2007年12月20日

CONSAISM clasics #4

続いて第4回。
今でも悔やんでいる、とあるお話の始まりです。


ここまで3回、僕は「サッカーと生活の割り切り」について書いてきました。それはつまり、勉強や仕事といった日常生活に出来るだけ負担をかけず、どんなふうに札幌を応援してきたのか、そして試合の時にはひたすらに応援をしていく、そういうことを書いてきたつもりです。
しかし、今回書く話はそういったテーマではなく、むしろ相反する話です。
多くの人が記憶に残しているであろう「1998・12・5」にまつわる僕自身の心の動きと、そこで得たものを書いていきたいと思います。
 
前年、圧倒的な力でJFLに優勝し、僕自身は「残留できるだろう」という漠然とした安心感を持っていました。ウーゴ・マラドーナとバルデス、吉原を軸とした攻撃陣は抜群の破壊力を誇り、片やペレイラ・ディドの守備も安定していた前年を見る限り大崩れをすることは、普通に試合をすればまずないだろうと思っていました。しかし、その甘い考えは開幕戦の日本平で簡単に砕かれました。バルデスの先制点に驚喜した以降、札幌が得点することはなく逆に失点を繰り返し、1対4の敗退。トップリーグのチームの力という物を目の当たりにさせられました。
ただ、それでも「残留ぐらい大丈夫だ」という考えは捨てませんでした。横浜マリノス、磐田といった上位チームに大敗はしましたが、中位、下位チームとはしぶとい勝負が出来ていると思っていたからです。それでも試合では勝利する事が出来ず、歯がゆい思いをしました。Vゴール取り消しの柏戦、延長負けの名古屋戦、前半2点リードながら後半4失点の京都戦・・・。「何で勝てないんだ!」と憤りながらも自分の気持ちというか、前述の「漠然とした安心感」は変わりませんでした。
「まだ大丈夫、これだけの内容なら残留は出来る」と。

そうして迎えたセカンドステージ、札幌はカウンター戦術がはまり勝ち星を挙げるようになっていきました。いくら攻められても守り抜いて決定力のあるカウンター一発。この戦術で勝ってゆくにつれ、「安心感」は増していきました。特に後半の対ヴェルディ、対市原戦での勝利はアウェイを中心として応援してきた僕にはたまらない勝利でした。そのころには参入決定戦に回ることが確定的になっていたにもかかわらず。
いま考えると、気持ちの中では目先の勝利ばかりを求めることに夢中で、そうやって参入決定戦のことを考える冷静さや、不安感からあえて目をそらす「逃げ」の気持ちがあったんじゃないかと思います。2部に落ちるという恐怖感を克服することよりも、目先の勝利を求めることで漠然とした安心感を手に入れる気持ちが勝っていた、そんな気がします。
 
そんな気持ちの中迎えた神戸との参入決定戦。僕の中ではまだ「安心感」が支配していました。相手は神戸で、2戦2勝で、終盤には調子が上がってきている。だから大丈夫だろう、と。
けれども、試合が始まるとその気持ちにいつもと違う雰囲気が混ざっていることに気がつきました。いくら応援していても何か届かないような、声が萎縮してしまうようなそんな気持ち。実際、あれだけのサポーターがきていたはずなのに、人数ほどには声が出ていない気がしました。結局神戸での試合は敗れ、室蘭での試合に逆転を託すこととなった訳ですが、僕自身は室蘭には行きませんでした。まだどこかに「何とかなるだろう」という安心感にすがって、現実を見切れていなかったのです。
そうして室蘭には行かない事を決め、僕は大学での勉強に戻る事にしました。つまり今までと同じように「割り切った」わけです。 しかし、そうして生活していくうちに何かがいつもと違う感じを覚えました。割り切ることだけではない何か。衝動のような不安のような混乱した感情が僕の中にわき出しました。そうした気持ちを抱えながら僕は学生生活を送りました。
 
そして、ようやくその感情に気がついて、恐怖し、後悔し、僕が今こうして応援していることの礎となる気持ちを経験するのは、室蘭で神戸に破れ、博多での福岡戦を迎える時になります。

posted by retreat |23:43 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

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