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他界寸前の元サポ、今はただのファンかもね。納得いかないときは推さない傾向、そんなわけで今年はテレビ応援&家族の送迎係。俺にとってのセルジオ越後氏はアイスホッケーの人。千葉ロッテマリーンズ今年の目標はやっぱり“下克上”。ほれ、簡単にしてみたよw

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おっさんの通知表

2006年03月17日

プロサッカー選手の皆様、確定申告はお済みでしょうか。
プロスポーツ選手は個々の技能やプレーが売り物だから個人事業主として扱われるんですね。そこで疑問に思ったのですが、スタッフってどうなんでしょ?監督って個人の指導力や戦術が売り物だから個人事業主?それとも契約社員??プロチームの指導者は個人事業主でアマチーム(ユースとか)の指導者は給与所得者???
知ってる方おられたら教えてください(別にどうでも良いのだが)。

ということで、自営業の私も15日に確定申告してきましたよ。
ホントなら2日前にエントリーするのがタイムリーだと思っていたのですが、申告終了直後にダウン。頭痛と吐き気にヤラレていたので今頃書いてますorz たった2日間の睡眠不足でダウンしてしまうとは、昔は頻繁に徹夜で仕事してたのになあorzorz 年のせいか

申告最終日ともなると、札幌○税務署駐車場の入り口から車の長い列が。車を止めるまでに30分ほどかかってしまいました。早い時期に行けばすいてるのにね。

自営業者の私にとっては、一年間の損益と期末の財政状態を算定するための決算日である12月31日が終業式で、確定申告が通知表みたいなものです。ただ、通知表自体を作るのも自分なわけですが。
申告書類を作って、『おー、今年はがんばったなぁ』とか思うのですが、がんばったあかつきには税金をタプーリもっていかれるという、悲しい現実が待っているのよorz ま、今年も私はしぶとく生きていきますよ。卒業式は当分できないけどねw



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09:37

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あまかった・・・。(ネタですよ)

2006年03月12日

私の家(事務所兼自宅)のガレージのシャッター上には、コンサのビラ(以前、ホームゲームのチラシをポスティング、なんてのやってましたよね。各自DLしてコピーしてやるやつ)なんかを掲示したりするために、A3横2枚分のクリヤケースを掲示できるスペースを確保してあります。

ダメじゃん、負けちゃったら昨年はほとんど使ってなかったのですが、開幕戦の数日前に「何かしなきゃなー」という気になったわけですよ。で、皆さんもお持ちの前期分のA4版のスケジュールチラシ(オフィシャル)の表裏と、←こんなポスターをA3で作って掲示したのですよ。『絶対勝つよ!みんな来て!』みたいな気持ちで。


 
5連勝って・・・orzで、まあ、戦前耳にしたマスコミ情報なんかを勝手に都合よく解釈した私の頭の中のぬか味噌は、負けることなどこれっぽっちも思っていないわけでありますから、再来週のためにこんなもの→まで作ってしまったのです。

5連勝ってなによorz
そもそもキックオフを『KO』って書いたことが・・・。

作り直さなきゃ・・・。




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17:18

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あれれ?(読む価値ナシ)

2006年03月11日

いきなり壁ですか・・・。昇格のためにはのり越えなければならない壁。。。
・・・早くねぇか?出てくんの>壁
こういう試合の後は、選手がまわって来てもコールも拍手もブーイングもしない(できないっつう話もあるけど)。ただ全員が退場するまで立っている、といういつもと同じ行動をとって終了です。
とにかく切り替えましょう、選手もサポも。



天気が気になる

2006年03月08日

朝起きたら外が白かった。ホヴァリングステージは、もうドームの中に入っているのだろうか。。。

先日、開幕戦はとにかく勝つことが一番大事だと言ったが、次はそうは行かない。ホーム開幕戦。チームの選んだ道はアクションサッカーだ。相手に合わせたサッカーではない。2万人超え確実とも言われる観衆を惹きつけるだけのゲームをして、そして勝つことが必要となるだろう。チームにとっても、どんなものかとちょっと見に来たお客様の為にもw次につながるゲームを見せてほしい。

現時点での11日の天気予報は雨の可能性がある。多くの方に来てもらう為にはできるだけ良い天気であることが望ましいのだが、こればかりはどうすることもできないので。私たちにできることは、スタジアムでできる限りの声援を送ることだけだ。

