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初生観戦:岡田武史が初めて来札したときの神戸戦 名刺代わりのキーワード「パラグアイ」

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ご心配ありがとうございました

2006年01月30日

母儀薬効むなしく1月12日、永眠いたしました。
ご心配いただいた方々には、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

このようなわけで、ワタクシの開幕は、四十九日経過後のからとなります。



post by いそやん

03:18

日記 コメント(0)

鳥栖の思い出

2006年01月22日

「もう負けはごめんだ」「うちらも」

おととし、鳥栖に行った時、われらがコンサドーレは連敗中であった。
同じく、鳥栖も連敗中。しかもうちらよりも連敗のトンネルは長かった。
うちらは3くらいだったかな?相手は8とか。
でもって、うちはそのシーズン、相手の連敗を止めてあげるというボランティア精神にあふれていて(またの名を「地雷」)、試合前は正直ひやひやモンだった。
そんな中で、鳥栖側のゴル裏に貼ってあったダンマク「もう負けはごめんだ」。
そしてそれを見て白いガムテで即席で作ったのが「うちらも」。
同類相憐れむダンマク合戦だったとす。おしまい。



post by いそやん

14:02

コメント(3)

【マンガ】甲府昇格に思う【うろ覚え万歳】

2005年12月18日

私が毎号買って読んでいる雑誌に、月刊「アフタヌーン」というマンガがある。
コレに連載されている「ハトのおよめさん」っつう不条理ギャグマンガ(って呼んでいいのかな・・・?)が大好きだ。
http://www.kanshin.com/keyword-600061

主人公はハトのおよめさん(名前は知らない)で、彼女の子どもの名前はブッコ(初めて口にした言葉が「ぶっ殺す」だったから)だんなさんも確か名前がなくて、あとはアヒル師範とかドクターニャールセンとかいろいろ。
内容はバイオレンス、エロなどなど、大人でしかわからないもの(だと思う)。

ときどき、メタルとかプロレス好きっぽいネタが出るので油断ならないこのマンガだが、作者はどうもサッカーも好きらしい。
以前、はとよめがサッカーを見に行く話があって、その試合が「すずめヴァンフォーレ」vs 「(忘れた)」であった。
すずめヴァンフォーレはリーグでも弱小チームで(チーム全員すずめだから)、キャプテンのカンナバーレも怪我をおして出場している状態。
対戦相手のほうは、細かいことは忘れたけど、とにかくダーティなチーム。
で、すずめヴァンフォーレはやられ放題なので、はとよめがはとビームで加勢しようとするのだが、なんだかんだで自力で勝つ、という落ちだった(と思う)

作者は札幌出身といううわさもある(http://blog.livedoor.jp/momo_t3/archives/154671.html)ので、ぜひその後のすずめヴァンフォーレを書いて欲しいと思う今日この頃。

あっそれじゃ不条理ギャグにならないからつまんないか。

ちなみに連載開始のきっかけはアフタヌーン四季賞への応募だったが、審査員からは「箸にも棒にもかからない」扱いだったのを編集者の一人が熱烈に推し、無理やり掲載したのが始まりだったと記憶してます。



post by いそやん

16:01

日記 コメント(7)

入替戦第2戦観戦

2005年12月12日

ひょんなきっかけで、日立台に行って来た。
当事者たちにとっては非常にセンシティヴな一戦を、他サポが興味本位で見に行くというのはある意味非常に悪趣味のような気もしたが、後学のため行ってみることにした。

内容と結果は報道の通りで、柏が、まさに「完膚無きまでに」打ちのめされた試合であった。
しかもバレーの確変の長いこと。5点目獲った後はさすがにいつものバレーに戻っていたが…

それはさておき、

アウェイゴール裏は、それぞれ半分ずつが、両サポに割り当てられていたのだが、私が着席したメインスタンドのアウェイ側にも、多数の甲府サポがいた。
私の耳には、甲府サポ、柏サポ両方のつぶやきが入ってきていたわけである。

