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96年シーズンオフからコンサ応援を始めました。 97年シーズンから練習見学などもしてコンササポ生活を送り、それまでの貯金を使いまくってアウェイ遠征もしていたら、あっという間にコンサドーレ貧乏に。

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コンサドールズ

2007年02月11日

コンサドールズさんのブログのほうにも書かれておりますが、
トレーニングキャンプにお邪魔させていただきまして、
自分の体験での知識範囲ですので、参考になったかどうか少々不安ではありますが、お話をさせていただきました。
しかしながら、ドールズのみなさんは、可愛いですね。
一生懸命、頑張っている姿は、とっても素敵です。
私にもあんな可愛い時代があったのだろうかと思うほどの可愛さです。(変な表現ですが・・・苦笑)

んでもって、ドールズの野口ゆうさんにインタビューもさせていただきまして、今度の12日(月)に放送になりますので、お時間がある方は、是非きいてくださいね!

※トラックバックの仕方がわからずなので、ドールズのブログもご覧くださいませ。(^^;;


背番号がかわいいのにぃ

2007年01月21日

キックオフパーティ2007に行ってきました。
最後にお披露目になる新ユニフォームですが、一足先に記者向けのユニフォーム披露を見ていたのですが、私が見て、一番最初にあれっ違うって感じたのは、番号のデザインなんです。
親子線というのか、番号の右側にもうひとつ線が入ったような感じ。そして背中の番号の下の部分には、コンサエンブレムが白黒で入っているではありませんか!よくメーカーのがデザインに入っている番号は見かけますが、これって、コンサドーレのユニフォームじゃないとないオリジナル番号なので、サポーターにとって、レプリカユニで番号入れるときにも、この番号のじゃないとって思うと思うんですよ。しかもオシャレな可愛いデザイン。
てっきりサポーターの前でもそのお話をすると思っていたのですが、なにもなし。背番号に関しては、ビジョンに映されることも無く正直言って残念。
あの番号がいいのに。(もちろんユニフォームがあってこその番号ですよ)
絶対、おおぉぉ~!!って歓声が上がったはずだと思うんですけど。
少なくとも、レプリカに番号を入れて応援してるサポーターにとっては心をくすぐるアイテムだと思うんですけど。
実は、私、昨年のレプリカユニは番号を入れてません。というのも自分としては好きな番号は15番です。(語ると長くなるので割愛します)とはいえサポーター番号として12番をチームからもらっているわけですから、迷ってしまって、(なぜ迷ったかの話も長くなるので割愛しますが)番号無しのままだったんです。結局、番号を入れるとお金も時間もかかるじゃないですか。
今年からは12番を背負う予定でいますけど、スポンサーも付いている状態で売られるわけですから、試合の時には家からドームまで着て歩くから、もっと安くしてって思うんですけどね。(^^;

いろんなユニフォームの変遷がありますが、オーセンテックっていうのは普通に着るっていう場合は、かなり着にくかったですね。(^^;
サテライトの試合でユース選手が着かたを間違えて袖から内側の布が出てたことがあったのを思い出します。(^^;

ところで月曜の夜7時すぎからの私の担当コーナー用に三浦監督にミニミニインタビューをしました。ファン感の合間でお話を聞いたので、明日ちらっとですが流れますんで気にしておいてくださいね。


点灯式の司会担当します

2006年11月22日

すっかり書くのを忘れてました。(^^;
明日の石屋製菓の白い恋人パークのイルミネーション点灯式の司会を
担当させていただきます。

よさこいイベントでの司会は毎年担当させていただいているのですが、
イルミネーション点灯式は、5年ぶりかな?久しぶりです。(^^)

ということで、さきほど石屋さんのところに打ち合わせに行って来ました。
点灯式なんですが、ここをご覧になる方でしたら説明しなくてもわかっている方が多いと思うんですけど、外ですから寒いですので、防寒対策はしっかりとしないと辛い思いをしてしまいます。(自分もなんです)
んでもって、17時40分からなんですが、○×クイズもあるんですけど、最後まで残った方のプレゼントがここでは言えませんが、私も欲しい!!
で、場所なんですが、ローズガーデンの前のところなので、かなり狭いところになってます。(工事中のところがある為)
バラの花も背が高くなっているので、いらっしゃる方には、ちと見にくい場所でご覧になっていただくという方が多くなると思いますが、ご理解のほどをよろしくお願いします。