さあ、11日に向けて体調を整えて(手洗い、うがい忘れずに)、明日あさっての出張仕事をきっちり片付けてこよう(こちらも外仕事なので天気がw)。



うでぱんぱんだす

2006年03月05日

一面の銀世界今年も春がやってきました。雪の下に息づく鮮やかな緑の芝を見ると、ホームゲームの開幕を肌で感じずにはいられません。昨年、作業にかかる前にだいぶ緑が見えていたピッチを見て物足りなそうにしていたサポたちの心中を察し、ドーム芝管理スタッフがたっぷり残しておいてくれたのでしょうか、今年のピッチは一面の銀世界ってヤツでした。いつものようにHFC挨拶とドームスタッフによる作業説明。門脇常務、勝ち点80の分しか勝利給がなければサポによる『J1昇格ボーナス募金』でもやりましょか?なんて冗談はさておいて。

だいぶ緑が見えてきましたさて、みなさん頑張ってるんですがなかなか進みません。身離れは割と良いのですが身が硬い、って焼き魚じゃないんだから。ピッチの上にあったのは雪じゃなくて密度の小さい氷のような代物でした。それでもしばらくすると徐々に緑色の芝が広がっていきます。
 
 
 
 

ぼうずガンバるの図うちの長男もだいぶ力が付いてきました。結構よく働いてくれましたw


 

できるもんだねなんだかんだ言ってもあれだけあった雪がきれいになくなると、なんか『やればできる』みたいな、『俺たちならやれる』みたいな、『昇格できる!』みたいな、あれ? 
いや、みなさんお疲れ様でした。


 

まりさぽその後は、目の前のあったかいところでやってる→これ。7回表、垣内が満塁弾でロッテが6-2とひっくり返したところで満足して帰ってきました。すいません、子供の頃からのロッテファンなものですから。好きな選手はサブマリン仁科とか、同郷の八木沢壮六とかw 近所のおっさんが夕方『バレンタインはレギュラーシーズンと同じ采配をしてくるんだよなぁ』と言っていた。そうか、ロッテはもう実戦モードなんだ。で、日ハムは、


ホントはアイスホッケーの全日本選手権も行きたかったんですけどねぇ。今日と重なっちゃあ仕方がない。俺のバックスはコクドにアジアリーグプレーオフの雪辱ならず、ってことで。また来年、見に行きますよ。



いちばんたいせつなこと

2006年03月04日

長距離運転の影響でなかなか寝付かれず、朝の4時ごろにようやく就寝。7時半に目が覚めた(というか、子供たちに起こされた)が、2度寝。9時半になって慌てて起床。
とりあえず、近くのイエローハットにいって洗車。もちろん下回り重点で。ショックの軋みもほとんどなくなり、丸井さんに向かって車を走らせる。4年ぶり?に購入したレプユニの引き取りだ。
引きかえ初日に向かうなんてことはこれまでにあまりなく、シースペースの混みっぷりに喜びを感じる。時計の針は間もなく11時だ。そのまま下の交差点へ、ビラ配りに合流する。
ビラを配るのは初めてである。春の訪れを感じさせるこの頃とはいえ、ビルの間を駆け抜ける風はまだ冷たく、チラシを持つ指が上手く動かない。笑顔でもらってくれる人、素通りする人、、、
信号待ちの車に近づいてみた。反応は、、、基本的には歩行者と同じ。でも、窓も開けてもらえないのは精神的に結構ツライということが分かった。約45分のビラ配りの間、コンサフラッグなどをつけた車を2台見かけた。ドライバーさんと目が合うと、微笑んでくれたのでちょっと元気が出てくる。配り終わったあとに、この作業の中心となっておられた方と挨拶したときに私の口から出てきた言葉は『今年もよろしくお願いします』だった。リーグ戦の開幕は私にとっては正月みたいなものだ、とw 行かれたみなさん、ご苦労様でした。
配ったチラシの枚数なんてたいした数じゃない。どんな仕事をするのも、みんな、大変なんだな。。。と思いつつ、帰り道で差し出されたチラシはすべてもらってきた。

