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HN:たじ たこ焼きの移動販売「ほっと12」の店主です。 2001年からコンサドーレのサポートシップスポンサーを継続中。 このブログは旧題「たじ争論」でしたが2010年より「たじの○○な話」に改題致しました。 個人的に好きなことや興味のあること、気になったこと、その他いろいろを特にサッカーやコンサドーレにとらわれずに適当に書いてこうと思ってます。

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スポーツとナショナリズム

2008年07月29日

いよいよ北京五輪が近づいてきた。私も当然世間並みに五輪は楽しみにしている。
四年に一度、スポーツの世界最高峰の大会。単にレベルの高いスポーツの大会というだけでなく、五輪が注目される理由はナショナリズムの喚起、投影ということにある。過度にナショナリズムを強調すると胡散臭くなるけど、日本人が日本選手を応援するのは自然感情というもの。普段それと意識していない人にも、自分の帰属意識を認識させる、それが五輪である。

世界的には、五輪以上にナショナリズムを感じさせるものがサッカーではないかと思う。多くの国において、人気NO.1スポーツがサッカーであり、サッカーの勝敗に国の威信、プライドがかかっている、と考える国は多い。しかし、日本の場合はサッカーは決して人気NO.1スポーツとはいえないし、日本ではサッカー日本代表がナショナリズムと直結するほどには認知されていない。2002年のW杯開催をピークに、サッカーの国民的関心は薄れてきている。このことは日本のサッカー界を考える上では非常に重要なことだと思う。Jリーグの秋春制問題で、そのメリットとして言われていることは海外移籍を活性化させ、日本代表を強化することだと言われている。その結果としてJリーグも活性化するという論理である。考え方としてわからないでもないが、しかしこの「代表が強くなれば結果としてJリーグも活性化する」という考え方には大きな錯覚があるのではないかと私は思う。確かに代表の強さとJリーグとが全く無関係とは言い切れないものの、その発想はサッカーが人気NO.1スポーツの国、サッカーとナショナリズムが密接に結びついている国の発想なのではないか。日本はそうではない。日本では代表が多少強くなったとしても、日本国民のサッカー熱に大きな影響はないのではないかと私は思うのだ。もちろん、ワールドカップで優勝するくらい強くなれば話は別だが、グループリーグを突破できるかどうかのレベルでは多少強くなったとしてもほとんど影響はないだろう。

逆に言うと、日本においてもサッカーが人気NO.1スポーツになり、日本サッカー代表の勝敗に国の威信がかかるようになれば、「代表強化=国内リーグの活性化」の図式が出来るはずである。長年日本の人気NO.1スポーツは野球であった。しかし、この野球というのは権威化された国際大会がないので、野球にナショナリズムを投影させる機会はほとんどない。その意味ではサッカーの方が将来的にはナショナリズムと競技を結びつけるチャンスがあるとも言える。では、サッカーが人気NO.1スポーツとなり、ナショナリズムと結びつくためにはどうすればいいのか。野球との比較で言うならば、サッカーが野球に対してアドバンテージを持っているのはなんといってもチーム数である。野球はもう何十年も12球団から減りも増えもしない。それに対してサッカーはJリーグ創設期は10チームだったのが現在はJ1J2合わせて33チーム。J加盟を目指すチームは他にもあり、まだまだJリーグチームは増える見込みである。つまり、野球チームと競合する一部大都市圏ではなかなかJリーグチームがプロ野球チームの人気を上回ることは難しいが、全国的に見て、プロ野球チームのない地域にJリーグチームをどんどん増やしていけば、多くの地域においてサッカーがその地域の人気NO.1スポーツの地位を得ることが出来る。日本地図を塗り絵的にサッカー色に一県ずつ塗りつぶしていければ、最終的にはサッカーが日本トータルの人気NO.1スポーツになるときが来るかもしれない。そうなれば「代表強化=Jリーグの活性化」の図式で事を進めても良いのではないかと思う。

しかし、それでは「サッカーさえよければ良い」という競技エゴではないかという気もするし、そもそもスポーツ競技とナショナリズムを結びつけようという発想自体に問題があるのではないかという気もする。理想を言えばスポーツ競技と政治的イデオロギーは無関係であってほしいものだが、現実はそうはいかない。人間の社会生活の中にスポーツが存在する以上、ナショナリズムとか、イデオロギーとか、政治とか、民族とか、そういうものと切り離して考えることはできない。私にとってコンサドーレは大切な存在だが、ならば「コンサドーレさえよければいいのか」と問われるとその回答は困難である。スポーツに過度にイデオロギーを背負わせるべきではないが、スポーツがイデオロギーから解放されることもあり得ない。

ずいぶんと取り留めのない内容になってしまった。
「スポーツとナショナリズム」について考え込んでしまうのもまた五輪の季節ということなのかもしれない。


post by たじ

11:28

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