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2006年02月17日

読書管見・L.コリンズ/D.ラピエール『さもなくば喪服を』

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ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール(著) 志摩隆(訳)
『さもなくば喪服を 闘牛士エル・コルドベスの肖像』(新装版・早川書房 ISBN:4152086432)

 スペインの生んだ伝説の闘牛士、"エル・コルドベス(コルドバ人)"マヌエル・ベニテスの半生を綴ったノンフィクション。


 マヌエル(マノロ)・ベニテス。1960年代のスペインで国民的人気を博した闘牛士。本書は、彼のマドリードでのデビューを軸に据え、彼及び彼の一家の遭遇した貧困、スペイン内戦、マノロの故郷からの追放、「マレティリャ(小さな旅行鞄。転じて闘牛士志望の若者のこと)」としての長い日々、故郷パルマ・デル・リオ凱旋などにまつわるエピソードで構成されています。
 特に、彼が闘牛士としてのデビューを果たした故郷パルマでの闘牛の場面は本書における一つのクライマックスであり、私が読んだ・見たスポーツの場面に関する描写でこれほど息を呑むような思いをしたのは、『一瞬の夏』のソウルでの試合・映画『運動靴と赤い金魚』の「マラソン大会」以外にありません。ここを読んで、あらためて巻頭のモノクロ写真を見るとその凄味が伝わってきます。
 そして、マノロはこのデビュー戦を境に「狂った夏」へと突き進んでゆくのです。

 「狂った夏」とは、彼が一気にスターダムにのし上がってゆく過程に冠せられた形容ですが、「なぜ国民を『狂わせる』に至る英雄になり得たのか」という問いに対する答えが、本書の序盤から周到に用意されています。
 第一に、マノロのような若者が数多く存在したこと。マノロと共に故郷を追われ、その後の行動を共にしたものの、一人前のマタドールとなることは出来なかったフアン・オリリョ。物語の途中、幾度となく登場するマレティリャ達。角傷を受け死に行く若者…。マノロは貧困から這い上がろうとする者達のシンボルだったのです。
 第二に、変わりゆく闘牛界・開かれてゆくスペインという国の象徴として彼が登場してきたことが挙げられます。英雄的闘牛士達の死の後を継ぎ、伝統的な優雅さではなく型破りな手法と類い希な勇気を披露する彼の登場は、内戦とそれに続くフランコ政権による「停滞」から脱却しつつあるスペインという国の縮図でもあった。何か我が国における力道山を彷彿させます。もちろん直接見たことはありませんが。

 本書の構成は、マドリードの闘牛場での一日と、マノロが闘牛士になるまでの道のりを交互に展開するというものになっています。ある象徴的出来事と、それまでのその人の歩みを交差させ、最後にその出来事にストーリーを収斂させてゆく、現在ではノンフィクションの「王道」となった手法です。マドリードで相対する牡牛の「欠点」を即座に見抜く卓越した能力から、いかにしてそれを身につけたかを語る次章へ。これから起こる悲劇を予感させながらも故郷への凱旋とデビューに話を移し、「狂った夏」における輝かしい成功の物語の後に、再び悲劇の舞台へと読者を引きずり込む…。

 タイトルにも用いられている、エル・コルドベスが故郷で闘牛士としてデビューする際に姉に語った次の一言は、これ以上ない程美しく、それでいて何とも胸に迫るものがあります。

 「泣かないでおくれ、アンヘリータ、今夜は家を買ってあげるよ、さもなければ喪服をね」


 余談その1。オフィシャルブログなので、一応札幌に関係のある気配を漂わせておこうかな、と(笑)。
 「英雄的存在」というのは、その人の資質だけでなく、時代背景など様々な要素が絡み合って「生み出される」ものだ、と思います。つまり、優れた選手であると同時に大衆がシンパシーを感じることの出来る歩み方を彼がしているかというのが、ただの良い選手と英雄的存在を分ける要素の一つなんでしょう。その意味で、三浦知良が、Jリーグ誕生といういい時期に日本に帰ってきたこと、「ドーハ」とフランス大会でのメンバー落ちという二つの「悲劇」によって広く大衆に知られる存在たり得ている一方で、奥寺康彦など「カズ以前の名選手」はサッカーファンの間でしか認知されていない。別に英雄扱いされたいという理由だけで選手はやっているわけじゃないでしょうけど。

 で、人気のためには英雄的存在がいた方がいいわけで。若貴世代引退後の大相撲はあの通り。プロ野球は長嶋・王を失ってからじりじりと人気を下げ、イチローが出てきたと思ったら向こうに行っちゃうし、挙げ句病に倒れた長嶋さんに未だにすがりつこうとする「人々」…。

 いなくても競技そのものの魅力で売れば良いのかも知れませんが、「これからを担う大事な存在」である子供にはそれが通用しないのではないかと思います。現に「カズさん」でサッカーを始めた世代が今Jリーグに入ってきていますからね。札幌にもそろそろそうした存在が欲しいところです。ただ、「選手を育てて売る」事に徹しないと生き残れそうにない札幌がそうした選手を持つことが出来るかどうかは難しい問題だと思いますが。

 中田英寿以降の日本サッカー、今のところそうした英雄的存在を持たない札幌…。うーん。


 余談その2。本書のBGMに、と考えて購入したのはNHKスペシャル「映像の世紀」のサウンドトラック(2枚)。本作を手掛けた作曲家・加古隆氏はドラマ「白い巨塔」のテーマでもおなじみ。一闘牛士の半生を綴る物語であると同時に、20世紀初頭から中期にかけてのスペインという国の歩みをも語る本書には、やはり20世紀を素晴らしい構成で語ったNスペ史上に残る名作「映像の世紀」のテーマが相応しいだろうと。理由はもう一つ。お気づきの方もおられるかと思いますが、メインテーマのタイトルは、コリンズとラピエールによるもう一つの名作のタイトルに用いられた言葉から来ているというのも選曲の理由です。

 そう、タイトルは、「パリは燃えているか」。

 こちらも近々読もうと思っているのですが、長いんだよなこれが(笑


posted by tottomi |23:02 | 読書管見 | コメント(3) | トラックバック(1)