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2006年02月20日
後藤 義一(ごとう・よしかず) 1964年2月20日生まれ、42歳 横浜FCユース監督(2004年~) 2003年 横浜FC #24 MF 7月に再度選手登録、シーズン終了後抹消 同 アシスタントコーチ 2002年 同 #7 MF シーズン終了後現役引退 2001年 同上 2000年 同上 1999年 同上 1998年 コンサドーレ札幌 #7 MF 主将 1997年 同上 1996年 同上 1995年 ジェフ市原 MF 1994年 同上 1993年 同上 静岡市(旧清水市)出身 清水商高→中央大→古河電工・市原(86-95) 38歳まで現役をまっとうできたのは、横浜FCのようなチームにもなりふり構わず入団したことも大きいのだが(苦笑)、それ以上に、「合理的で無駄な体力を必要としない的確なポジショニングを取る能力の高さ」が挙げられる。決してボールさばきは一流とは言いがたいが、相手の攻撃の芽を先回りして潰したり、効果的な飛び出しでゴールを脅かしたり(枠にはなかなか入りませんが(^^;;; )、ボランチであれどこであれ、相棒との絶妙なバランス感覚をとりながらの仕事ぶりは、指導者としても生かされていくものと信じています。願わくばコンサに戻ってきてほしいとは思ってますが、オファーはあったんでしょうか? そして忘れてはいけないのが、キャプテンシー。プロ在籍3チームではいずれも主将を経験。特に、プロアマ混成の大所帯である初期のコンサは、彼がいなければチームは空中分解していただろうと言われています(退団した途端、本当に空中分解。岡田監督はその対策に頭を悩ませたと言います。2002年も見事に空中分解してくれましたが(メ-_-) )
2006年02月18日
木山 隆之(きやま・たかし) 1972年2月18日生まれ、34歳 ヴィッセル神戸ユース監督(2005年~) 筑波大監督(2003-04年) 2002年 水戸ホーリーホック #22 DF シーズン終了後引退 2001年 同上 2000年 同上 1999年 同 背番号など未調査 1998年 コンサドーレ札幌 #5 DF 1997年 ガンバ大阪 #17 DF 1996年 同 DF 1995年 同上 1994年 同上 兵庫県伊丹市出身 伊丹西高→筑波大 「フィジカルコンタクトに優れた、安定感が売りのセンターバック。状況判断の良さが光り、鋭い読みをベースにしてタイトなマークを見せる、冷静さと激しさを併せ持った選手」(1998年版オフィシャルガイドブックより抜粋) 背番号を見てもお分かりのとおり、1998年のJ昇格1年目のコンサの主力として期待されており、第1ステージは開幕戦をはじめ13試合にスタメン出場。しかし、決して守備が安定していたとは言いがたく、サポーターからの風当たりは決して弱くはなかったと記憶しています。第2ステージになり、梶野・大野コンビが安定してくると出番は激減。第6節・鹿島戦で先発した際など、ボランチでの起用も試されたが、それも3試合にとどまり、チームのJ2降格とともに戦力外通告、退団とあいなった。 その後、99年に、J2初年度からの加入に失敗した水戸へ移籍。何とか成績面で3位というギリギリの線をクリアすることに貢献(97年当時の水戸の力を考えれば大したものですが…)。2000年にはJ2で2度対戦している。
2006年02月17日
後藤 静臣(ごとう・しずおみ) 1966年2月17日生まれ、40歳 1998年 大分トリニティ #27 DF シーズン終了後引退 1997年 同上 1996年 コンサドーレ札幌 #26 DF (東芝社員選手) 福岡県北九州市出身 八幡中央高→福岡大→富士通(88)→東芝(95) 96年は社員選手ながら22試合に出場と活躍。シーズン終了後、社員選手が続々と戦力外通告を受ける中、hfcからプロ選手としての契約を打診されていたが、結局大分に移籍した。 引退後、大分スタッフ入り(ユースコーチなど務める?)。その後の去就については不明な点が多いが、2006年4月に、フットサル場「フロンタウンさぎぬま」の支配人に就任した、という情報がネットで拾えた
2006年02月16日