さて、これから選手への質問など考えます(^^)


来週は今野くんの声

2006年11月07日

昨日は、多くの方に反応していただきましてありがとうございます。
やはり、コンサの歴史にとって宏太くんは欠かせない人物。
2年ほど前にHFCの某人物に「宏太はもう年だから」と言われて、かなりムカムカしたんです。若返りを図る計画だったからなのかもしれませんが、砂川さんと同じ年のようなんですよね。。。。。。。。

あんなにコンサドーレのファン拡大に貢献した選手は、いないと思いますし(何気に一番のファン拡大は岡田監督のようだったみたいなんですけど・・・)、ファンサービスに関しても、本当に素晴らしい選手でしたよね。
石屋製菓のイルミネーション点灯式では、寒い中並んでくれていたからと言ってくれて、すべての方のサインにこたえていたわけで。あのときは、2時間以上に及ぶサイン会だったかと思うのですが、これがとても印象に残ってます。
宏太くんに戻ってきてもらいたいという気持ちもすごくありますが、どこにいても輝いてくれていればうれしいですし、感謝の気持ちでいっぱいです。
私の母も宏太くんファンですんで、家にもずっとパネル写真が飾ってあります。(^^)

しかも、今のほとんど変っていない宏太くんの姿や笑顔。
今回、大宮×FC東京の試合を駒場に見にいきまして、試合後にミニインタビューをさせていただいたのですが、事前に大宮の広報の方にお願いしていたものの、何も話を聞いていなかったようだったみたいで、「あら?冷やかしに来たんですか?」って、帰り際に普通に気がついてくれて声をかけてくださったんですわ。っていうか会うのも久しぶりだったんですけど、よく気付いてくれたっていてうのもありがたい出来事です。
ということで、危なく帰ってしまうような状態な中で、ちらっと説明してミニインタビューにこたえてくれたっていうエピソードもありました。苦笑

で、次週ですが、今野くんのミニインタビュー。
サウジ戦で札幌にやってきてくれると信じて13日の放送にしました。
代表選手決まるのって、今週末でしょうかね。
宏太くんにお話を聞いたあとに今野くんに話をききました。
大宮×FC東京での試合で今野くんが得点しまして、1-0でFC東京の勝ちだったということもありまして、これまた声をもらうのが大変そうだったのですが、こちらはFC東京の広報の方の素敵な配慮で囲みインタビュー前にコメントをいただいたので、短い時間ではありますが、今野くんの誠実さの出ているコメントですんで、よかったら聞いてくださいませ。

それにしても、久しぶりにJ1の試合を生で見まして、宏太くんがベンチのみだったのが残念だったのですが、今野くんの活躍も見れたり、試合そのものも楽しい試合でした。J1の試合って、楽しいなぁと。。。
自分のチームだけではなく、相手チームをみる楽しさもあるんですよね。

現在のコンサですが、チームの顔になる魅力的な選手がいません。
フッキは頑張ってますが、若い女の人たちを呼ぶような選手じゃないですし、魅力的な選手を獲得する場合、どうしても目立つポジションのFWで魅力的な選手を獲得してもらいたいです。そして、強ければ間違いなくお客さんは見に来ます。強くない場合、、、相手チームにも魅力がなければお客さんがやってこないです。
そういうこともあって、やっぱりコンサも早くJ1で戦ってもらいたいです。
いつかまた満員のドームでプレーをしてもらえる日を楽しみにしてます。


吉原宏太くんの声

2006年11月06日

10月はすこぶる忙しすぎて、なんにも出来ずにおりまして、
ここの書き込みも全く出来ませんでした(^^;
10周年感謝デーでは、OBの方の声などをいただきましてラジオで放送させていただいたのですが、多くの方に聞いてもらいたかったのにここで予告も出来ずにおりまして、残念です。。。