スタジアムの緊張感は私の中に罪悪感を植え付け、私はそれに耐えきれず、試合前に思わずビール1杯飲み干してしまった。

試合前のDJタイム、アジアナンバー1を決めた千葉ロッテマリーンズの小宮山投手からの応援メッセージが、今季途中でできたワイドでないビジョンに放映されていた。
ゲート口では、柏サポとボランティアの人が、「一緒に声を出して応援しましょう!」と、ビニルのビブスやファンバナを配っていた。

スタメンが発表される。外人2人が入り、残る外人1人もベンチイン。
柏の外人のダメっぷりは噂に聞いていた程度だが、大野の調子が上がり、矢野貴章や宇野沢らが生き生きし出したのが外人を外すようになってからだから、
ひそかに「早野、外人と心中だな」と思った。
調子が上がってきていたはずの矢野も前半を数分残して3人目の外人と代わり、もう勝負は見えてしまった。

外人どうこうというよりも、柏はすでにチームとしての体をなしていなかった。そのバラバラっぷりは、他サポから見ても痛ましいほどであった。
コンサでいえば、天皇杯で大分に4-0でやられたときのような気持ち?
きっと柏サポたちは、私たちがつい一昨年のシーズン中感じていたことと同じ気持ちを今年ずっと持っていたに違いない。
「早野を信じていいんですか?」
「フロントを信じていいんですか?」
「チームを信じていいんですか?」
「応援してる俺たちって、なんか間違ってるんですか?」
「ぼーくーたーちーのー将来は、よーくーなーってゆーくだーろーぉか?((c)中島みゆき)」

「後10分。2分で1点取れば勝てる」
「あと5分。1分で…」
つぶやき君の言葉が痛々しい。

「バレー絶好調。楽ショー」
浮かれ君の言葉は飛び道具でぶっちぎって昇格したいつかの我々の姿を思い起こさせる。
うちら、こんなに鼻持ちならなかったんだなあ。キーッ

試合前日に友人と言っていたこと。
柏サポが試合後ピッチに乱入するかどうかについて。
「負けたら怒って乱入、勝っても感激してやっぱり乱入」
しかし、おとずれたのは、静寂のみであった。
甲府サポも、監督の胴上げ直後くらいまでは大騒ぎしていたが、その後雰囲気を察したコールリーダーの指示で、静かになった。

シーズン最後のホームでの試合。
ピッチの真ん中にマイクが立てられ、社長が挨拶をする。
挨拶というより、お詫びだ。
「土下座しろ」「早野を出せ」
怒号すらすでに弱々しい。
「1年で必ず復帰します」
言わない方がいいんじゃないのかなあ…ここまでチームが壊れちゃ。

サッカー観戦としてはあまり充実感はなかったが、
すごいものを見たなあ…という印象だけは残りましたとさ。

さ、うちらはうちらでがんばろっと♪



post by いそやん

13:53

雑感 コメント(6)

サヨナラは別れの言葉じゃなくて

2005年12月03日

岳也さんのコンサデビュー戦は、JALサンクスマッチの清水エスパルス戦。
清水ではJALさん、胸スポンサーなのよ。空港もないのに…
しかもうちの腕スポンサー料よりも安いと言うウワサ。
…それはともかく。
赤黒のバンダナいただきましたねえ。
双方のチーム名はもちろんですが、日付も入っていたでしょうか…しばらくお弁当を包むのに使っていましたが、今は保管庫に移動してます。
元のつくりはかっこいいのに、いつまでも山国センスと言うか、垢抜けないところが魅力でした…

タバさん…あなたが移籍してきたとき、当時付き合っていたレッズサポの彼氏から、ことづかっていましたよ。
「田畑をよろしく。あいつ、レッズに入ったばかりのとき、ブッフバルトに、
『これでレッズのセンターバックは10年安泰』と言わしめた天才なんだよ。
1年で3回骨折したり苦労してるけど。」
その彼氏もおととし知らない人と結婚しましたよ。
それまで、もしかしたら復活できるんじゃないかって、タバさんが活躍するたびにメール送ったりしてましたよ、ええ。
すみません。

