2008年04月18日

CONSAISM clasics #41

clasics #41です。ちょうど日韓ワールドカップから一年後の話。
ちょっと肩の力が良い具合に抜けてて、個人的に好きな回。


一年前の5月31日、夜あなたは何をしていましたか?

一日の仕事を終えて、帰り道についていましたか。それとも家にいましたか。まだ仕事中でしたか。誰かと一緒でしたか。それとも一人でしたか。日本と韓国で開催されたワールドカップの開幕戦、王者フランスと、未知の国だったセネガルとのゲームを、どこで見ていましたか?

はて、と僕は思い出すまでにしばしの時間を必要とした。このところ一年前の記憶どころか昨日の夕食の献立さえも憶えていないような健忘症っぷりなのでちょっとしたことが思い出せずに苦労することがよくあるのだ。・・・ああ、思い出した。あの試合は新宿で見ていたんだった。大画面に映されるとってつけたような開会式のあと、「ラ・マルセイエーズ」の合唱とそこに重ねて大写しにされたジダンの顔を見て、ああワールドカップなんだと実感したんだっけ。後ろの席にはドイツ人らしい一団がいて注文するのに難儀していたっけ。よくわからない若者が騒いでいたっけ。ジャパニーズ・フーリガン!とか叫んで。それに僕は気分を悪くしたんだった。うざったいからつまみ出してくれ店員さんなんて思ったりしていたんだっけ。そしてキックオフ。リズムをつかめないフランスに対して、開幕の緊張などどこにもないように奔放に、でも意外に統制の取れた試合運びを見せるセネガル。次第に気づいていく、フランスはリズムに乗れていないのではない。疲弊していたのだ、最初から。セネガルのゴールに、店の中では落胆と驚きがないまぜになった歓声があがる。4年前の輝かしいフランスはどこへ行った?と疑問符を頭の中に並べながら見ているうちに、開幕戦はどんでん返しの幕を開けて終わった。今になってもうまく形容できないでいる熱気がくだを巻き、僕を戸惑わせ、狂わせたワールドカップの始まりは、そんなふうだった。

あの一ヶ月、僕はどうせ行けないだろうと思っていたワールドカップの試合を生で見ることが出来て、「si se puede!」が僕の中での流行語になって、新宿で「テーハンミングッ!」の大合唱を聴いて、日本対トルコ戦では当たり前のように代表のレプリカを着て会社の会議室で試合を見た。青いシャツとイングランドの7番のユニフォームが日本中を塗り分けた。わけのわからない焦燥と無軌道な高揚感が日本中を突き動かしていたように思えた一ヶ月は横浜の夜に終わりを迎えて、みんな何事もなかったかのように普通の毎日に戻っていった。その「戻り方」のあまりにもあっさりとした切り替わりに僕はまた困惑し、その後に再開されるJリーグの行く末にちょっとした不安を抱いたりした。そんな流れの中で、一年後の事なんかわかりもしなかった。それよりも札幌の一部残留が全てに優先していた、という事実もあったけれども。

そうして一年後、である。なんだかんだと言いながらもJリーグの観客動員数は増え、サッカーに興味のある人が増え、何人かの代表選手は海外移籍を果たした。そこに深みは感じられないながらも広く浅く、なだらかにフットボールはその地平を広げていった。本当はワールドカップがあった一年前、僕はきっと日本のフットボールシーンはもっと大きく変われるものだとばかり思っていた。Jリーグはもっと盛り上がり、代表はもっと強くなり、もっとフットボールが楽しくなるとものすごくポジティブに考えていた。でも今になって、それは現実になったかというとそうではない。むしろ僕の浅はかさを助長して、自己嫌悪をちょっとばかり、いやかなり悪化させただけだった。まあ自分の考えが相当に甘かったってことなんだろう。そうそう自分の思うようになんか行かないし、総体としての世界は急激に変化することなどないのだろう。それがわかっただけでもオッケー、と思うことにする。

けれども僕はこれからもフットボールの世界において、こんなふうにポジティブに考え続けることをやめないだろうと確信犯的に思っている。いろんな街に大小問わずクラブが出来て、熱心に試合を見つめるファンがいて、フットボールが広がっていく。そんな妄想とも空想とも取られても仕方の無いような思いを、僕は止めることが出来ないし、止めるつもりも無い。それほどまでに僕はフットボールに憑り付かれてしまった人間になってしまったのだ。ボールはゴールに向かって前に進んでいく。なぜなら、それがフットボールだからだ。そして僕の人生も否応無しに前に進んでいく。なぜなら、それが僕の人生だからだ。そうして僕はゴールを奪われながらもゴールを決めるべく前に進む。取ったり取られたりしながらゲームは終わることなく続いていく。それが僕のゲーム。僕のフットボール。一年前も一年後も、今までもこれからも変わらない「前に進む」というポジティブな事実。それを僕はやっと実感しつつある。

この文章を書いている今日、札幌の天気はスガシカオの歌じゃないけれども宇宙まで突きぬけそうな青空で、僕が宮城スタジアムで「ワールドカップ」を体感したときもこんな汗ばむくらいの天気だった。メキシコ人もエクアドル人も日本人も、あの時あの場所にいたみんなが青空の下にいた。そして僕がこんなことを書かなくったって、青空はもの言わず続いていたのだ、ずっと。

posted by retreat |21:46 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

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