ということで、今日6日なんですが、夜7時すぎにSTVラジオで、宏太くんの声が流れますので、よかったら聞いてください~
先日、さいたまに行ってもらってきました。
ちなみに来週は、今野くんの声がちらっと流れます。

ここに書き込む時間があまりなくて、すみません。。。
って、別に期待している人いないかもしれませんが(^^;


10周年感謝デーについて

2006年09月18日

1ヶ月ぶりのご無沙汰でした。(苦笑)
今回は、選手カタログを書かずに申し訳ないんですが、ちと私の不満を書き綴らせてください。

まずは、、、ここのブログを書いていない間に、コンサドーレ感謝デーでOB戦があるっていうニュースが飛び込んできましたけど、みなさん、ちょっぴり不満はありませんか?
コンサの歴史を語る上で、大切なキーマンが数人いると思います。
現在も現役選手の人は、来れないでしょうし、他チームのコーチ陣もシーズン中ですから難しいかもしれませんよね。それはごもっともな話ですし、ぶっちゃけ、前座試合にしないで、いろんな人があつまれそうなシーズンオフにやってくれてもいいかと思うほどです。1月のファン感謝デーの目玉イベントとかにしてくれたら最高ですよね。
とはいえ、10月21日にやることが決定して、それはそれでもちろんいいんですが、飛行機代などの交通費を出せないからっていう理由で大事なOB選手を呼ばないというのはいかがなものでしょうか?
もっと早く教えてくれたら、お金を募って呼ぶことも出来たんじゃないかとか思ったりもしましたし、OB選手の人気投票をして選ぶという手もあったのではないでしょうか?(とはいえこれない人はいるでしょうが・・・)

私が大好きだった元コンサドーレ選手のあの方は、今イタリアにいますが、コーチ留学をしているため、無償でキエーボのチームでコーチとしての勉強をしています。
ですから、このようなイベントのためだけに飛行機代を自腹で日本に戻ってくるっていうことは出来ないはずです。でも、旅費が出るならば戻ってきてOB戦に出場することは可能なようなんです。
札幌ドームで試合をしたいって、ドームが出来る前から言っていた彼は、他チームの選手として、練習でドームのピッチには立ったものの、試合では立てないまま引退してしまいました。
資金難で缶バッチを売ったとき、選手なのに手伝ってくださったのは、彼と古川さん。有珠山噴火の際の義援金を街頭で呼びかけたのも彼が選手会長のときです。今はドーレくんしかお邪魔することがなくなってしまった施設訪問なども積極的に参加して、試合以外でも、コンサドーレのために一生懸命活動してくれた選手です。
イベントの時には、前日にドールズの踊りを習ってまでイベントに参加していたりもした人です。こんな選手は、今のところ彼だけかと思います。
私が言ったところで説得力が欠けてしまうのかもしれませんけど、どう考えても、コンサの歴史の前期を語る上では、はずせない人物だと思うんです。
右の田渕、左の村田 キャプテンの後藤さん、デリーとウーゴ。そして、ペレイラ。宏太くんももちろん外せません(でも現役ですから来れるわけがない)
本当は、岡田さんも外せないかと思うんですが「負けてもともと 引き分けでよくやったと言われるのはもうたくさん」と横浜の監督になったときに言ったコンサのフロントを批判的するようなコメントが非常に腹立だしかったので、当時の感謝はもちろんしてますが、見るとムカムカしてしまうことがあります。(とはいえ指導者としては素晴らしいんですが)

っていうか、よく考えてみてください。一般的に見たいと思えるコンサ選手が今いないということは、残念ながら客が来ない理由です。
弱いですし、見たい選手がいないっていうことになると、一般のお客さんは来なくなるわけです。そして、昔応援していた人も来なくなってしまっているじゃないですか。それだけ昔の選手は魅力的な選手が多かったわけで。
ペレイラや宏太くんのおかげで、全国各地から試合観戦に来ている人もいました。岡田さんも代表監督の後でしたから、かなり見に来る方も多かったですし、岡田さんのおかげでコンササポが増えたのは確かです。

