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2016年11月10日
前回の続きです。 年間207万人以上、1試合平均2万9千人、日本シリーズの道内の視聴率50%超。 コンササポが、これだけ多くの日ハムファンを叩き、日ハムを含めスポーツ好きなファンを叩き、日ハム戦で道内外から札幌ドームに足を運ぶ人達を叩き、いったい何の得になるのでしょう? 逆に、そんなことをネットで書かれてしまったがゆえに、これらの人々を敵にまわしてしまう。 日ハムも優勝したからコンサの優勝するところも見たい!と思っていた人が何人離れたか、日ハム戦で札幌ドームに運んでいた足をコンサに向けようと思っていた人達をどれだけ退けてしまったか。 コンサを熱烈に応援しています!コンサ一筋!などと言っていても、どれだけ獲得可能なファンを退ける結果になってしまっているのか、そういう書き込みをしている人達に、真剣に考えてもらいたいものです。 他のJ2のクラブと比較して、コンサは客が入っているなどと言っている人もいますが、札幌市は195万人もの人口をかかえ、都道府県で考えると北海道は550万人。全国の県の半分以上は、札幌市の人口よりも少ない。 もっともっと、観客を動員できる可能性は、大いにあるはずです。 コンサは、年間20~25万人程度で、J1なら高いかというと、2012年で20万4千人、2008年で24万7千人です。1試合平均では、1万~1万3千人程度。 日ハムとコンサの数を単純に比較して欲しいというよりは、ぜひとも日ハムファンの皆さんにも、コンサの試合に足を運んでサポーターの一員になっていただきたいと、本当にコンサのことを思うのならそう感じるはずだと思うのは、私だけでしょうか。 本当にコンサのことを思うのなら、「日ハムとコンサ両方応援してるやつの気が知れない。」などと言っていることをいけないことだと気づいて、改めて欲しいものです。 繰り返すようですが、心の中で思っていただくのは結構、ただそれをまわりに伝えれば伝えるほど、あなたはコンサの応援ではなく、コンサやコンササポの足を引っ張る厄介者になっているだけだということです。 俺たちの札幌と歌っているからと言って、本当に俺たちだけのものと錯覚しないで欲しい。 俺たちだけのもので終わってしまっては、チームの成長はないのです。 テレビ観ても、日ハムばっかりでコンサやらないし。だから日ハム嫌い。 となるのは、わがままな小さい子供の論理で、それだけのチームになった時にもしそうであれば、その時におかしいと言いましょうよ。 このことでマスコミを叩いているいい大人のコンササポもいて、それに若い学生と思われる男性がとても適切な反論をして、どっちが大人でどっちが本当にコンサのことを考えているのか、それに気づいて恥ずかしくならないものかと思いますが、きっと恥ずかしく思わないから、ああやって安易に何でも叩けるわけで、これがこの問題の根の深いところでもあります。 人でも会社でもチームでもファンでも、叩こうと思えば叩けることなどいくらでもあるでしょう。 でも、そんなことばかりしているような人のまわりに、人は集まるでしょうか。 同じような仲間は集まるかも知れませんが、まわりの悪口ばかり言っているような人達が多数派になるほど、日本人の見識は衰えてはいません。 昨日も、本当にたまたま見たコンササポの男性と女性のツイッターのやり取りで、フォローしたしないのお互いの間の自分はこういう人間だけどそれでも良いかという条件で、男性側の条件の中に、「日ハム大嫌い」とありました。 女性側も、嫌いなものがあるようでしたが、「~が苦手です」という表現でした。 自分がこの男性の立場なら、相手のほうが常識的な表現で、「大嫌い」などと書いた自分が恥ずかしくなりますが、この男性にはそういう感覚はないようで、他もひどい書き込みでした。 ひどい書き込みであっても勝手ですが、どんな書き込みでも回を重ねれば賛否を問わずフォローが集まりますし、いろんな条件検索に引っかかってきますし、結局は、こういう書き込みが、コンササポのイメージになってしまうのです。 日ハムと検索すると、コンサユニのユーザーが表示されて、中身は日ハムバッシング。 札幌ドームと検索すると、コンササポの日ハムバッシング。 健全にスポーツを楽しみたいのに、そんな考えを持った人たちがたくさんいる場だと思われたら、行く気も失せるでしょう。 しかし、現在もまさにその悪いイメージを持たれるような状態が続いていますし、こういうイメージがどんどん拭い去られていくどころか、ずっと無くなりません。 ネットという場で自由をはき違えてしまい、節度を持った言動といった自制を持つことが人として当たり前なのに、身勝手な感情をぶつけることが当たり前だと勝手に思い込んでしまっています。 国家や宗教など、狂信的にそこに力を集めるために洗脳のように行われることが、敵を作ってそれを徹底的に叩くことです。 逆に、何かにのめり込んでしまい、それ以外のものを認めないような排他的な考え方になってしまった場合に、普通の人はそこで異常なことと自分で気づき、狂信的なまでにのめり込んでトラブルになるようなことを避けるものです。 言葉の乱れは心の乱れとも言いますが、言葉遣いということよりも、その内容がまた問題で、悪く言うことの次には、実際に相手を攻撃することなどに発展する恐れもありますし、攻撃的な言葉が、ふとした場合の不特定の相手への攻撃に変わってしまうことだってあり得ます。 だから、ああいう言葉を書いている人達には、自分の心の乱れにつながったり、自分とは縁のないはずの犯罪などへの道を作ってしまっていることにも気づいて立ち止まって欲しいのです。 それが自分だけでなく、例えばそれを10代の若者が読んで叩くことにのめり込んでしまい、襲撃しようなんてことにだってなりかねないのです。 つづく