先日、玄関先の頭上に張り出した雪庇を屋根にのぼって豪快に落とした。ある意味快感を味わった代償に、明日5日に使う予定の雪はねは雪の下敷きとなって破壊された。丸井さんからの帰り、ホーマックで新たな雪はねをゲット、シャトレーゼで呑気にアイスとケーキを買っていると、もうヤバい時間。家路を急ぐこととなる。

何とか試合開始には間に合った。が、どうもイカン。何がって、試合さ。札幌の選手たち硬いわ。こういう試合のときには、こっちもガチガチになるので、イソギンチャクたちの水槽の水換えをしながらリラックスして観戦しよう。じつは、残念なことに、昨日ホタテの稚貝が死んでいたそうで、妻と長男の手によって手厚く葬られたそうだ 食ってないよ 。ちなみに、今日、スーパーで見つけた活ズワイに大きなイソギンチャクが付いていたので、茹でる前に丁寧に剥がして苫小牧で汲んできた海水につけてみた。このまま水槽に仲間入りできるだろうか。

試合の話はあえてここですることもないか、みんなのほうがよく見てるし。ただ、開幕戦でいちばん大切なのは勝ち点3を取ること、これは間違いないよ。さ、夕飯食べたらゆっくり風呂に浸かって早めに寝て、明日に備えようか。。。



さあ、はじまるよ

2006年03月04日

日が暮れるまで根室で仕事をして、ショックに砂かんでギシギシとうるさい愛車をとばして先ほど帰り着きましたよ。ひと眠りしたら街へ出て買い物をして、家のテレビの前でドキドキわくわくのシーズンの始まりを楽しむことにしましょうか。。。



4.失われた翼:98年

2006年02月18日

我が家の玄関には、サッカーボールの入ったバッグがぶら下げてある。
ふと、そのバッグに付いているリボンが目に入った。

 
   札幌が初めてのJ1を18チーム中14位で終えた1998年、
   厚別でのリーグ最終戦。
   全ての来場者に配られた水色のリボン。
 
青い翼運動   スタジアムへ集まった人たちはその意味を理解し、
   自らの意思によりこれを付けた。
   僕を含めた赤と黒のレプリカの、決して少なくはない
   腕に巻かれたフリューゲルスのバンダナ。

   試合のことなんてよく覚えていない。
   正直、そんなことはどうでもよかった。

   ほとんどの人たちにとっては、どうしようもないところで、
   フリューゲルスが、その翼を奪われようとしている。
   そんなフリューゲルスを愛する人たちに対して、
   やはり何もしてあげられない僕たちの無力さ。

   前年末、コンサドーレ札幌の資金難による経営危機が報じられた。
   僕たちは選手たちと一緒に、街頭でチームの支援を求める署名活動をした。
   街ゆく人や知人など、多くの人にカンバッジを買ってもらった。

   いつもとは雰囲気の違う厚別のスタンドで僕は、
   そのときの事を思い出していた。

   両チームの関係者が揃って場内を1周する。
   僕たちはフリューゲルスのために、声をからした。
   いや、自分たちの未来のために精一杯の声援を送っていたのかもしれない。
 

いま、生まれ変わろうとしているチーム。
躓きながら、不器用にだけれど、少しづつ前へ進もうとしている。

繰り返してはいけない。
どんなことがあっても、あきらめてはいけない。
あんな気持ちにさせられるのは、もうごめんだ。
あらためてそう思った。

今年も愛するチームを応援できることに、幸せを感じるから。
 


 
私にとって98年といえば真っ先に思い出すのがこのことで、次にJ2降格、最後に長男誕生という(笑)順番となっています。98年を語るにはまずはここから、ということです。
 
 
あれから4年以上たった2003年の春、首都圏に住む私の友人はこう言いました。

   『私にとってはフリューゲルスは永遠です。
   今でも好きなチーム、サポートチームはフリューゲルスで、
   決して元サポーターではなく現在もサポーターといってます。』

そして彼女は、こう付け加えています。

   『横浜FCも最初の頃は応援していたけれど、まったく違うものをフリエの代わり
   として応援することは不可能でした。
   代わりにはならないから、代わりではなくまったく新しいものとして(横浜)FCを
   見たときに、自分の求めていたものとは違うむなしさを感じて自然と離れました。
   嫌いとか好きとかではなく、一つのチームとして、見て応援しているつもりです。』
 