10周年の感謝デーで、チケットを安くするのはいいことだとは思いますが、シーズンチケットを買っている人間としては、申し訳ないですが不満です。
だいたいSS席のシーズンチケットは1試合あたりにすると3000円くらいになるはずなんですけど、それ以下の2000円。
JFLの時は、たしか前売りでSS席が2300円だった気がするんで、今が高すぎると思います。何故、値下げしないのか。
J1じゃなくて、J2。相手チームの選手みたさにやってくる一般のお客さんは横浜FCのときくらいじゃないですか。
やはりあえて、あの程度と言わせてもらいますが、あの試合で4200円っていうのは、高いと思います。
昔は、チケットの売れ行きがあまりよくなかったら、サポートシップスポンサーに招待券を送ったり、なんとかお客さんがやってきてくれるような努力をしていたと思います。今は、なにもしていないんじゃないでしょうか?
がっぱり空いている席をサッカー少年団にプレゼントしてもいいんじゃないでしょうか。

日ハムの人気がすごいことになっちゃってますから、見習うべき部分があるのではないでしょうか。日ハムは北海道にやってきての歴史は浅いですが、球団としては歴史がありますし、ファンサービスに対しては、とても上手いと思います。これは金銭の問題ではないことばかりですから、HFCは、もっともっと努力をしないといけないと思います。
HFCも個々には素晴らしい人たちばかりですが、団結というか一体感がないというか、みんなバラバラに見えるのは気のせいでしょうか。

結局、コンサ人気がないからマスコミも取り上げなくなるっていう悪循環が生まれている気がしてなりません。

お金がないのなら無いなりに、お金のかけない方法で
サポーターからもいろんなアイデアを募集するということも考えて欲しいです。
過去のコンサは、チームはファミリーって掲げてましたけど、今はファミリーっていう感じが全くなくないですか?あの頃のように地元チームがある喜び、感動をわかちあいたいものです。


6.太田貴光さん

2006年08月13日

当時、貴光さんといえば、鳥居塚さん。鳥居塚さんといえば貴光さんっていうくらい、この2人が仲良しすぎて、ある意味、嫉妬してしまうサポーターがいるのではないかと思えるほど2人はラブラブでした。
パス練習でのペアも、練習後に帰っていくのも、そしてルイヴィトンのバックまでおそろい。いくら住んでいるところが近かったっていったって、かなり不思議なくらいいつも一緒に行動し、貴光さんが登場したイベントに鳥居塚さんが普通に見に来ているっていうことも目撃しました。っていうか、どうせ見に来るぐらいだったら、鳥居塚さんもイベント要員にしちゃえばいいのになぁとも追ったんですけど。(^^;
女の子同士って、そういうのがよくありますけど、男の人同士でそういう付き合いをしている人たちってあまり見かけることがなかったものですから、本当に珍しいくらい仲がいいんだなぁと思ったわけで。

この2人を中心に仲良しっぽいグループがありまして、それを勝手に鳥居塚グループと勝手に名づけて呼んでいたんですけど、この鳥居塚グループに、現在は育成部にいる当時ホペイロだった斉藤さんや赤池さんとかがいたんですけど、みんなカッコイイので、こんな人たちが団体で歩いていたら、目立つだろうなぁと勝手な想像をしてました。(^^;

太田さんが怪我をして大変な時期がありました。

私が当時綴ったコンサドーレ練習日記より~
97年10月4日(土)の一部抜粋
[太田さん松葉杖]
太田さんが練習に参加せず、トレーナー室の前で、ジャージ姿でいるではないか!以前から足首が調子悪いと新聞で見ていたのですが、山形戦で途中交代。昨日も、監督と面談していたし・・・。こりゃ、大変だと思っていたら、なんと松葉杖1本(山本マネージャーのだと思われる)を使っていました。(山本マネージャーは、スタッフやサポーターたちが戦う第2回フェルナンデス杯で怪我をしたらしいです。それで、松葉杖2本でやって来ていたのですが、帰り1本になっていたものですから)しかも、足首ではなく、長ズボンではっきりとはわかりませんが、ひざの部分にアイシングか何かをしているようで、もりあがっていました。右足のひざです。
・・・ということで、明日のデンソー戦には参加できません。代わって、朝倉さんがボランチをやるようです。

