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2006年06月04日

なぜ人はヤジるのか?

 札幌の試合において味方のプレーに「ヤジ」を飛ばす人が多く、このことで不快な思いをされている方が多いようです。これはサテライトですら同様で、この間の川崎F戦でフットサル仲間がかなりイヤな思いをしたそうです。そこで、実際に人がヤジを飛ばす・声を荒げる時の動機を推測し、ヤジを三つに分類してみました。

  1. ヤジる相手に「自分はお前の敵である」ということを示す(敵対的ヤジ)
  2. ヤジる相手は味方であるが奮起を促す意図で発する(友好的ヤジ)
  3. 眼前で繰り広げられている光景からくるストレスに耐えられなくなって口走る(自己発散的ヤジ)

とまあざっとこんな感じだと思うのですが、辞書的には「ヤジ」ってどういう意味なのだろうと思い、見てみました。

やじ-る【弥次る】人の言動をひやかし嘲弄して妨げる。一方を応援するために他方の人の言動を嘲笑して妨害する。(『広辞苑』第一版・岩波書店)

 この定義に合致するのは1.「敵対的ヤジ」だけです。でも、いくら文句たれていても根本のところでは札幌サポなのですから、「敵対的ヤジ」を飛ばしている人はいないということになります。
 2.「友好的ヤジ」は、そもそも辞書の定義から言うとそんなもの存在しないんですね(汗)。つまりチームに対して「しっかりやれ!」という意味で発せられる言葉が飛ぶことは多いものの、辞書的にはそれは「ヤジ」ではない。そもそも心底奮起を促す意図を持った言葉であれば、そこに人を不快にさせる要素は少ないと思うんです。実際、アウェイ側で見ていると「何やってんだ!」「しっかりやれ!」という言葉が飛びますが、「ホントそうだよな」と思うタイミングで飛ぶことだって少なくありません。だから「不快に聞こえるヤジ」はこれではない。
 そうすると3.「自己発散的ヤジ」が不快さの原因か、ということになります。ここでさっき触れたフットサル仲間Kの言葉。

「とにかくずっと言ってるんですよ、試合中。プレーもろくに見ないで、ダメだダメだばっかり」

ポイントは「ずっと」「ろくに見ないで」というところですね。「自己発散的ヤジ」は、チームのプレーぶりよりも「自分の思う通りの光景が展開されていない」ということに対して自動的に発動するという特性を持っているんじゃないでしょうか。札幌オフィシャルブログでも「とにかく試合の最初から終わりまでネガティブなことしか言わない」という意見を目にしますが、それはリードしているところだけを見て、勝ち試合だけを見たいという考えを持っているからであって、だからこそ「試合開始」から早速発動するわけです。

 こういう「自己発散的ヤジ」の主の気持ちはよく分かりません。別に一言もヤジを飛ばすなとは言いませんが、まず応援ありきで、そして試合を「見て」いれば四六時中ヤジることはないと思いますけどね。そこら辺も平川さんの言う「試合を見る力」につながると思うんですが。また、周りの方々も「自己表現の仕方が他人と違うんだ」と思って目の前の試合に集中…できないから困るんだよなああいうの。

posted by tottomi |22:23 | コンサドーレ | コメント(7) | トラックバック(1)