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2007年05月28日

僕の場合は「サッカーそのもの」が先にあった

 週末は野暮用で札幌を空けておりました。土曜日仙台IN→山形蔵王→日曜日仙台OUT。この絶好の機会に東北ダービーを見られなかったのが残念でなりません。しかも牛タンを喰い損ねた、無念…。が、まぁ、立派な温泉だったのでよしとしよう。
 「なぜ仕事なのに温泉に入ってイイ思いをしているのか」ですって?それも仕事なんですよ、酒呑んでえらい人の話を聞いて…ってのも(苦笑)。ちなみに私、温泉学の学者とかではありませんから。
 


 
 さて、見ていない試合のことは放っておくのは素晴らしい試合を見逃した悔しさをぶちまけて愚痴りたくなるからなわけですがとして、僕もこちらの課題を提出してみることにします。テーマは「いかにして札幌に嵌ったか?」ということなので、僕の体験を三つの段階に分けて振り返ってみたいと思います。
 
【初観戦に至るまで】
 僕の場合、札幌よりもサッカーそのものに対する関心が先行していました。週末になると大学の構内でところ構わずボールを蹴っていました。その頃の関心の対象は専ら代表とセリエA。名番組「セリエAダイジェスト」が北海道でも放送されており、ユベントスファンだと名乗っていたのも、今となっては懐かしさと「なぜ縁もゆかりもない街のチームなどを応援していたのだろう」という気恥ずかしさが同居する良い思い出です。
 はじめて見に行ったのはJFL時代・97年。大学の先輩に連れられて行ったわけですが、前提にはやっぱりW杯・フランス大会最終予選突破を目指す代表の存在と、それに対する世間の盛り上がりがありました。つまり「サッカーを見に行く」であって「札幌を見に行く」ではなかったわけです。
 もう一つ、このあたりは記憶が曖昧なのですが、確か初観戦は研究室の仲間と大勢で行ったんだったと思います。サッカー仲間は半分ぐらい、のこりは「イベント」的なノリで参加。そのうちリピーターになったのは僕だけですね。
 ここまでをまとめると、①僕自身にはサッカーに対する興味が強くあったにもかかわらず誘われるまで行かなかった、②他のサッカー仲間もリピーターにはならなかった、③サッカーそのものに全く興味のない人も同じくリピーターにならなかった、以上の三点です。なんか絶望的な事例だなヲイw
 
 この三つの点はそれぞれに重要な意味を持っているのですが、先生の目的は「既に嵌っているヤツ」の体験をもとにしたケーススタディのようなので、①について話を続けます。ちなみに②③については去年からちょっとずつやってるんですが…、まぁなかなか上手くいきませんね(苦笑
 
【ゴール裏に行くまで】
 さて、本格的に見始めたのは98年です。この年最初の観戦も件の先輩に誘われて。7月29日、改修成った厚別でのナイトゲームでした。寒かったのとマニッチという選手に左サイドを蹂躙されていたのが記憶に残っています。その後は行ったり行かなかったり行かなかったり(笑)。イヤマジでこんなペースだったと思いますね。
 ゴール裏に行ったのもその先輩と一緒。とても声を出して応援するタイプには見えなかった彼がなぜ僕をゴール裏に連れて行ってくれたのか、今思えば不思議ですが、これ以上彼のことを懐かしんでいると筆が進まなくなるので(笑)話を続けます。
 初観戦から一年経っても自分ひとりで見に行くことのなかった奥ゆかしい行動力のない僕がなぜ翌年から一人でゴール裏に行くようになったか。それはやはり「参入戦」を見てしまったからなんだと思います。福岡戦ではなくて神戸戦ですが。悲劇を目の当たりにして感情移入してしまったわけです。雰囲気に流されやすい男ですから僕(笑)。ま、冗談は抜きにして「昇格などクラブにとって大きな転換点(「降格」も含む」をきっかけに常連になった、あるいは関わり方が変わった(「応援しなくなった」も含む)人ってのは結構多いんじゃないでしょうか。まぁ当たり前ですが。
 ゴール裏に居た時期は応援そのものに対しても面白さを感じていましたね。そもそも初観戦の時から「あそこイイな」と思ってゴール裏を見ていたわけで。座って見ているようなライトな客層にも「応援の雰囲気が好き」という人が多いと思われます。が、そうした客層が次に書く時期に大量に離れていったわけです。
 
