言われるのは嫌いだ。口だけなら何でも言える。がんばれとか、評価してるとかね。精神論的な考え方も多分に持ち合わせている人間だけど、それはそれなりに対価があってのこと。ってなんで俺はこんな卑屈な話から入ってるんだろう。とりあえず「がんばれ」と言うことも言われることも大嫌いだ。

サッカーを見ているときは「行け!」とか「中だ中!」とか「開け!」とかそういう感じの言葉、もしくは応援してるみたいな感じでやっている。そうでもなかったら悲鳴か歓喜か怒りを持った沈黙かだ。頑張ることが前提の選手に「がんばれ」と声をかけることは、例えその声が届かないとしても言うことはできない。言ったとしてもそれは効果がないと考えるから、応援する。シンプルな歌やコールの方が気持ちを伝えることができたりする。もっと突っ込んで言ってしまえば、そう信じないとゴール裏で跳ぶ事なんてできやしない。

そういえばこのときは栗山にユースの試合に行ったのか。どうやって行ったんだっけ。自分の車(当時はまだあった)で行ったんだろうか。今、車があればいろいろと行動範囲が広がるんだろうなと思ってはいるものの、当時の愛車であったところのRAV4 Lは、おふくろが電柱に激突させてオシャカにしちゃった。札幌の練習や試合に行きやすくなるというのもあるし、ふらりと車で知らない街をドライブして、仕事で疲れた頭の中をリフレッシュさせることもできるからだ。そんなのができるようになるには結構な準備と駐車場と購入資金が必要になるけど。あ、バイクでもいいなあ。冬は乗れないけど。

アウェイ時代、遠征に行くときは手段は3つにほぼ限られていた。車、鉄道、バス。どれかに乗って目的地を目指し、スタジアムで再び集まる。車で東京から仙台山形方面とか、下道を通っていったことで夜通しかかるし。でもそういうときのなんともいえない夜の幹線道路の情景とか、夜が白み、オレンジ色の薄い層が青空の下に混じりはじめるあのときの高揚感は何ものにも代え難い。のんびり行きたいとき、金がないときは鈍行乗り継ぎであちこち行ったし、車を持つ近くに住んでいた友人と知り合ってからは、彼の車に同乗させてもらうことが多かった。話題は共通の趣味であるサッカーとモータースポーツ。もしくは、後援会のツアーバスでわいわいと過ごしながらアウェイのスタジアムへと向かうあの雰囲気。
でもいちばん好きだったのは、ひとりで新幹線や在来線の人気のないホームに立ち。早朝の列車を待っている瞬間だ。これから僕を乗せていってくれるもの。知らない土地へ連れて行ってくれるもの。そう思うことが多かったって言うことは、やはり僕自身は一人旅が好きなのだろう。何ものにも縛られない、一人の旅が。誰かがどこかの番組で「一人旅が好きでよく行ってた。でもある日突然、一人旅がつまらなく、味気なく思ってしまった。一人じゃつまらなくなってしまった」っていう話を聞いていたのを覚えてる。幸いにと言うべきか不幸にもと言うべきか、僕はまだ一人旅が楽しい。一人でその街の写真を撮り、名物をもとめて一人居酒屋でちびりちびりやるのも良い。世間一般の楽しみとか幸せとかどうでもいい。僕が僕なりに幸せでいられれば良いし、残念ながら他人に気を使って生きていくほどの力を得ていない。普通にサッカーを見て、喜んで、落ち込んで、酒を飲んで、寝て、仕事とともに次の試合を不安と期待をこめて待つ。これが僕の、今のところの「幸せ」だ。そしていちばん難しいと感じていることも「単なる普通の幸せ」なのだ。

進むべき道も、できることも、できないことも、この夢が破れるであろうことも、歳を取るにつれてだんだんとわかってきた。でも、もうちょっと悪あがきもしたい。そうして「単なる普通の幸せ」にたどり着きたい。何とかして。
もしたどり着くことが無かったのなら、どこかで野垂れ死ぬことは覚悟しているのだから。

posted by retreat |23:22 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)

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