三原さん…鳥栖時代の、俊輔もかすむほどの美しいFKでのゴールは、全国放送でしたよ。
あれを赤黒ユニ姿でも見たかった…
イイヤツ度が顔に出てるのが、勝負師としての運のなさを物語ってるのかも…

そこの嘆いてるアナタ!
今日はお別れを言える数少ない機会の1つですぞ!
ぜひ、大声援をもって、新しい道を行く彼らへのはなむけとしよう。

もっと早く書けばよかったな。



post by いそやん

10:28

雑感 コメント(1)

引退

2005年11月29日

大好きだった関脇・琴ノ若が、千秋楽を待たずして引退した。

37歳。
膝の故障はほとんど持病だった。
「息子に相撲を取っている父親の姿を覚えてもらうためにも、一日でも長く現役を続けたい」
その思いが、彼を土俵に上がらせていた。

彼を特別に好きなお相撲さんと感じ始めたのは、学生のころであった。
もちろん、その端正なマスクにやられたわけである。
上背もあり、左上手を取れば強かったが、そのやさしさのせいか相撲が遅く、左に固執するあまり半身に持ち込まれて横から押し出されることも多かった。
評論家の評判は「遅い」「闘争本能がない」=「大成しない」がほとんどだった。

霧島、巨砲、寺尾と個性的なベテラン力士が引退していく中で、
ほとんど目立たない存在だった琴ノ若が、いつしか幕内最年長になっていた。
優しさゆえに大成しないと言われていた彼が、それでも長く相撲を取ってきたのは、父としての自覚ゆえに違いない。

彼が先代佐渡ヶ嶽親方の娘さんと婚約した時には、
「優しいから政略結婚とわかっていても断れなかったに違いない」
と、穿った見方をしていた。
近年は反省している。

あきらめるような土俵の割り方や、「ミスター1分」と呼ばれたこともある遅い相撲も、ここ数年減ってきていた。
30半ばを過ぎて、強い思いが、相撲まで変えてしまったことは、驚きであった。

先代佐渡ヶ嶽親方が体調を崩してからは、現役と親方代行の二足のわらじ状態だったそうだ。
これからは、佐渡ヶ嶽親方として、第2の相撲人生を歩むことになる。

それにしても、もう一度生で見たかったなあ・・・
実は、彼の本割を見たことがないのだ。
チャリティー相撲や、靖国神社での奉納相撲では見ているのだが・・・
真剣勝負の立会人というのは、相撲それ自体が興業であることとは裏腹に、ときにそれ相応の覚悟を必要とすると思う。

ありがとう、琴ノ若。



post by いそやん

00:56

雑感 コメント(5)

もう釣られない

2005年11月24日

非常に残念なことに、わがチームは来季の2部残留が決まってしまった。
可能性を信じて闘い続けた人たちには、お疲れさまと言いたい。
けど、こんな中途半端な実力で運良く上がったって、前のJ1時と同じ間違いを犯しそうだ。
ここはひとつ、今確実につきつつあるこの実力を、残りシーズンの実戦とオフ後のキャンプで熟成させて欲しい。その様子は、絶対に一見の価値あるものと思う。コンサ好きでなくてもいい、サッカー好きに見て欲しい。

今季は、家庭の事情もあり、ホームはおろか、近場での試合も行く機会が少なかった。
久々にアウェイに行くと、中心部に知らない顔のサポーターが増えていたり、知らない歌ができていたり、びっくりすることもある。

けれど、こと声出しに限ってはどうか。
前のJ2のとき、初めて駒場の離れ小島に押し込められたときの気合と声量はあるか?