結局のところ、右ひざの半月板を損傷して手術してリハビリしていたものの、98年のメキシコキャンプ参加途中で札幌に戻って再検査して再手術したかと。ですんで、98年の前半は、ずっと別メニューで6月下旬から合流し、7月のフリエ戦(たしか三ツ沢)で試合に復活したんです。
この三ツ沢での試合を見にいってたんですけど、当時、横断幕職人だった私にとっては、三ツ沢は試合観戦はとても近く出来るのですごくいいのですが、横断幕が1人では貼れないそれはとてもとても貼りにくい場所。柏とかも貼りにくかったなぁ・・・。なので、みんなに協力していただいたり、協力したりして貼っていたのですが、貴光サポの「おかえり」横断幕は、ご本人に気付いていただけるように目立つところにって思って貼ったはずだったんですけれど、ご本人が気付いていなかったっていう寂しい出来事があったなぁと。そういうこともあって、太田さんの復帰戦は、途中から登場でしたが、そんな記憶が残っているんです。
98年に戦力外通告されたのは、とてもショックでした。

現在は、清水エスパルスのユースのコーチをしていますから、ユース同士の対戦の時には、鳥居塚さんはいないけど鳥居塚グループ(斉藤さんと赤池さん)は再会を楽しんでいるに違いないと思います。


5.朝倉徳明さん

2006年08月12日

ここで97年の背番号順で選手を振り返るにあたって、すごく久しぶりに朝倉さんのことを思い出してました。
97年の当時ですら謎の人物だったもんですからごめんなさい。

私は、96年のオフシーズンからコンサを応援しようと思ったので、チームを応援するにあたって、誰か好きな選手を作ろうって思ったときに、コンスタントに試合に出ている選手を応援したほうが楽しいと思って、96年の試合によく出ていた選手にしようって思ったもんですから、実は朝倉さんも私にとっては応援候補のひとりで、97年も試合にいっぱいでるであろうと思っていた選手なんです。
というのも、96年の試合記録を見ているとたくさん出てました。それに比べると97年はあまり試合に出ていないんですよね。かといって、試合に出ると悪くないですから、いかにサッカーというのは監督次第で選手起用が違うものなんだなぁ~と朝倉さんを見ていて思ったのでした。
朝倉さんはボランチでしたが、当時のボランチといえば、コンササポにとっても太田貴光さんのほうがメジャーだったと思います。

練習後の服装は、うすピンクっぽいシャツをボタン少し開けていたイメージがとっても強くてかなりおしゃれさんでしたし、私にとって、当時から謎めいてましたし、現在も朝倉さんが何をなさっているのかも全く判らないのです。

ということで、当時の綴った文章をご覧くださいませ。

私が当時綴った「97年の選手たち」より~
朝倉徳明

タイトル:私にとって謎の人物な朝倉さん
フロントと折り合いが合わずに残念ながら退団になった朝倉さん。1月1日に出産予定だった子供は、無事産まれていると思うのですが、新聞に情報が入らないのでちょっと寂しいです・・・。

[残りの5試合出場]

朝倉さんは、ボランチの人。だから太田さんがずっとボランチで定着していたので、出番が少なかったようです。しかし、太田さんが累積警告で出られなかった厚別ホームでの第10節の本田技研戦や太田さんの怪我の為の残り5試合や天皇杯で活躍してくれました。そして、控えに入った3試合が本田技研戦と東ガス戦(2試合)なので、試合がピンチで困った時に出るというよりも、最初から東ガスと本田技研戦では、途中からダブルボランチで戦おうと監督が考えていた戦術だったのだろうと思ってしまいました。
かといっていつも太田さんの影に隠れてしまった朝倉さんの悔しさは何かしらあったと思います。新聞の記事とかでも太田さんの変わりといわれるのを嫌がっていたようですし。コンサドーレにやってくる前も、太田さんと同じ清水エスパルスだったわけですし・・・。

[免許が無い?]

