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2008年10月09日

迷いのある選手へ

プロサッカー選手でもなかった人間が偉そうに語るなというなら甘んじて受けますが、
これから私が言うことは、空手の黒帯、有段者としての経験から述べることです。


監督が求めているプレイをしているつもり。監督が状況によっていうことが違うので理解できない。
多分、試合の動きを見る限り、選手たちは、そのような不満を持っているに違いありません。


私が空手の指導を受けていた時、例えば前蹴りに対して「強く蹴れ」と
師範は漠然としたことしか言わなかった。(※というか、それは当たり前のこと(笑))
それで、まだ私が白帯であった頃、蹴りが強いと評判の先輩に聞いてみました。
すると、Aさんは蹴って当たった後の押し込みが重要だから、
当たってから腰を前方にぐっと押し込めという。
Bさんに聞くと、体全体で相手に当たることが重要だから
上体が前のめりになるために腰を前に出してはいけない。
同じ前蹴りなのに、二人が全く違うことを言う。
しかも、同じ流派、同じ師範についているのに(笑)。
多分、普通の人はそこで思考停止します(笑)。どうすりゃいいんだと(笑)。
もしくは、どちらかの言うことを信じて稽古するでしょう。

私も悩みました。それで、自分で色々試してみました。
すると、ある日、気づきます。どっちでも強く蹴るという意味では、いいのだということに。
さらにAさんは比較的体格が大柄で、Bさんは体格が普通であるという事実にも気づきます。
そう、答えは一つじゃないんです。状況によって変わるし、人によって答えは違う。
それでいいのだということに。

でも、私は一見矛盾する二人の意見を取りいれ、二人とは別の道をとりました。
体格が普通な私は、基本的に体全体で当たりに行かなければ強い蹴りは出せない。
しかし、そこからもう一伸びすれば、相手に更なるダメージを与えられる。それも事実です。
そこで、腰ではなく膝を曲げて当たってからそれを伸ばすことでそれを実践しました。
結果はいうまでもありません。whiteowlの前蹴りは他の人より強いということになった。

ただの自慢話ととらえてもらっても構いませんが、
相手と同じこと、もしくは、言われたことをただやっているだけでは、
伝えた相手を上回ることは愚か、伝えた相手と同等になることもできません。
自分で言われたことを理解して、違う意見も加味して捉えなおすという作業が必要です。
哲学でいうならば、ヘーゲルの弁証法です。

言葉という代物は、コミュニケーションツールとして不完全ですから、
伝える側は、自分の技術すべてを相手に伝えることが出来るわけではない。
自覚していないコツがあったり、伝えにくいニュアンスがあったりする。
そこの溝を埋めるには、自分で考えて検証するしかない。

だから、私には、師範が漠然としたことしか言わない理由がその時わかりました。
むしろ、漠然としか言えないわけです。
理屈でいわないと他の人に伝わらないから、
明確な理屈で具体的に言わないあの師範は、ダメだという人も居た。

しかし、例えわかりやすい明確な理屈があっても自分で検証して理解しないと意味がない。
大切なことは、言葉の表面的な部分ではないのだということです。


答えは、相手にはない。自分の中にある。



2000年の三浦監督が似たようなことを言っています。
イタリア通信103:<番外編その1>三浦監督 ドイツ仕込みのアウトサイダー(07.2000)

「日本の選手は非常にまじめで、練習でも手を抜かないし、指示されたことを真剣に、きちんとやり遂げる力がある。こういう資質はヨーロッパや南米の選手よりもずっと優れていると思います。大きな長所といっていいでしょう。
 逆に足りないのはフレキシビリティですね。というか、自分の頭で考えて判断を下す能力が鍛えられていない。言われたとおりにこなすことはできても、状況の変化に対応するのが苦手なんです。

 例えば練習中に、ある状況であまり意味のないところにパスを出したとします。こちらはプレーを止めて、この状況ではあっちに出したほうがいい、と言いますよね。そうすると、次に似たような状況になったときには、必ずさっきこちらに言われたところにパスを出してしまうんです。

 似たような状況といってもそれぞれ微妙に条件が違うし、必ずしもさっき言われたところに出すのが最善とは限らない。そこを自分で判断して、その時その時にベストのプレーを選ばなければならないはずなのですが、それがうまくできない。言われた通りにやることには慣れているのですが、自分の頭で判断するのに慣れていないんです」