 
いつの日か“フリューゲルス”が自らその翼を再生し、横浜Fマリノスのもとから大空にはばたく日が来ることを願わずにはいられません。



post by arroz

07:26

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五輪観戦疲れを癒してみよう(^^)

2006年02月14日

魚はいないよ
 
先日、みそ汁の具としてホタテの稚貝を買いました。
もちろん、活貝です。

なんだか、ふと、育ててみたくなりました。
水槽を買ってきて6枚入れてみました。
貝殻についていた小さなイソギンチャクも入れてみました。

厚岸に行ったついでにカキを買ってきました。
カキの貝殻にフジツボがついていたので、入れてみました。
もちろんカキは生で食べてからです。
ムラサキイガイの稚貝みたいのもいたので入れてみました。

元気がなくなってきた貝は外に出します。
元気なホタテは1枚だけになってしまいました。

水槽の中が寂しいのでアサリを飼ってきました。
もちろんみそ汁の具として。

アサリは4個入れてみました。
そのうち3個が元気に生きています。

アサリとイソギンチャク
 
 
 
 
 
 
 
 
 

アサリとホタテとイガイとフジツボ


 
ホタテはときおり殻を開け閉めしています。
回転はしますが、泳いではくれません。

フジツボは団扇のような触手?をだして水を扇いでいます。
水中のプランクトンを食しているのでしょうか。

ムラサキイガイみたいなのはカキの殻にくっついて生活しています。
2~7mmくらいの小さなのが5個います。

イソギンチャクはその触手を大きく広げて水中に漂わせています。
餌あげたほうがいいかな。

アサリは早々に砂の中に潜ってしまいました。
今はすりばち状の穴の中に、口が見えるだけです。
結局いないのと大して変わらないので、水槽の中はちょっと寂しい。。。



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13:45

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チラ裏:サポ集会(今年も欠席)と五輪(参加資格ナシ)

2006年02月13日

サポ集会:
今年も所用で不参加、って自分、一度も行ったことないじゃん?行こうと思うようになってからは、毎年仕事や用事が重なるもので・・・。来年は絶対に参加するぞ、とまた今年も思うのです。
行かれた皆さんのブログなどで様子を伺って、参加していない私としてはアップされた皆さんに感謝するのみ。色々考えさせられるが、自分の考えはまたの機会に・・・?

ジャンプの原田:
何もこんなところでやらかさなくてもって感じだが、原田らしいといえば原田らしい。
なかなか調子が上がらない中で経験と一発の魅力で五輪に呼ばれ、ノ-マルヒル限定とかなんだとか(NHであれば好成績が期待できるかのように)好きなように周りは騒ぐ。本人の心の中は分からないが、トリノに行けて嬉しい気持ちと共に、相当なプレッシャーや今までの五輪とは違う何かを感じていたのではないだろうか。
そんな原田が大事なところで大ボケかましたからって、出られなかったりトリノまで行けなかった選手に悪いとかそんなことは思わないのね。彼らは、選考の時点で原田を上回る期待ができないと判断されたわけだから。
日本ジャンプ陣の目標は予選通過ではない。目標はあくまでメダルだということを考えれば、そこそこの力で安定している、言いかえればどうしても物足りなく感じてしまう選手よりは、一か八かで大ジャンプもありうる原田を選ぶのは不自然なことではない。
トリノに行けなかった選手は、出場できなかった選手は力が足りなかったと、次に向けて頑張ってほしい。てか、もう頑張ってるよな?
とは言え、原田くんにはひとこと言っておかなければイカンだろう
『なにやってんの、このバカたれが!!』

と、ここまで読み終わるまでに、『お前の言ってること前に書いたことと違くない?』と思われた方、おめでとうございます。
そう、中野由加里がフィギュアの代表入りしなかったことに恨み節を綴ったんですが、↑の理屈から言えば一発(4回転)のある安藤で良いわけで、前に書いたことはコンサの試合を見ながら審判に文句たれてるのと同じなわけで、、、

つまり何のことはない、私は理屈抜きで原田雅彦・中野由加里が好きだから応援している、ということなのだw


3.川崎戦と昇格を決めた日:97年のおまけ

2006年02月07日

カウンターが付いて「たくさんの方が見てくださっているんだな」と嬉しく思う反面、ガラス張りの檻に入れられて地下街の小鳥の横にでも並べられたようなこっぱずかしさを感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
おまけにしちゃ長いけど、ま、いいでしょう。
 