朝倉さんは、免許をとっていないらしく、奥さんが運転して練習場にやってきているようでした。しかし、朝倉さんが帰っていく姿というのは、練習場であまり見かけないのです。私の中では、いつのまにか帰ってくる選手の1人です。ところで、94年のJリーグ名鑑の中に朝倉さんが載っているのですけど、その中に書かれていたコメントが練習に遅刻してくることが多いと書かれていました。でも、私が見ていた練習では、そんなことがなかったなぁと思ったのでした。それは、独身時代と違うからなのでしょうか。

[仲良しなひとは、誰だ?]

あんまり、朝倉さんのことがよくわからないというのは、ただ単に私が村田さんを基準に練習を見ているうえで、あまり村田さんとストレッチでペアを組んだり、ふざけていたりしないからなのですが、結局のところ、私は、朝倉さんが誰と一緒の行動をよくとっているのかがわからないのです。でも、一つだけわかったのが太田さんがいないと鳥居塚さんは朝倉さんと一緒の行動をとっていました。鳥居塚さんったら、太田さんとペアだったとおもったのにボランチの人が好きなのかしら・・・。

[ナンバーワン]

朝倉さんは、どちらかというと練習にもトレーナーなどの上下姿というよりも、シャツにスラックス姿が多かったと思うのです。それで、シャツもボタンを2~3個開けているのが多かったものですから、金のネックレスがチラチラと見えていました。どちらかといえば、胸元セクシーナンバーワンなのかしらって思ったりして。


4.古川 毅さん

2006年08月11日

古川さんとは、ちと変った想い出がたくさんありまして。。。
まず、、、私が唯一手をつないで走ったJリーガーなのです。
フェルナンデス監督時代は、チームはファミリーということで、選手、スタッフ、サポーターはファミリーだったわけですが(ファミリーといえば今ではヨン様のファンとかが家族みたいですが・・・)その一環として、フェルナンデス杯っていうサポーターとチーム対抗のサッカー大会があったり、98年には、モエレ沼公園で運動会っていうのもあったんですよね。
この運動会の中で、私も借り物競争に参加したのですが、その競技内容は、選手と手をつないで走っていって、カードを引いて、そのカードに書いてある人や物を借りてゴールするっていうものでした。
んでもって、私のパートナーが古川さんだったんです。
とはいえ、その当時は、あまり古川さんと会話をすることがなくて超緊張。っていうか手をつなぐっていうことが緊張ですよ。
引いたカードは「黒い靴下をはいているおじさん」ギャラリーゾーンで大きな声で探すものの、いないいない。苦笑
私も声が大きいですが、古川さんも大きくて、2人の声が一番でかかったわなどと見ていた人が笑っていたようですが、余裕も無く一生懸命叫んでました。
黒い靴下の人がなんとかいらっしゃってゴールできたわけですが、古川さんの足が速くて引きずられるように走っていったので大変でした。(私はすこぶる足が遅いんで・・・)
ということで、唯一手をつないだJリーガーは、古川さんだけですわ。苦笑

岡田監督に代わってからは、こういった楽しいイベントがなくなってしまって、本当に残念だったし、なんなとく選手とサポーターの間も遠くなっちゃったかなぁって思うんです。練習場なんですが、見学ゾーンの線引きがすごくなってしまって、それまでは、それぞれ自分で近寄って声をかけてサインをもらったりでしたが、今ですと、並んでサインをいただくっていうことになりますから、待っていて呼び止めるドキドキ感もないですし、みんな並んでいるから自分もサインもらっちゃえ~っていうようにサインをもらっているっていう方もいるように見えてしまうんです。んでもって、たくさん並んでいるから選手と会話をするっていうことも出来ないですよね。多くのサポーターが見学に来ているからっていうこともあるかとは思いますが、今の練習見学のあとのファンサービスを見ていると、すべて流れ作業的になってしまっているんじゃないかなって思って、なんだか残念なんです。