「いいサッカーをするためには、選手ひとりひとりが自分の頭で考え、判断できなければばならないとぼくは思っています。だから、いまうちは、ボールを使った練習以外はほとんどしません。フィジカルトレーニングはやらないんです。

 筋トレしたりただ走ったりするのは、選手にとっては実は楽なんですよ。頭を使わなくていいから。それに、20代半ばの選手がフィジカルトレーニングで得られるものはそんなに大きくない。彼らに一番必要なのは、常に自分の頭で考え続けながらプレーするという姿勢を身につけることです。それにはボールを使った練習しかない。

 個々の選手の判断力が磨かれれば、チームとしての総合力はまだまだ伸びます。フィジカルをやっていれば、最後の10分まで走り負けしないとか、そういうメリットはあるかもしれないけれど、それでサッカーの質が上がることは絶対にあり得ません。だからうちでは、フィジカルを省いてでもボールを使った練習を重視します。これはピムが監督だったときからそうです」


引用終了。

posted by whiteowl |00:59 | 武道から考えるサッカー | コメント(5) | トラックバック(1)

2008年10月09日

来季も三浦監督続投希望。 -その4-

一貫して三浦監督の続投を要請してきた当ブログ。
正直、私は、もっと四面楚歌になることも想定していました。
思いの外、賛同の声を頂き誠にありがたいかぎりです。


さて、昨日のコメントでJ2に降格したら監督交代は常識的に考えて、
更迭するのが普通だと。
しかし、辞めるのが当たり前だという方に私は問いたい。

『J1最低総額年俸で残留するというミッションは簡単なことなのか?』
『J1最低年俸で、J1に残留することが当たり前のことなのか?』と

我々は始めから難しい要求をしているのに、それができないから、
非難するというのは、逆に、我々の方が酷くはないでしょうか?

どこかの裕福なチームのように巨大戦力を持ちながら優勝できないとか、
当然期待されるような結果がでていないというなら、それは明らかに監督の責任問題です。

しかし、現状は違う。ノナト、アルセウの補強の失敗。怪我人も多かった。
選手層の厚くない札幌が、まともな補強もないままそのような状況で、
J1残留を果たすことが、常識的なことなのかと。


それに、そんな無茶な要求を繰り返し、出来なかったら解任していたら、
そのうち誰も監督になってくれる人がいないくなると思いませんか?

いきなり例が、野球になりますが、
広島カープが、成績低迷を理由に毎年監督の首を挿げ替えていたらどうなりますか?
父がカープファンですが、カープファンの方すいません・・・(・・;)
投手が崩壊したという明らかな理由のある横浜は、
ぶっちぎりの最下位でも大矢監督を解任しましたか?

誰もいないなら、金を払えばいいと思うかもしれない。確かに、そうかもしれません。
しかし、それこそ、金の切れ目が縁の切れ目になってしまいます。

資金力のない札幌が、そんな場当たり的なことを続けても
良いクラブ運営に向かうはずがない。

J2でも5、6番目の資金力だった札幌が昇格できたのは、組織のお陰です。
その組織が崩壊していて勝てるはずもない。
それは、監督を解任することで解決しないし、悪化するだけです。
監督を代えれば、その監督の戦術にもよりますが、また1からやり直しです。
そして、成績低迷、監督交代をいつまで繰り返すのですか?
2003年、Jで実績のあった監督ジョアン・カルロスを招聘し、
代表クラスのブラジル人を補強してどうなったか思い出してください。
成績低迷という問題の本質は、監督ではなく資金難です。
組織をつくるには、時間がかかる。そして、選手が出来ないなら育てるしかない。

ヤンツーの時代だって、選手に合わないから選手に応じたサッカーを
するべきだという声は根強くあった。
チームの色というべき戦術をある程度固定しなければ、結果が出るまで時間がかかる。
札幌で、J1昇格という実績を残した監督よりも、
まだ見ぬ監督に今後を期待することが本当に現実的な選択なのでしょうか?


HFCは、三浦監督の続投を望むならそれ相応の誠意を見せねばならないと思っています。
相当の決意を持って選手やサポーター、スポンサーに説明しなければならない。

私は、フロントではないただのいちサポーターです。
このブログで私の気持ちを言うのが精一杯です。私にはこんなことしかできません・・・(・・;)
ここから、他力本願になってしまいますが、三浦監督を本気で引き止めることが出来るかは、
実際に引き止めるフロント次第だと思っています。

次回は、その具体的な方策について考えてみたいと思います。

posted by whiteowl |00:33 | HFCの経営を考える | コメント(5) | トラックバック(1)