 
97年5月25日、厚別競技場。6連勝で迎えた川崎フロンターレ戦。
2点のビハインドで折り返した後半、ウーゴのゴールで1点差に詰め寄り更に攻めてるんだけどあとひとつがなかなか出ずに、残り2分のところでカウンターから追加点を許してしまいます。これで札幌1-3川崎、さすがに厳しいかな、と、当時のA自由席バックスタンドアウェイ側で思いました。でもね、そこからが凄かった。
当時の月刊コンサドーレ(vol.11)にはね、“バルデスの浮いた玉でのループシュートは相手ゴールキーパーの頭上を越えて、ゆっくりとゴールを割り、「3対2」。このゴールが決まった瞬間、ベッチーニョの3点目のゴールを悔やんだものだ。”とあります。でもね、スタンドにいる私はその時まだ負けているにもかかわらず、「いける!」って思ってました。「やばいかな?」って思ったのはベッチーニョのゴールが決まったときのほんの一瞬。もうね、過ぎたことはくよくよしないの(笑)「とにかく行けーっ!絶対追いつけるぞ!」って感じ。私の周りに座っている人たちも、たぶんそんな雰囲気だったと思いますよ。
結果は皆さんご存知のとおり(^^)です。

あの頃のスタンドってね、負けていても、なかなかゴールが決まらなくても、応援のテンションは下がらなかったような気がします。そりゃそうですよね、あんな試合見せられちゃ。どんな状況だって「何とかなる」って思っちゃいますよね。

そんな試合を目の前で見せられて、目の前で見てないんだけれど9月のアウェイでの川崎戦でこれと同じような試合をやってしまえば、そりゃもうあなた、『だって、こんなに強いじゃん!』みたいな根拠のはっきりしない自信で私の胸の中は満ち溢れていき、昇格を確信(盲信?)していくわけですね。
勢いがあるチームってそのまま行っちゃうんですよね。ちょっと負けてみてもまわりが追いついてこないの。それに引きかえ昇格できないチームってぇのは、まわりが負けてんのに自分も勝ちきれなくて順位を上げられない(特別出演:’05札幌)。
 
 
ちなみに優勝(昇格)を決めた試合は聖地厚別。
10月22日、水曜日ですよ。平日の夜。その日は会社(当時)から終業後に厚別へ直行する予定で、レプリカやら応援グッズ一式をカバンに詰めて会社に行ったんです。当然仕事に集中できるはずもなく、朝からそわそわ。
――― そんなダメダメな私を、神様は黙って見逃してはくれなかったのですよ。
お昼頃、会社にお通夜を知らせるファックスが届きます。開始時間は試合開始と同時刻です。当時私がいちばん世話になっていた取引先の方の御身内ということで逃げることは不可能でした。(T_T)えーん。
午後8時過ぎ、お通夜のあと急いで厚別に駆けつければ歓喜の瞬間には間に合ったと思われるのに、すっかりしょぼくれた私は、なぜかそのまま自宅へと戻り、スタジアムで観戦した妻の帰りを待ったのでした。黒いネクタイさえはずしておけばいいのに、なぜ厚別へ向かわなかったのか、いまだに自分でも分かりません。。。
ちなみにこの日、優勝(昇格)を決める瞬間をはじめ、コンサに関する映像が全く(ニュースすら)頭の中に残っていません。試合の生中継ってあったのでしょうか?それすら思い出すことができないのですorz



あ、本日妻フッキ復帰。
我が家は通常モードへと移行中です。



post by arroz

22:27

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総合スポーツクラブ(株)コンサドーレ札幌(仮)

