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2008年04月16日

aftertalk #40

clasics #40をお送りしました。こないだ「何書いてるんだかわからないシリーズ」と名付けたやつの第2回ということですが、まあそんなこと言っても毎回何書いてるんだかわからない内容ではあるんですがね。人生をサッカーに例えたり、その逆だったり、別のもので例えてみたり、そういう考え方を軸にしてここまで書いてきてるわけですが、この回は「考え方」そのものをテーマにして書いてます。「Life is Football」とか「No Football,No Life」っていう言葉がその昔からサッカーを語る巷にはあって自分もそういうのを使ってきたけれど、最近はそうも思えなくなってきた。もっと複雑で深遠な、入り組んでいて怪奇な、そんなものが人生には含まれているんじゃないかと。その思いをじっくり煮詰めていくと、とてもじゃないが人生をサッカーなんぞに例えることなんてのはすっかりできなくなってしまった。90分では収まりきれない、11人でも成り立たない。そんなシンプルなものでもないとずっと思っていたけど、サッカーに例えるとするとあまりにも単純になりすぎる。人生は人生にしか例えられないものだと思うようになった。

それでもサッカーにはあのピッチとスタジアムでしか表現できない、何ものかがある。だからサッカーを見ているし、これからも見ていくんだろう。人生の中にサッカーがあるのでも、サッカーの中に人生があるのでもなく、また同時にそうとも言える。渾然となって存在しているとも言えるし、それぞれ全く別の存在によっているということも言える。それこそ「Life is Football」とか「No Football,No Life」のように、この世の何事をも一言で例えられるような言葉というのは実は存在しないのではないだろうか。存在しないというよりも、「それ以上」の範疇で語ることができない、そういうことかもしれない。人間が発明したスポーツを語るには人間の発明した言葉では足りない、もしくは人間の言葉では足りないほどの存在になってしまった。言葉も人種も住む街も飛び越えてひとつのボールを共通の存在にして、みんなでボールを追いかける、そんな世界というのはなかなかに楽しい。言葉にしなくても、蹴るだけで、もしくはそれを見つめることで気持ちの伝わる世界だなんて、こんなに幸せなことはない。

posted by retreat |22:02 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)