田渕 龍二(たぶち・りゅうじ) 1973年2月16日生まれ、33歳 2003年 ヴィッセル神戸 #22 DF シーズン終了後退団 2002年 コンサドーレ札幌 #2 DF 2001年 同上 2000年 同上 1999年 同上 1998年 同 #2 MF 1997年 同上 1996年 大塚 #3 MF(結婚前は旧姓:花垣) 1995年 同上 1994年 同 背番号など未調査 1993年 同上 1992年 同上 徳島県鳴門市出身 徳島高 97年にJ昇格を目指して大量に補強された17人(だったはず)の選手のうちの1人。入団以来、長くレギュラーポジションを死守。通算170試合出場。4-4-2ならDF、3-5-2ならMFとして登録されるが、常に右サイドを主戦場としており、求められている仕事の内容は変わりない。 派手さはなく、淡々と堅実な守備を見せるところが渋い。時折出る思いきりの良いオーバーラップも魅力なのだが、これが出るときはコンサは絶好調。2002年は…(;_;) 2002シーズン終了後、サポーターには惜しまれつつ戦力外通告で退団。一時は引退して奥さんの実家でワカメ養殖を手伝う、という話もあったものの、その後神戸に練習生として入団。こちらは1年で退団。 その後、徳島に帰郷。自動車学校の教官をしながら、アマチュアでプレーを続けているようです
2006年02月14日
クレーベル(Kreber Romero) 1976年2月14日生まれ、30歳 1999年 コンサドーレ札幌 #8 MF シーズン途中に退団。その後の去就不明 ブラジル出身 マツバラ→コメルシア→マツバラ→マリンガ 技術的には決して低い選手ではなかったと思われるが、開幕戦にスタメン出場しただけで終わる。日本になじめず、本人も帰国を希望していたようだが、それよりも、一時は10位中9位まで沈んでしまったコンサの立て直しへ、新外国人を獲得するために解雇となったという見方の方が強い。いかんせん、彼の後任者はあの「ビジュ」。コンササポにとってはクレーベルと言われても「それって、誰?」というのが正直なところではないでしょうか(^^;;;
2006年02月13日
藤ヶ谷 陽介(ふじがや・ようすけ) 1981年2月13日生まれ、25歳 2006年 ガンバ大阪 #22 GK 2005年 同上 2004年 コンサドーレ札幌 #1 GK 2003年 同 #21 GK 2002年 同上 2001年 同上 2000年 同上 1999年 同上 静岡県浜松市出身 磐田東高 2001年ワールドユース日本代表で背番号1、正GK。 当然、アテネ五輪日本代表入りも可能なポテンシャルも持っているのだが、佐藤洋平と同時期入団で、長らくJでレギュラーを取れなかったのも災いしてそのポジションを失ってしまった。 2003年に正GKの座を奪取。2004年は晴れて背番号1を手に。J2では年間わずか5勝で最下位に沈んだコンサだが、天皇杯では8強入り。その中で存在感を発揮した。 2005年、ガンバ大阪のオファーを受け移籍。その移籍金が、アテネ五輪代表で正GKの座を争っていた林卓人獲得に使われたというのは皮肉な話である。 ガンバでは怪我で出遅れたものの、逆に松代の怪我で巡ってきたチャンスを生かして正位置を奪い、現在に至る。
2006年02月02日
吉原 宏太(よしはら・こうた) 1978年2月2日生まれ、28歳 2006年 大宮アルディージャ #9 FW 2005年 ガンバ大阪 #18 FW 2004年 同上 2003年 同上 2002年 同上 2001年 同上(この年より完全移籍) 2000年 同上(レンタル) 1999年 コンサドーレ札幌 #18 FW 1998年 同上 1997年 同上 1996年 同 #38 FW 大阪府藤井寺市出身 初芝橋本高 元祖・コンサのアイドル。鋭いスピード、あくなき闘志、そしてルックスの3拍子を兼ね備え(←いや、ほかにも良いところはあるけど…)ルーキーイヤーから大活躍。プロ入り直後はフィジカル面に課題があり、シーズン当初は活躍していたのに後半になると…ということも多かったが、徐々にシーズンを通して活躍できるようになる。1998年にはトルシエ政権下で五輪代表候補に選ばれ、99年のアジア第1次予選でデビュー後大ブレーク。 結局、その年、J1復帰に失敗したコンサを退団することになり、色々な意味で物議をかもした。コンササポが彼をどのように見ているか、というのは人それぞれだが、私はコンサ時代の活躍(とりわけ、アウェイサポを増やしてくれたこと)に感謝するとともに、今でも応援しています。ファンクラブも入っています(^^)v 会員番号759番(←誰も聞いてないってば(^^;;; ) http://www.welovekohta.com/ ただ、順調と思われたガンバでの生活も、西野監督とのそりがあわず、徐々に出番が減少。2005年、リーグ優勝を置き土産についに移籍を決意。2006年は大宮で再起を期そうと戦っているが、今度は怪我に泣かされ、なかなか思うようにはことが運ばない