2006年02月06日

総合スポーツクラブへの道。
バスケで有名な新潟、スキーの皆川賢太郎くん(新潟出身)もアルビ所属だったよ。それからビーチバレーやソフトボールなどの湘南。ちょっと前の話だが、正月特番か何かで湘南ソフトの安藤美佐子選手、TVで湘南ユニ(もちろんソフト用ね)着て出てるの見てうらやましく思った。
そっち方面へと、着々と進んでいるクラブは少なくない。
IHポラリスとの協定が(ずいぶん前に(^^ゞ)発表されたわけだが、私としては総合スポーツクラブ(株)コンサドーレ札幌(仮)の所属選手のあらゆるスポーツでの活躍を見たいと思っている(すいません。バックスファンの私が少し嘘をつきました)。
IHだけでなく、冬のスポーツだっていっぱいある。大きなチームを抱える余裕がなければ、個人競技のいち選手へのサポートだってできるはずだ。スケート五輪代表の及川くんの所属がびっくりドンキーだと知ったときは、スケート部を持たない会社によるサポートという、それまでとは違う形にちょっと驚いたものだ。冬のオリンピックでコンサ所属の北海道出身選手からなるカーリングチームを見るとか、サイドにでっかくConsadoleのロゴの入ったボブスレーなんて、かっこいいと思いませんか?(五輪でそういうデザインは良いのか?)
すぐにとは言わないが(言いたいがw)、近い将来そういうクラブへと進んでいけたらいいな。



日程告知ポスター

2006年02月04日

1週間の出張から帰ってまいりました。エントリしてないあいだにも覗いてくださった皆さん、すいませんねえ。だからといって、『毎日エントリ目標!』とか、ずぇっっったいしませんからw また、覗いてくださいね。

で、これなんですけどね、今年も自前で作成ということになったのでしょうか。一時はア○ィダスさんに協力していただいてたようですが、いくら位かかるんでしょうか。私もね、プロフにも書いてありますが3年ほど前からお預かりして(道路に面した物置の壁などに)掲示させてもらっています。正直、出来の良いときのポスターは『金出して買っても(・∀・)イイ!』とさえ思っていました。『自分でお金出して、ポスター買って、それを人目に付くところへ掲示しても良い』なんて思っている 物好きな 人って、どれくらいいるんでしょうかねぇ?掲示を条件に安く売るってことでも良いと思うんだけど。いや、おれ、多少高くてもいいんだけどな・・・。売れれば会社が助かるんだよな。。。
“あなたのコンサドーレをあなた自身が宣伝してください”って。



2.圧倒的な強さの裏には:97年

2006年01月27日

高校選手権得点王の新人・吉原宏太の鮮烈デビュー直後の試合、期待のエース・アルシンドの『バカ15連発』でいきなりズッコケさせられた96年。この頃からネタチームとしての資質は持ち合わせていたのかと思うとorz そのアルちゃん(こないだテレビに出てフットサルやってたような気がするが、、、)結局5試合出場、うち2試合で退場、4試合出場停止、1ゴール(点とってたんだ!)という 輝かしい 成績を残し退団、シーズン終わりには「あぁ?そんな選手いたっけかねぇ?(-。-)y-゜゜゜」なんて声まで聞かれる始末。結局この年、チームはJFL5位と目標の2位には届かずに終わったわけです。

96年シーズン、クラブは昇格できる自信が結構あったのでしょうか?これではイカンとばかりに年末の大量解雇(知ってましたか?引退など様々な理由を含みますが1996年1年間しか在籍しなかった選手が、なんと31人もいたということを!;最近のイヤーブックの後ろのほうを見てね)と、「今年こそは!」の今思えば無謀と言っても差し支えないような高額補強(『今思えば』ですよ。そのときは何とも思わなかった)によって生まれ変わった’97コンサドーレ。今となっては「誰それは高い」だの何だのとネット上を賑わす選手補強ですが、あの頃は私も(あなたも?)会社(HFC)の財布の中身を気にしてなんかいませんから、名のある選手・実績のある選手がわんさか来ることを手放しで喜んでいたものです。雪だるま式に借金が膨らんでいるとも知らずに。くわばらくわばら・・・。

正直ね、私もJに上がれば何とかなると思ってました。Jリーグバブルってうちにもあるもんだと思ってたのね。「J行ってお金集めればもっと強くなれるんじゃないか」って。ホントはただ表面だけキラキラと輝いているだけの泡なのに。ちょっとつついただけで壊れてしまうのに・・・。