こんな、何かを失いかけているような漠然とした不安は、実は、J1時代の国立での浦和戦のあたりから、うすうす感じてた。

いつも宇都宮から青春18きっぷでやってくる2ちゃねらーの某氏に言われること。
「お前らいつもなんか食ってんな。俺は試合中は食わないぞ。闘ってんだからな。」
彼自身の信念により最近はレプリカも着ない彼の、この言葉にはシビれる。

レプリカ着てます、もちろん背番号入りです、アウェイの観光地でもサポであることを主張するためこれ見よがしにグッズをぶら下げます、アウェイのスタジアムの名物もたいてい食いました、練習後も試合後も出待ちします、日々サイン欲しいから…

どうなんですか。

自戒も込めて。。。2005晩秋

おつかれてる場合じゃない。
まだシーズン終っちゃいない。
>若い彼等は今・・力を蓄えています(しまふく寮通信より)
妙齢の私も、チームに栄光を招き入れるべく、応援力を蓄えていきたい。
一朝一夕には無理だけど。



post by いそやん

15:05

雑感 コメント(4)

社員旅行

2005年11月18日

前近代的と言っていいだろうか、明日はわが社の社員旅行である。
日帰りで、バスを1台仕立てていく。
強制はしない方針なので、参加人数は社員の3分の1くらい。
それでも大成功の部類に入るらしい。

最近はあみしまさんなんかが中心になって格安なバスツアーを組んでくれているが、私がバスツアー使ってたころと言うのはひぐまさんの「関東バスで行くアウェイ応援ツアー」だ。
選手たちがアウェイで利用しているのと同じ会社のバスで、モチロン同じ車体。

勝利を収めた選手たちのバスに高速で並びかければいっせいに歓声と乾杯の声を上げ、行きがけに磐田のバスが後ろにつけば、いっせいにブーイングで戦いを挑む。
守谷のサービスエリアで選手と合流すれば、デジカメのシャッターが切れないのを野々村に怒られる。
どの思い出も、こころ1つのバスツアーだからこそ今尚輝き、私の胸を熱くする。

さて、明日のおじさんだらけの社員旅行はどんななんだろう。
参加を決めさせたものは何?
上司とのしがらみ?立場上?体のいい保育所代わり?組織愛?



post by いそやん

23:46

日記 コメント(2)

【思い出】決戦は金曜日

2005年11月16日

さる日曜日の試合の前に、このブログで、その試合のことを「決戦」と呼んだ。
その時、数年前の「決戦は金曜日」とサポの間で呼ばれた、川崎フロンターレ戦を思い出した。
縁起悪・・・悲しいことにその連想は当たってしまった。

試合内容で覚えているのは、けちょんけちょん(北海道弁で言うところの「ちんちん」)にされ、最後の3点目だか4点目だかは森川にやられたことくらい。

試合後、札幌から来ていた方から、
「関東の方たちにお配りしようと思ったけど、もう、やる気が出ません・・・お願いします」と頼まれ、
付近の方たちに白い恋人を配ることになった。
もちろんこちらもやけくそなのだったので、愛想を振りまいた記憶はあるが配った相手の顔なんて覚えてなかった。
その中に女の子の2人組がいた。彼女たちは、それで私のことを長いこと北海道の人だと思っていたらしい。
その年の間に、私たちはみな、札幌の方も、2人組も、お友達になった。

今や、その片方はかわいいお嫁ちゃんを経て去年1児の母となった。
もう片方は当時からすでに主婦だったが、去年からガスサポに転向、今ちゃんと増嶋を応援するため、アテネやらオランダやら韓国やら、世界を駆け巡っている。
その根性の奥底には、私がA代表コータを応援しにパラグアイに行った時の、
「英語通じる国じゃなかったけど、『セニョール』『セニョリータ』『グラシアス』でなんとかなったよ」
というみやげ話があったらしい。
(さいごの一文だけあやしいですw)



post by いそやん

23:43

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往生しまっせ

2005年11月14日

いまどき「往生」なんて言葉を使ってるのは、極妻か永六輔か、森繁久弥(まだか)と、この人たちくらいだろう。
http://www.discstation.co.jp/VSSHOP/cgi/DS_goods_item.aspx?ns=YRBE-60038

なんば花月とか行ったら、噺家がステージで草履履いてるけど、
寄席行ったら、漫才師は靴下で(靴はかないで)しゃべるのよ。

私が見たのは国立演芸場なんで、靴下でした。



post by iso057

23:52

コメント(10)