練習後にサポーターが楽しそうに自分のお気に入り選手と会話をしている姿をいろいろと見てましたが、古川さんもよくたくさんのサポーターに囲まれていたわけですが、97年のはじめの頃は、練習後に居残り練習を毎日黙々としていて、選手間で仲良しの人がいないんじゃないかと思うほど孤独練習をして、ひっそり帰っていかれました。すごく努力家なんだなぁと思いましたが、無口なのかなぁって思っていたのですが、違っていたようで。(^^;

このパンツをはいてきたら試合に勝つっていう勝負パンツをはいて競技場に来ていたようなんですが、そのパンツは、とてもテロテロッとしたセクシーパンツだったようで、それに興味を持った某選手(村田さんではありません)は、ちょっとはいてみたそうな。試合後にパンツが無いって探している古川さんの目の前に、そのパンツを履いたまま、どこにあるだろうね~などと言って現れて、めちゃめちゃ怒られたって。(←どう考えても怒られるし、普通は履けないと思うんですけど・・・笑)その話を聞いてから、私は古川さんのことを影で「パンツさん」と呼ばせてもらってました。(^^;

んでもって、パンツさんと私の間に誤解が生まれた出来事もありました。
私は村田ファンということもありまして、村田さんの情報がいろんなところから入ってきます。「村田さんが丸井今井の前で彼女(現在の奥さん)と手をつない歩いていたよ~」っていう話が入ってきまして、これが何度も目撃されている出来事で、練習後、村田さんに「彼女と手をつないであるいてたんですって?」っていう話をしていたときに「毅も手をつないで歩いていて会っちゃったよ」っていう話を聞いたりして笑っていたわけですが。。。
次に村田さんにお会いしたときに「毅に怒られちゃった」と言うではありませんか。私と村田さんの練習場での会話を聞いていた古川さんのファンの方が古川さんのところの掲示板に「村田さんと古川さんだダブルデートしていた」っていうことを書かれたようで。それを見た古川さんが村田さんに文句を言ったところ、村田さんが私のせいにしたのか、何故か、私が悪いっていうことになっているっていうではありませんか。その誤解を解くのに練習場に行きたかったものの、なかなか行ける機会がなくなってしまって、和解するのにおよそ1年かかったのでした。(^^;

和解後にパンツさんと呼ばせていただいていた話もカミングアウトしたところ、また嫌われてしまいましたが(^^;;;
村田さんとお互い頑張ろうなっていう強い握手をしてお別れしていたのが印象的です。(村田さんと古川さんは同じ年)

古川さんが山形に移籍したからは、私もコンサ応援が趣味だけではなく仕事としてもっていうことになって、コメントをお願いするっていうことがありましたが、これまた意地悪で、他の記者さんたちの質問には答えているのに私には「後で」と後回し。親戚に会って、親戚の方が「あの人はいいのかい?」と心配してくださる状態。。。それがコンサの試合に来る度の毎度の出来事になってましたけど、それもまた今となってはいい想い出です。

こういった、ちょっと変った想い出がたくさんあるので、すでにこの手の話は時効だと思って書いてますが、またさらに嫌われてしまうかもしれません(^^;;
でも、古川さんのことは、苦楽をともにした戦友だと一方的に思ってますし、嫌われていても好きですし、コーチとしても頑張ってもらえたらって思ってます。


3.ペレイラ

2006年08月10日

外国人選手の場合、呼び捨てになってしまう選手が多いんですけど、
ご多分にもれずペレイラも呼び捨て。(^^;
私の中では、マグマ大使に似ているなぁと思っていたのですが、
ペレイラファンの人には、似てないって怒られちゃいました。(^^;
でも、今でもマグマ大使を見るとペレイラを思い出します。(あまり見ないんですがね・・・)現在、ペレイラはどこにいるのでしょうか?