結局コンサドーレは、97年シーズンを圧倒的な強さをもって制しJリーグ昇格を果たすわけです。

ドーレくん(たぶん1号)写真は97年11月3日に行われたJFL優勝パレード(札幌市役所→すすきの→大通西8丁目)と、大通公園西8丁目ステージで行われた優勝報告会の様子です。すごい人出ですねぇ。で、当日はこのあとアクセスサッポロでファン感イベントがあったんですね。
 

石井さんがカメラ目線
 
 すごかったですよ。もうお腹いっぱーいって感じの一日でした。ちなみに、優勝報告会の直後、目一杯急いでアクセス行ったんですが、アクセスの正面駐車場は並ぶの大好きなコンササポさんたちで既に膨れ上がっていたと記憶しています。


 
石井さんが笑顔でこっちを見ている



『優勝だ、昇格だ、Jリーグだ』と、すっかり浮かれ気分で年の瀬を迎えようかと言う時に事は起き、と言うか発覚するわけです。HFC会長でもある今井春雄氏の丸井今井社長解任と多額の累積赤字の存在。今井氏の道内経済界での影響力の大きさは言わずもがな。彼に負うところも大きかったHFCの資金繰りは、一瞬にして暗礁に乗り上げることになってしまいました。

「こりゃ、えらいこっちゃ」クラブも、選手も、サポ(私のことだが)も真っ青ですよ。「どうしようどうしよう」ってオロオロしていたらカンバッジ販売と応援の署名集めをするって言うじゃないですか。行きましたよ、かみさんと共に。「とりあえず行ってみよう」って。

12月20日、私たちは当時丸井さんの隣にあったコンサドーレショップに向かいました。そこに来ていたムラとつよしくん、名前も知らないサポ仲間らと共にショップ前に立って、街ゆく皆さんにカンバッジ買ってもらって、応援の署名をしてもらいました。そのときの募金・署名活動内容はconsa de consaさんのページに詳しく書かれています。
とてもたくさんの方に協力してもらいました。「がんばってね」と声をかけてくれる人もいました。私の会社の同僚(当時)たちにも、行きつけの喫茶店のマスターやそこに来るお客さんにも協力してもらいました。
発足してたった2年の、2年しか経ってないのにこんなことになっちゃってるチームを、すごくたくさんの人たちが応援してくれました。

忘れられないですよ、あのときのことは。たぶん、一生。
 

私は、97年から01年頃までの2003年頃まで、コンサに関する新聞の切り抜きをそれこそファイル20冊近く集めていました。でもね、昇格の切り抜きとかは全部捨てました。97年のも、00年のも。残っているのは財政危機・チーム存続が危ぶまれるという記事、そして98年J2降格の記事がほとんどです。
あの時のことは忘れちゃいけない、っていうか忘れられないのですけどね。『這い上がる』ってJ2からJ1に上がるなんて、大した事じゃないと思ってます。債務超過を解消して、赤字を解消して、やっとアリ地獄から這い上がったような気持ちになれるのかな?まだまだ、やることはいっぱいありそうです。
昇格の記事なんて取っておかなくてもいいかな?って、これから来るその瞬間をこの目で見ればいいかなって思ったんです。そして、そのときの新聞こそ二度とないコンサ昇格の記事として取っておきたい、と。



post by arroz

00:47

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1.三菱ダイヤモンドサッカーとピエール・リトバルスキー:~96年

2006年01月22日

決意表明からはやひと月半、決して忘れていたわけではありませんよ。なにせ、いつどこで何があった的なことが苦手(そろそろ清野のハットトリックがいつの何戦だったか忘れてしまいそうw でも、“清野がハットトリックした”ということだけは何とか覚えているという感じ)な人間ですので、記憶に残っている事象がいつ起きたのかくらいは資料でチェックしているつもりですが、多少間違ってても許してくだされ(指摘歓迎)。
それから、ここではコンサの10年について、あの年はこんな1年だった、と年表のように綴る 脳ミソは持ち合わせておりません つもりはありません。ということは、コンサの傍らにいた“私”のことが主体になるのかな?何はともあれ書いてみないと分かりませんけど。
さて、それでは始めましょうか。


 
「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。」
はい、三菱ダイヤモンドサッカーの時間がやってまいりました。毎週耳にした、金子勝彦アナウンサーの番組冒頭の一言ですね。解説は岡野俊一郎元日本協会会長でした。東京12チャンネル(テレビ東京)で1968年から20年にわたって放送されたこの番組、土曜日(だと思います)の午後6時、晩ごはんの食卓を囲みながら見ていることが多かったです。

