2008年04月24日

CONSAISM clasics #43

clasics #43です。「夏と私とイバンチェビッチ」というタイトルとともに、個人的にはかなり好きな文章のひとつ。


JR札幌駅から大通公園へと続く道をそぞろ歩くのがなぜか好きで、晴れの日も雪の日もこの道を歩いている。札幌を離れてから、お盆や正月に帰省してきたときはまずこの道を大通公園までのんびりと歩いて札幌の空気を吸い込むのがひとつの儀礼のようになっていて、夏なら大通公園で青空に噴水の湧き上がる様に涼みながら往来をぼんやりと眺めるも良し、また冬なら冬で雪と寒風で冷えた身体を喫茶店で温かいカフェラテでも飲みながらこれまたぼんやりするも良し。そうしてこの癖は札幌に戻ってきた今も変わらずにいる。

この間も同じ道を歩いていた。そのときは札幌駅を背にして右側、道庁に近いほうの道を選んで歩いていて、札幌第一ホテルの脇を通り過ぎるときにはその1階に出店しているスターバックスが視界に入る。ちょうどガラス張りのカウンターの部分がちょっとだけ歩道にせり出していて、店の中からの視線は歩く僕らを回遊水槽の中の魚達でも眺めるかのよう感じてしまう。いつもならそんな光景には慣れたので歩いていってしまうのだが、一年前のある日に、僕はそこにある二人の人物の姿を認めて、立ち止まらずにはいられなかった。当時札幌の監督であったラドミロ・イバンチェビッチと、同じくコーチであったミオドュラグ・ボージョビッチだった。
 
柱谷哲二元監督の更迭によって札幌にやってきた、東欧のブラジルと呼ばれた、ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)よりの救世主。僕はこの人の名前を寡聞にして知らず、戸惑いながらもその経歴とメディアの大きな報道を見て、とりあえず諸手を上げて歓迎してみた。そして二人を始めて見たのは6月の御殿場合宿のとき。グラウンドにはまずボージョビッチが姿を見せた。時を同じくして加入したFW、バーヤックとともにゆっくりとグラウンドの外周をランニングし始める。しきりに彼はバーヤックに話し掛けていて、それは初めて日本に来たまだ若い彼の緊張を早くほぐしてやろうという風に見えた。そして理知的で紳士的に見える彼の姿、でもその底には計り知れないフットボールへの静かな情熱があるだろうということも感じたような気がした。

全体練習が本格的に始まる頃、イバンチェビッチ新監督がやってきた。ジャージを着たその体躯はぱっとみたところ「フツーのオジサン」というような感じで、このひとが本当に札幌を変えるんだろうかといった第一印象だった。ハンチング帽に新聞と濃い目のコーヒーを添えてベオグラードの街角に置いたらそのまま風景に溶け込んでどこにいるのかもわからないような、「フツーのオジサン」的な風貌。まあ実際には僕はベオグラードには行った事は無いのだが。ともあれ、僕にとってそれがイバンチェビッチとボージョビッチとの最初の邂逅だった。

ワールドカップが終わり、Jリーグが再開に向かっていく中、札幌も力をつけているように思えた。選手のコメントからは充実感があったし、マスコミの記事もこの実直な新監督の指揮を好意的に捉えていた。そんな中で僕は、7月初めの1週間ほどを実家で過ごすことになった。自分の中のどこかで無理がたたったのか体調が悪化し、2週間の静養を医者から言い渡され、とりあえず半分を実家で過ごすことにしたのだ。まだ夏の盛りにはちょっと遠い午後の日に、いつものように僕は札幌駅から大通へとあてども無く歩いていた。風は爽やかだったけど、僕の心はこれからの焦りと不安と疲れで淀みっぱなしだった。その途中で、僕は二人の姿を見たのだ。そのスターバックスの、ガラス張りのカウンターの向こう側に。回遊水槽を眺められる向こう側から見たら、そんな僕の姿はさぞかし生きの悪い目の濁った魚に見えたに違いないだろう。でも二人はそんな僕や他に過ぎ行く人々には目もくれず、何かを話していた。白に緑のアクセントがついた紙コップを前に、イバンチェビッチが熱心に手ぶりを交えながら話している。ボージョビッチがそれを冷静に聞いている。その光景がしばらく続いていて、僕はそれを見過ごして歩くことが出来ずに二人を見つめていた。それのほんの数秒間だったのだろうが、なぜか僕はとても長い間彼らを見ていたような気がして、突然にそんなことをしていた自分が下卑た感じがしてなんだか恥ずかしくなって、ちょっとだけ早足でまた歩き出した。
あの時の彼らはとても、とても、熱を発しているように見えた。札幌をどうにか立て直していこうとしている、彼らはそれを成し遂げられると信じているのだ、と思った。こんなことを、あんな熱を、これほど身近に感じたのは初めてだった。
 
あの時二人は何を話していたのだろうとふと思う。戦術なのか、戦略なのか、それともそれすらを超えたフットボールの哲学とも言えるような話だろうか。あれからおよそ一年が経って、彼の思いが聞きたいと何故か僕は思っている。そうして僕はこう言いたいのだ、確かに結果は伴わなかったが、あなたが札幌で成したことは間違っていなかったと。少なくとも僕はそう信じているのだと。もう一度会う機会があったら、僕はそう言いたい。そして僕はあなたの姿に励まされたのだ、と彼に感謝したい。そんなことを思い出しながら、なんでもないのに勝手に一人で少し恥ずかしく思いながら、僕はあの時イバンチェビッチの座っていた場所で、揺れ動く回遊水槽を眺めている。今年は去年より暑い夏になって欲しい、その熱がずっと続いて欲しいと思いながら。

posted by retreat |22:37 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

スポンサーリンク

トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.consadole.net/retreat/tb_ping/85
コメントする