スポンサーリンク

2009年12月28日

EPISODE.10 - 砂川 誠

20091228-00.jpg

20091228-01.jpg

「とにかく試合に出たかった」。
その気持ちが、大きなターニングポイントの原点だった

「こんなにこの街が好きになるなんて、最初の頃は思わなかったなあ」
初めて札幌の街にやってきた当初を思い出し、そう呟いた。
柏レイソルに所属していた02年までも札幌とのアウェーゲームは
あったのだが、室蘭などで試合が開催されたこともあり、
不思議と「札幌市そのものに来る機会がほとんどなかった」という。


しかし、03年。大きな転機が訪れる。コンサドーレからのオファーだ。
「その時は札幌だとか北海道だとか、その辺のことは
あまり考えてなかったかな。いや、考えられなかった、
というのが正直なところ。
とにかく試合に出たかった。その一心でしたね」


02年まで所属していた柏レイソルでも高いテクニックを持つ
この選手への評価は高かった。しかし現実には、
当時のレイソルにはブラジルでの実績も持つ強力なアタッカーがいたり、
日本代表クラスの選手もいた。
そうしたなかで砂川は、紅白戦にすら出られないような日もあった。
そうした競争の厳しい環境に身を置くこと自体は嫌ではなかった。
しかし、「試合に出たい」という欲望は、それ以上に
膨らんでいたのだった。


そしてコンサドーレに移ると、その高い技術を遺憾なく発揮して
現在まで7シーズンをプレー。
DF曽田雄志の引退により、チーム最古参の選手となった。
今ではもう、すっかりチームの顔だ。


20091228-02.jpg

ただし、その7シーズンは思った以上に過酷なものだった。
加入した03年はJ1復帰を目指しブラジル代表経験者らも揃って
充実した戦力で上を目指したが、そのシーズンが不振に終わり、
経営状態の悪化も加わって翌年からはクラブは中長期的視野に立った
「五段階計画」に着手。
J1を目指していたチームが、04年からは若手育成へと
ドラスティックに進路を変えた。


外国籍選手はいなくなり、学校を出たばかりの選手が顔を並べる。
平均年齢も20歳代まで下がった。
そのなかでJ1経験者として、または年上の選手として。
チームコンセプトが大きく変化したなかで、砂川は戦うしかなかった。


「周囲の人は戦力的には厳しい、と言っていた。
でも、その時オレの心の中にあったのは
『やってみないとわかんねーよな』というもの。
フラットなメンタルだったかな。でも現実は厳しかったよね・・・」


そう、現実は厳しかった。若手選手ばかりで構成されたチームは、
とにかく黒星を重ねた。年間5勝、ぶっちぎりの最下位だった。
「サッカーをやってきて、あそこまで勝てない経験というのは
したことがなかった。だから『どうしたらいいんだろう・・・』
という悩みが、あの頃はあったよね」


20091228-03.jpg

初めて札幌ドームで戦った日の感動、
あれが今でも忘れられない

04年からの3シーズンというのは、我慢の日々だった。
時折、上位に顔を出すようにまではなったものの、
思うような結果は出ないまま。
とにかく、トレーニングを積んで強くなっていくしかなかった。


途中、他チームからのオファーもなかったわけではない。
「実際、そういう話はあった」
と本人も認める。だが、それでも砂川がこのチームでのプレーを
選び続けてきた最大の理由はやはり、愛情だった。


「何年か住んでみて、この札幌の街やコンサドーレへの愛着が
すごく深くなっていた。
J1でやるならやはり、コンサドーレで。そういう気持ちに
なっていましたね。そしてやっぱり、03年に初めて札幌ドームで
戦った日の感動、あれが今でも忘れられない。
『このチームには、こんなに熱いサポーターがいるんだ!』って」


この男のテクニック溢れるプレーは、相手を抜き去るだけでなく、
敵味方問わずサポーターからのどよめきを呼び起こす。
敵陣深くで見せる鋭いドリブルや切り返しは、
いまやコンサドーレの名物だ。
そして来る10年シーズンに向けてこう話す。


「僕の力でどうにかしようとか、そんな図々しい気持ちはまったくない。
ホンの少しでも力になれるのであれば、コンサドーレのために
全力を出し切りたい。そう、年々強く思うようになってきた」


気がついてみると、プロ生活は10年を超えていた。
多くの関係者が高く評価するその高い技術も、
年々磨きが掛かっている。でも、キャリアを重ねたからこそ、
思い出す言葉がある。

和以征技。

「市船(市立船橋高)伝統の言葉なんだけど、
チームワークがあって初めて技術を生かせるということ」
チームの中心的存在ではあるが、あくまでもチームなかの
ワンピース。その意識が増しているからこそ、
砂川の卓越したテクニックもまた、年々鋭さを増しているのだ。


【砂川選手からの RE:】
20091228-04.jpg
『和以征技』

Name : 砂川 誠 [Makoto SUNAKAWA]
Age  : 32
From : CHIBA
Number : 8
Position : MF
 


posted by s_interv |19:30 | トラックバック(1)

2009年12月04日

EPISODE.9 - 髙原 寿康

20091204-00.jpg

20091204-01.jpg

「リアルに引退も意識した」というあの頃。
手を差しのべてくれたのが、
コンサドーレだった。

本格的にGKをやるようになったのは高校生になってから。
Jリーグでプレーする他のGKに比べれば、
間違いなく遅い方になるだろう。


続きを読む...

posted by s_interv |18:30 | トラックバック(1)

2009年11月09日

EPISODE.8 - 西 大伍

20091109-04.jpg

20091109-00.jpg

生まれながらのコンサドーレ戦士。
トップチームのホームゲームは、
クラブ創設時から当然のように観戦に通っていた。

生まれながらのサッカー少年だった。
物心がついた頃にはすでに、週末は豊平川の河川敷で
父がプレーする社会人サッカーの応援という生活。
もちろん、空き時間にはグラウンドに飛び出して
自らもサッカーボールを蹴る。
幼稚園の頃からそんな日々を過ごしてきた。
 


続きを読む...

posted by s_interv |10:30 | トラックバック(1)

2009年09月29日

EPISODE.7 - ダニルソン

20090929-00.jpg

20090929-01.jpg

キブドの街の小さな広場から、
国内きってのビッグクラブへ

南米はコロンビアの西部にある、チョコ県。
アトラト川を望むこの県の中心部に州都であるキブドの街がある。


「コロンビアではサッカーが一番のスポーツ。
どの子供もサッカーをやるんです。それもほぼ全員がプロ選手に
なることを夢見てね」
 


続きを読む...

posted by 2009 選手スペシャルインタビュー |14:30 | トラックバック(1)

2009年08月31日

EPISODE.6 - 宮澤 裕樹

20090831-00.jpg

20090831-01.jpg

繰り返された負傷。苦しみのルーキーイヤー。

人間の体というのは逞しいもので、負傷した箇所というのは完治後、
たいていは負傷前よりも強くなっているのだという。
だがそれは、筋肉や骨といったフィジカル的な箇所のみならず、
メンタル的な箇所についても同じことが言えるのかもしれない。
折れた気持ちというのは修復後、以前よりも強くなっていたりする。



続きを読む...

posted by 2009 選手スペシャルインタビュー |15:00 | トラックバック(2)