2007年12月14日

aftertalk#2

そんなわけで、aftertalk第2回でした。

このころは社会人1年目の年も暮れようとしていた時期で、自分が思い描いていた社会人像と実際の自分の姿がかけ離れていることに悩んで近づこうとしたり、自分自身のスタイルはどこにあるのかと考えたりもして難しい一年だったなあという記憶がある。チームも残留を果たしたけれど岡田監督退任というショックがあり、来シーズンに関しては必ずしも100%ハッピーな想像ができていなかったころ。

で、この回では前回に引き続いて「自分とフットボールの関わり方」ということで話を続けている。学生から社会人になって生活と生きるスピード(大げさだけど)が変わり、そこらへんの線引きや割り切り方に苦労していた頃。そういうふうにフットボールと生活をわざと乖離させて考えようとしていたことが間違っていたのかもしれない。「平日=仕事の日、だから応援には行かない」なんて書いているあたり、ガチガチに堅い頭の人間だなあ。平日じゃないところでも働いている人たちがいるからこそ社会は回っている、ということを思いっきり無視しているというか、明らかに見下しているよなあ。と、自分の青さを恥じてしまう。そういう上から目線を持っていたにもかかわらず会社で働くということを猛烈につまらなく感じていて、このつまらない会社社会と楽しいゴール裏の世界がどこかで繋がっていて、フットボールも生活もすべて地続きだということを信じたくなかった。それでもミスで落ち込んだ気持ちなんかはゴール裏に持ち込まないようにしたし、コールリーダーをやっていたから余計にそういう所は見せないようにしようと強がっていた(と思いこんで、「コールリーダーとしての自分の姿」にすがりついて生きていた)。そんな矛盾がいずれ自己の破綻を生む原因になったのだけど、それは後の話。

もうひとつ、この頃に考えていたのは「ストレス解消の応援はしない」ということ。いち観客として試合を見に行く(他のチームとかリーグとか)のは趣味というかストレス解消になることはあるけど、札幌の応援をするときだけはそんなことを思っちゃいけないというスタンスだった。声を出すのも跳ぶのもチームのため、応援のすべてにおいて自分にも他人にも甘えは許さないというある意味思想的に極端で強制的でヤバい(苦笑)考え方をしていたんだなあと思う。この頃ってそういう自意識の水槽の中に自分で自分を縛ったまま勝手に落ちて溺れていたようなもので、ふとしたことで思い出して「あのときは人間としてマズかった」と落ち込んだりすることもあるけど、わたしは元気です。何この自己批判。

まあ、今はもうちょっとそのあたりをゆるく考えられるようになったというか、「『興行』としてのフットボールを楽しむという人を否定しない」という気持ちにはなっている。「楽しむ気持ち」をそれなりに持っていないと応援は続けられないし、続いたとしても唐突に冷めたり壊れたりしてしまうのだろうと思う。「ゆるい部分を持ちながら続ける」というのが今の自分のスタンスだ。それは意識の変化なのか、大人になったとういうことなのか、老成ということなのかはまだわからないけど。

posted by retreat |23:44 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)

スポンサーリンク

トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.consadole.net/retreat/tb_ping/5
コメントする