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2006年05月15日

読書管見・近藤篤『サッカーという名の神様』

 以前に書いておいたレビュー。もう少しチームの調子が良いときにアップしようかと思って取っておいたのですが、「実は今アップした方がいいんじゃないか」と思ったので、載せます。



近藤篤『サッカーという名の神様』(NHK生活人新書175・NHK出版 ISBN:4140881755)

 筆者はフリーのフォトジャーナリスト。『Number』等に掲載されたコラムと、若干の書き下ろしをあわせたエッセイ集。筆者が訪れた国で起こったこと、聞いたこと、サッカーをめぐる様々な風景が、控えめな筆致で描かれています。

 本書を読んで気付いたことは、「結局、世界中どこでもサッカーバカは似たようなこと考えてるんじゃない?」ということです。筆者が出会う人々はそれぞれサッカーについていろんな語り方をしているのですが、どれも日本の居酒屋で一度は聞いた気がする語り方ですし、「ファウルしてもいいからとにかく止めろ」というイタリア式の思考法は実は私のそれと結構重なっていたりします(笑)。本書を読んで「ああオレだけじゃなかったんだぁ。良かった」と思った方は、相当病んでいます、サッカーに(笑)。

 ブラジルを訪れて筆者が得た「現役サッカーオヤジの人数×真剣度=その国の代表チームの強さ」という公式は、オヤジに片足突っ込んだ私を大いに勇気づけてくれました。「選手が試合の途中でへこたれることを好まず、自分たちもへこたれることを好まな」いイングランドのサポーター。「へこたれそうになった選手は罵倒される代わりに、応援され、応援され、そして応援され」るスタジアムに行ってみたい、そして札幌もそうなって欲しいとも思いました。
 トリニダード・トバゴにおけるW杯最終予選を描いた一文が最も印象に残りました。サポートの仕方とか、方法論とか、そういうものを越えた根っこのところで「楽しむ」ことが出来ている世界がある…。とにかく、いろいろ示唆を与えてくれる一冊です。



 …と、ここまでが以前に書いた内容。で、あらためて読み返してみて考えたことがあるので書きます。

 ここで私は「根っこのところで「楽しむ」ことが出来ている」とトリニダード・トバゴについて形容していますが、「楽しむ」という言葉の意味について、さっき中田英寿がこんな意味のこと言っていたんですね。

「楽しむ」ってのはいい加減にやるという意味ではもちろんなく、厳しいトレーニングやプレッシャーを全部受け止めた上でのことだ。

別にトリニダード・トバゴの観客に対する憧憬が間違っていた、と言うわけでもないし、「「楽しむ」とは論」をぶつつもりもないのですが、どうも私は根底のところで中田の言う「いい加減」な気持ちを持っていたのかも知れません、少なくとも昨日の試合までは。それがこのエントリーにも滲み出ているような気がしたんです。イングランドみたいなスタジアムになって欲しいと言っておきながらへこたれてるじゃないか、と。

 昨日、この悔しさを糧にしなければならないと選手に向けて書いたのですが、どうやらこのことを肝に銘じなければならないのは私のようです。それとサポ全部。あんた達は「勝たせたい」のか「勝つところを見たいだけ」なのかどっちなんだ?後者ならチェルシーかどっかのファンやってろ!


posted by tottomi |23:49 | 読書管見 | コメント(0) | トラックバック(1)