何年か前にちらっと札幌にやってきたときには、韓国チームのコーチをしていて、ビザの関係で一旦韓国を離れないといけないっていうことで北海道に遊びに来てましたが、その時は全く変っていなかったんですよね。
スタイルいいですよね~ジーンズがとっても似合ういい男でした。

ミスターコンサドーレと呼ばれてましたし、ペレイラが初期コンサを支えてくれたわけで。しかも、ペレイラファンは全国各地にいらっしゃいましたので、北海道に縁もゆかりもない方が、ペレイラのいるコンサのことを応援してくださったわけで。そういう面においても本当にありがたかったです。

ここんところコンサにやってくるブラジル人とは全く違うというか、日本語もしゃべってましたから、そういえばブラジル人だったんだよなっていう感じなのですが、ペレイラのいたコンサドーレは、まだ札幌市民のコンサドーレに対する認知度が低く、プロサッカー選手が札幌に住んでいるっていう意識があんまりなかった時期でして、タクシーの運転手さんとかにコンサの選手が札幌に住んでいるっていう話をしたらビックリしていたんですよ。チームが出来たっていうことまではわかっていても、住んで練習しているっていう意識が無かったんです。かくいう私も96年に札幌でたくさん試合をしていたことを知りませんでした。たまたまというか、仕事でコンサドーレのマスコットキャラクターのネーミング募集の話をすることになって、それを取材するのに全くコンサのことを知らないで取材するのは失礼かと思っていろいろ調べてビックリでした。96年当時からインターネットで発信しているファンページが充実していて、こんなにコンサのことを応援している人がいて、広報担当の方もとってもいい感じの方でした(当時は黒澤さんです)。しかも札幌でこんなに試合をしてるんだったら、応援しなくちゃって思って、96年11月から突然コンササポになりました。そして当時担当していたラジオ番組の中で私はコンサドーレを応援するって宣言もしまして有言実行です。
とはいえ、こんなにどっぷりはまることになるとは思ってませんでしたが。(^^;

つまり一般の人にとっては、コンサドーレの選手ってどんな人がいるのかっていうのもわからなかった状況です。
ペレイラが何度か通っていたあるお寿司やさんの大将は、ブラジル人だっていうもんだから、近所の工場職員かと思っていたって(ブラジル人が多かったらしい)。一緒に行った村田さんも工場職員だと思ったらしい。
ちなみに村田さんがよく通っていたおそばやさんも村田さんがベンツに乗ってジャージ姿で来るから借金取り立ての仕事をしている人かと思っていたらしいんですが、白い恋人のCMで忍者姿の借金取り立ての人を発見して、サッカー選手だったんだぁ~とビックリしたようです。苦笑
勝手に職業を想像しちゃっているのって楽しいですよね。私もまだ比較的見学者の少なかった97年の練習見学はみっちりしてましたから、選手たちにはかなりあやしまれていたに違いないんですよ。。。

ペレイラとの想い出で一番印象的だったのが室蘭に行くときの高速道路。
私は北広島から乗ったのですが、ちょうど偶然にも後ろからペレイラらしき車が走ってまして、抜かすような形で私の前に。前に出てからは、比較的ゆっくり運転だったので、このままずっと一緒に走っているのって、私が追いかけているように思われてもって思って、追い越したところ、また追い越して私の前にやってくるではありませんか。しかも追い越した後はまたゆっくりな運転。そんなことを2度繰り返した後にペレイラは猛スピードで去っていきました。
つまりペレイラに遊ばれたんですよ。こんな形で遊ばれるとは思ってもみませんでしたが今となってはいい想い出です。

98年のビリ決定戦(あえてこんな表現でスミマセン)の最後の最後にペレイラが登場しましたが、神戸戦やアウェイの福岡でも出てもらいたかった。。。
石井肇さんのこと嫌いじゃないし、むしろ好きなんですけど、あのビリ決定戦の時の選手起用も含めた采配だけは納得できないんです。いろんなプレッシャーがあったとは思うんですが、どうせ落ちるんだったら、一緒に戦って落ちたかった選手が何人もいました。まあ、それもこれも過去のたられば話ですけどね。