---  懐かしいですね。あの頃はまだ、土曜日は会社や学校に行ってましたね。休みは日曜日だけだったですよ。私が小学生~高校生の頃の土曜日は確か半ドン、大学を出て就職した頃には会社は半ドン~4週6休~週休2日への移行期でしたね。しかし、週休2日と言っても残業の多かったその会社ではフツーに休日出勤してたような気もしますが・・・。

話がそれてしまいました。
その三菱ダイヤモンドサッカーでは、当時ほかでは滅多にお目にかかれなかった海外のサッカーを放映していました。その中でも、私の記憶にはブンデスリーガの試合が断片的に残っています。正直、どんな試合だったか、どんなプレーがあったかはほとんど覚えていません。でも、金子アナの口から「オクデラ」と言う名前を数多く聞いた覚えがあります。その選手はサイドにいて上下の運動量の多い選手だったと記憶しています(あくまで記憶ですからw)。そう、古河電工、1.FCケルン(独)、ベルダー・ブレーメン(独)などで活躍した奥寺康彦氏(現横浜FC・GM)のことですね。で、奥寺も所属した1.FCケルンには、後に来日しJEF市原などで活躍することになる、ピエール・リトバルスキーもいたわけです。

---  サッカーは見ることはあってもプレーすることはほとんど無かった子供の頃、空地では草野球を見かけても、ボール蹴ってる子供はほとんどいませんでした。入った中学にサッカー部はあった。確かにありました。しかしですよ、前髪がひさしのようになっているI君とかね、ええ、まあ、その、ちょっと怖かったわけですよ>サッカー部の人たち(当時)。サッカーじゃなければほんとは バレエ バレー部に入りたかったんですが、私の通っていた中学にはありませんでした。で、友人に誘われるがままに、小学生のときにやっていた剣道部に入ってしまったのです。

また話がそれましたね、リティの話をしなければいけません。でも、彼に到達するにはコンサの話をする必要があります。
コンサドーレ発足時ですが、誘致賛成の署名はしたような気がします。あ、いま「気がしますって、あんたねぇ?」とのツッコミが聞こえてきましたが、なにせ、覚えてないモンは覚えてないんだからしようがありません。ただ、私の家には当時(株)イエローページから発行されていたコンサドーレマガジンが、なぜかvol.8を除いて創刊時から揃っているので、サポと呼べるほどではないにしろコンサファンであったことは間違いなさそうです。
さて、96年のコンサドーレ札幌はJFLの舞台で戦っています。当時ブランメル仙台にはドイツから93年に奥寺氏に連れて来られ、JEF市原で2シーズンプレーしたリティがいました。

---  私は古河の鉱山があった町の古河系の病院で生まれたせいでしょうか、子供の頃からJSLとアイスホッケーは共に古河電工を応援していました。1960年頃は、この2チーム結構強かったんですよね。だから今もJEF千葉はどちらかといえば好きだし(コンサとは比べようもないがw)、アイスホッケーはバックスファン (コンサとは存続の危機つながり) です。

リティが厚別に来る。三菱ダイヤモンドサッカーで見たことのある彼を目の前で見ることができる。それは私にとってとても魅力的でした。96年の七夕の日、 天の川 津軽海峡を挟んだ 織姫と彦星 仙台と札幌が厚別で対戦しました。試合は札幌3-0仙台で、数字上は札幌の完勝です。試合の詳細は例のごとく記憶にありませんが、そのとき私が感じたのは『なかなかやるじゃないの、コンサ』と、『リティ、やっぱすげーよ!』でした。私が見たリティは、この試合で彼が魅せた足技は、紛れもなくブンデスリーガで活躍していた、三菱ダイヤモンドサッカーで見たことのあるそれでした。

 
おまけ:コンサドーレマガジンを見ると、当時の仙台は試合の序盤リティをCBに入れて守りをかため、勝負をかけるタイミングでは本来の中盤に上がりゲームを支配する、というシステムをとっていたようです。また、リティは94年の市原で現役生活を一度終え、96年に復帰しています。そういえば、ごっさんも一度やめて復帰したんだよね。。。



post by arroz

18:58

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