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2007年12月30日

11月16日

 
 -試合は?
 


 
 1997年11月16日。
 
 日本代表がマレーシア・ジョホールバルでイラン代表とW杯アジア予選・第三代表決定戦を戦い、勝利した日です。札幌はまだJFLのチームで、ボクはまだ数えるほどしか生観戦をしたことがなく、サッカーは代表かさもなくば自分がやるものとしてしか存在していませんでした。10年経ってプレーする頻度と札幌の試合を観戦する頻度が逆転しつつあるのは、サポーターとして少しはまともになってきたことに加え、年齢を重ねたことの証でもあるかも知れません。
 
 あの日がどんな一日であったかは、いまでも結構鮮明に覚えています。朝、起き抜けにテレビを付けるやいなや煙を噴いて映らなくなり、「これでは試合を見られない!」と先輩に車を出してもらってヨドバシカメラ(当時はガード下だった)に買いに行き、その日は日曜日だったので午後はいつものようにサッカー(と呼ぶのもおこがましい球蹴り)をして、夜はその仲間で集まって試合を見て、でもそれはボクの家ではなかったので結局新しいテレビはその日は1秒たりともスイッチが入らず、城の同点ゴールが入ったときには危うくビールをこぼしそうになり、ああ、岡野の決勝ゴールが入った瞬間だけは何も覚えていません。そのあとは過去のW杯の総集編ビデオを延々と見て家に帰ったのは明け方でした。
 
 10年後、同じ日付が再び忘れがたいものになるとは。しかもあのような出来事で。
 


 
 2007年11月16日。
 
 その日は夜にフットサルのゲームに呼ばれていたので、迎えの車を待つために早めに帰宅していました。何とはなしにメールをチェックしたりネットを覗いたりしていると、「オシム脳梗塞」の文字…。
 10年前のあの日に買ってから使い続けているテレビをつけ、詳しい情報を求めてあちこちチャンネルを変えているうちに迎えの車がきて、仲間にそのニュースを伝え、その日はウチのチームは結構面子が揃っていたのでいつもより良い内容のゲームができていたもののそれを楽しみきれない自分がおり、いつも使う施設とは違ってやけに高い天井が寒々しさを増幅させ、次の日の練習見学に備えて早々に床についたもののなかなか寝付けませんでした。そういえばコンタクトの付け心地も悪くて、プレー中にやけに気になったりもしました。
 
 家族が日本語を解しないことから搬送に時間がかかり生命が心配されたものの、その後は回復を伝えるニュースが続き、今はリハビリ段階に移っているそうです。再び100%元通りに、とはいかないのは誰もがわかっていること。代表監督の役目は、彼ではない別の人物に託されました。彼の作る代表がどうなっていったのか、それが見られなくなったのは残念ですが、それでも、さっそくテレビを持ち込みクラシコを見たりしている彼がサッカーから離れる心配はなさそうです。
 
 思えば10年前のあれは「サッカー熱」というよりも「代表熱」でした。それは今でもあまり変わっていないかも知れませんが、10年経ってW杯出場が夢でなくノルマになりつつある日本のサッカーがさらにステップアップするために、彼の力が発揮できる場所はあるはずです。代表とは違う、何らかの形で日本サッカーに携わってくれれば、こんなに幸せなことはないと思います。そしてもしそうなれば、オシムが倒れたあの日のこともだんだんと忘れることができるかな。
 


 
 -スコットランドに行けということか?
 
 チェック柄のセーターを贈られての一言。冗談じゃない。シュワーボ、オスタニ。
 


 
 年内の更新は終了です。それでは皆さん、よいお年を。といっても新年早々、天皇杯決勝レビューでさっそくお目にかかりましょう。

posted by tottomi |22:17 | サッカー全般 | コメント(2) | トラックバック(0)