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HN:たじ たこ焼きの移動販売「ほっと12」の店主です。 2001年からコンサドーレのサポートシップスポンサーを継続中。 このブログは旧題「たじ争論」でしたが2010年より「たじの○○な話」に改題致しました。 個人的に好きなことや興味のあること、気になったこと、その他いろいろを特にサッカーやコンサドーレにとらわれずに適当に書いてこうと思ってます。
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2007年12月24日
東野圭吾の小説。2006年映画化。 兄が殺人を犯した弟の物語。 昨日はその映画を自宅テレビで見た。当然号泣。 「手紙」は最初小説で読んで、テレビの映画チャンネルで見て、小説読み直して、また昨日映画を見る、というように交互に繰り返している。だから昨日は見る前から泣くことはわかっていたし、泣くために見たようなものだ。 小説やマンガなど原作付きの映画で映画の方が原作より面白い、と思うことはほとんどない。映画の出来がどうこうではなく、2時間くらいの尺では足りないと思うことがほとんどである。「この小説を映像化するなら大河ドラマくらいの長尺が必要」なんて思うこともよくある。しかし、この「手紙」に限っては映画の方が原作よりも面白い、素晴らしいと思った。主人公が目指す職業をミュージシャンから漫才師の変えた設定変更も見事だと思う。あれでラストシーンが際だった。しかし、そういう技法的な話ではなく、社会正義と家族愛のあり方を問う作品として、映画の方がシンプルである。映画を見てから小説を読み直したとき、正直小説に贅肉が付いているような気がした。ちょっとエピソードがくどい感じ。 そして、小説では主人公の務める会社の社長が2度出てくるのに対して、映画では1度だけである。この違いはかなり大きい。小説では2度目に社長が登場したときに「君はまだわかっていない」と主人公を否定をするのだが、映画ではその否定がない。これはある意味原作者東野圭吾の意図するところと映画の意図するところが違うものになっているのではないか、という気がする。二度目の社長の言葉こそ東野圭吾の思想ではないか。 しかし、あえて映画ではその思想を削ったのではないかと思う。そして、そうしたことによってこの手紙が作品としてよりよいものになったのではないかと思う。 原作より映画の方が面白かった作品として私には印象に残る映画である。
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