【観戦スタイルの変質と継続】
 その後、僕のゴール裏生息期間は2002年途中まで。ご存じの通り降格、03年の豪華補強の失敗、と崩壊していくチームを直視できなくなり挫けてしまったわけです。ライトな客層はこの時期に大量に離れていった。僕はゴール裏から座りへ、とワンクッションあったためサポをやめずに今に至るわけですが。
 この時スタジアムに行くことをやめなかったのは「サッカーそのもの」が先にあったからかな、と思います。やがて座って見るようになってからは、ただ勝った負けただけではなくて内容も見るようになり、現在に至るわけです。
 ただ「見ることの楽しさ」と「見ているサッカーから感じる楽しさ」は同時進行的に発生してきたのではないわけでして…。ちょっと話は逸れますが、今、サッカーを見るのが面白いと感じるのは、「とてつもなくつまんなかった2002・03年があるから」だと思っています。01年までは声を出すのに精一杯で内容なんか見ていなかった。座って見るようになってから、いかに02・03年のチームがダメだったか、よく見えるようになりました。04年のホーム開幕戦で、あの年間5勝しかできなかったチームを見て「あっ、今年はまともなサッカーが見られる」と思ったあの時が、二つの楽しさが一致するようになったきっかけだったかな。それだけ柳下のサッカーには内容があるように見えました。だからあの三年間は大事なわけですよ。閑話休題。
 つまり、僕が02・03年にスタジアムから離れなかったのは「サッカーそのもの」が先にあったから、ということです。逆に言えば「札幌」から先に入ったファン層は、当たり前ですが負けが込むと離れてしまう可能性が高いわけで、かかる層を定着させるためには「サッカーそのもの」をも見るように促すことが大事なのではないでしょうか。それにはチームが展開するサッカーが「語るに足る」ものでなければダメで、僕が「内容」と連呼する理由もこの辺にあるわけです。
 
 というわけで、僕の体験とそこから得られる手掛かりをまとめておくと以下の通り。

  1. 「サッカーそのもの」に対する関心が先行しており、その関心が代表の活躍という外的要素に刺激されて高まった時に誘われたことがスタジアムに行くきっかけだった。つまり「サッカー好き」が自然にスタジアムに足を運んだというわけではなく、こういう層に対しても「声かけ」と「外的要素」で「きっかけ」を作ってあげる必要がある。だからキリンカップ頑張って>代表
  2. 「参入戦での敗北」という(悲劇的な)節目が関わり方を濃厚にさせる転換点にもなった。このまま上位をキープすれば数字の上では観客数は漸増することが予想されるが、そうした量ではなくて質の変化を個々の観客にもたらすのは「転換点」なのではないか。
  3. 座り客に変わってしまった僕が02・03年で離れなかったのは入り口が「サッカーそのもの」だったから。短期的に見ると今年は観客数は順調に伸びていく可能性は高い。中長期的に見て、ライトな客層を離さないためにも「語るに足る」サッカーが必要。

 


 
 こっからはレポートの主題から外れる蛇足。「語る」主体はチームの外にあるわけで、ライトな客層にサッカーそのものを見る、サッカーを語るところまで行ってもらうためには、今いる僕達がさまざまな方法で「語る」ことが必要なんだと思います。こういうプレーが良いプレーなんだ、今は流れが来ている時なんだ。試合中にそういう細かい部分に反応することで、サッカーを見たことのなかった人もだんだん面白さが分かってくるのではないでしょうか。だから、自分がいる場所で可能な範囲で、プレーに対する反応を示すってのが、僕らにできる「語り方」の一つなのかも知れません。

posted by tottomi |23:59 | コンサドーレ | コメント(3) | トラックバック(1)