2007年02月10日

世界に発信

娘がやっと歩き始めた○十年前、週末のアウトドア生活が始まった
その頃まだ馴染みの無いオートキャンプだったが、友人の影響でバニングカーを手作りして道内を旅した
金曜の夜にお結びを作り、仕事から帰る亭主を娘と待ち
まるで札幌から逃げるように、目的地まで夜道を走った
その頃は未だ携帯電話も普及していなく、ポケットベルを持つ生活だった
忙しい日常の仕事から逃れたくて、週末は自宅を留守にするのだった
ポケベルが鳴っても、地方に居れば免除(笑)
そんな生活が何年も続いた

一番多く通ったのが洞爺湖だった
温泉街では無く、洞爺村にある小さなキャンプ場が、私達家族の癒しの場所だった
蛇口が二つの小さな鉄板作りの流し台があった
トイレもあった
水とトイレがあれば、キャンプはOK!だった
自宅の冷蔵庫にある食材を、湖のほとりで調理して食べる
食材が切れれば、地元の農協で買い物をする
昼間カヌーを出し湖の上で過ごしたり、地元の銭湯に行ったり、夜は拾い集めた木っ端で焚き火をして、火の扱いかたを教えたり
ただそれだけのキャンプだったが、娘にとっては最高の遊び場だった

夏休みには一週間も同じ場所にテントを張り、このまま表札を出しておけば郵便物が届くのでは?と思ったこともあった
そんな私達を見ていた人がいた
ある朝「お早うさん!」と寝ていたテントの前で声がした
初老の男性がニコニコと立っていた
「いつも来てるねぇ。イチゴは好きかい?」と、イチゴ摘みに誘われた
まだ6時だった(苦笑)
前日、雨が降ったので、イチゴを早く採らなきゃ痛んでしまうのだと言う
娘は初めての経験に、イチゴ畑の中をずっと下を向きながら、両手で食べ歩く
もうお腹いっぱいどころか、下を向くとうっ!と成りそうな程満喫
(しばらくは、イチゴの顔も見たくなかった‥笑)

その方は、洞爺村観光協会の会長さんだった
それからは、搾乳した生乳を分けてくれる牧場を紹介してくれたり、サクランボの木を教えてくれてサクランボ狩を楽しんだりと、すっかり仲良しに成った

「これからはキャンプが流行るかい?」と聞かれ、一般キャンプとオートキャンプの分離や、
モータースポーツを楽しむ地域の話などをした
それから数年のうちに、キャンプ場として村はすっかり様変わりしてしまい、設備も何も無かった、
誰も来ていなかった静かな湖は無くなった

先日、来年夏に行われるサミットの話があったが、この候補に洞爺湖の高台に有るホテルの名があがった
色々な条件があるようだが、誘致表明をすれば有力候補の可能性があるようだ
だが厳しい財政状況で、積極的誘致活動をするゆとりの無いのも現実らしい

ここ数年、ニセコスキー場が盛り上がっている
国際交流が少しづつ広がっているとき
多くのクリアしなければ成らない事情もあるだろうが、北海道を世界に発信するチャンスを逃さないように、前向きに検討して欲しい
ただでさえ、だんだん活気を失っていく温泉街
私達家族が愛した洞爺湖が、世界に飛び立っていく姿を見たい

posted by akamini |14:04 | 社会の動き | コメント(0) | トラックバック(0)

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