2009年11月09日
EPISODE.8 - 西 大伍
生まれながらのコンサドーレ戦士。 トップチームのホームゲームは、 クラブ創設時から当然のように観戦に通っていた。 生まれながらのサッカー少年だった。 物心がついた頃にはすでに、週末は豊平川の河川敷で 父がプレーする社会人サッカーの応援という生活。 もちろん、空き時間にはグラウンドに飛び出して 自らもサッカーボールを蹴る。 幼稚園の頃からそんな日々を過ごしてきた。
そして、生まれながらのコンサドーレ戦士。 「クラブ創設時からしょっちゅう試合を観に行っていましたね。 厚別での試合はほとんど観ているし、父親と一緒に室蘭にも 観に行っていました。 デリー・バルデスやウーゴ・マラドーナは大ファンでしたよ。 後半ロスタイムに2点差を追いついた、97年の 川崎フロンターレ戦ももちろん観ています」 幼いころからサッカーをプレーし、そして同時に、 コンサドーレの試合に通うことが当たり前の生活になっていた。 自らのプレーと、地元クラブへの愛着。 その2つは中学入学時に、ひとつの形となる。 コンサドーレのアカデミー(下部組織)である ユースU-15への入団が叶ったのだ。 「コンサドーレのホームゲームには毎週通っていたのに、 下部組織があるなんて全然知らなかったんですよ(笑)。 で、中学に入る頃に親が教えてくれたので、 すぐにセレクションを受けに行ったんです。 小学生の頃は一応、北海道選抜でプレーしていたこともあったので、 合格することができました」 こうして西大伍のコンサドーレライフはスタートを切ったのだが、 言うまでもなく、人生というのは長ければ長いほど困難も多くなる。 中学卒業時から、22歳になった今日まで続いている西大伍の コンサドーレライフにもしっかりと幾多の困難があった。 「中学に入った頃は、本当に身長が低かったんですよね。 145センチくらいしかなくて、背の順番で並んだら クラスでは一番前でしたから」 中学入学時といえば、成長期でもある。 「周りのヤツらが一気に体が大きくなったり、走るのが速くなったり。 小学校の頃は走るのはすごく自信があったはずなのに、 それもドンドン追い越されていってしまって。 苦しかったですね」 こんなはずではない、という思いを抱えながらも 現実と向き合う日々が同時に始まった。 「(身長の低さを)コンプレックスに感じていたかもしれない」 と今だからこそ明かす。 そうした日々を越えて今日の西大伍があるのは、 やはり技術があったからなのだろう。 02年に行なわれた高円宮杯(U-15)では決勝戦にまで進出し、 トップ下の選手として周囲を牽引して国立競技場の舞台に立っている。 ただし、本人は当時をこのように振り返る。 「ぶっちゃけ、ボクのようなタイプの選手は“勝つ”ということを 考えたら使い難い選手だったと思うんですよ。 技術はあったかもしれないけど、体は決して強くなかったし。 だから、試合に使ってもらいながらも心苦しかったですね。 明らかに勝つための選手起用ではなかったと思ってましたし、 試合に出られないチームメイトもいたわけですから。 僕に期待して使ってくれていた監督やコーチ、 それからチームメイトには感謝しないといけないですよね」 ただし、間違ってはいけない。 大伍が周囲に感謝するだけの選手だったならば、 起用はされていなかっただろう。 「心苦しかった。でも、だからこそ絶対に結果を 出さなければいけなかったし、 自分の武器である技術を磨くことに全力で挑みました」 「サッカーを楽しむ」 この言葉が、いつの日も彼のサッカーライフを支えてきた。 そうしてU-18へとステップアップしたのだが、 ここでは決定的な壁にぶつかってしまう。 「U-18では高校3年まではほとんど試合で使ってもらえませんでしたね。 高校3年になっても主力ではなかったし、そこでもあまり いいプレーはできていませんでしたから。 その時はプロになる自信もなかった」 そして高校3年の夏には「トップチームへの昇格は無理」 という宣告をされる。 でも、そこが大きなターニングポイントになった。 「トップ昇格は無理、と言われたことで『サッカーを楽しもう』と 考えるようになったんです。 それまではあんまり海外のサッカーには関心が強くなかったのですが、 だんだん興味を持つようになっていって、プレーすることだけでなく、 サッカー全体を好きになっていきました」 テレビで見たロナウジーニョ(ブラジル)に衝撃を受け、 そのテクニックを真似しようと日夜、リフティングに励むようになった。 それまではバレーボールなどに興じていた学校の休み時間にも、 サッカーボールを蹴るようになった。 サッカーを楽しむようになった結果、練習量が圧倒的に増加していたのだ。 当然、実力も増した。 最後の高円宮杯(U-18)に挑む頃にはゲームをコントロールするまでの 存在になり、ここでもファイナリストに。 そして評価も覆した。 トップチームへの切符を見事に掴み取ってみせたのだった。 「サッカーを楽しむ」 壁にぶつかったとき、大伍はいつもこの言葉を思い出す。 プロに入った当初、そのトレーニングと指導のあまりの厳しさに 「寝たら次の日の練習がすぐにやって来てしまうので、 体は疲れているのに寝るのが嫌だった」という時期もあった。 それでも、この言葉を思い出せば、自然と力が出てきた。 やっぱり、サッカーは楽しむものなんだ。 プロになって今年で4年目。 コンサドーレでのキャリアも10年目となり、今ではチームの中心として、 その強いメンタリティで年上のチームメイトも、年下のチームメイトも 引っ張り、アカデミーから鍛えられた高い技術でチームを操縦していく。 それでも、壁にぶつかったときには自らの原点を思い出す。 「サッカーを楽しむ」 困難の多いサッカーライフだったからこそ、大伍にとってこの言葉は、 重い重い意味を持っている。 【HANDLE 西選手からのRE:】 『楽しむ!!』 Name : 西 大伍 [Daigo NISHI] Age : 22 From : HOKKAIDO Number : 22 Position : MF 次のホームゲーム 第50節 11月29日(日) 横浜FC 札幌ドーム 13:00キックオフ →チケット購入方法・お得なシートについて →試合日程について
posted by s_interv |10:30 | トラックバック(1)
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