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2014年04月27日

曽田さんのオープンセミナー

元選手でアドバイザリースタッフの曽田雄志さんが講演するというので、クラブパートナーのキャリアバンク様主催のオープンセミナーに23日夜、仕事帰りに行ってきました。キャリアバンク様は昨年10月にも野々村社長のセミナーを開催してくれました。ありがたいことです。演題は「第二の人生の進め方~新たなるステージへの当選~」で、今回も備忘録として記録しておきます。

曽田さんは前半にサッカー選手時代まで、後半は現役引退後の活動を話しました。断片的なメモしか取っていないので、詳しい内容は書けませんが、サッカーを始めたのは小学4年。夢はJリーガーだったが、自分は身体能力はあるものの下手で、とても実現は無理と思っていたそうです。大学時代に、サッカーをやめようと思ったところで、ある指導者の出会いが道を開いたといいます。プロ入りは浦和や川崎F、C大阪のスカウトから声をかけられ、最後にコンサドーレからも声がかかり、コンサを選んだのは「地元ということと、岡田監督(当時)の存在が大きかった」という。プロ選手としてはなかなか出場機会に恵まれないなど葛藤があった。そのなかで①自分に期待しないルール②人に応援される責任③自分にできることをやる-の3つを言い聞かせてきたといいます。

引退は、故障が続き出場できなかった2009年秋、フロントから続行するか意志を聞かれ、引退の場合はそれなりのお膳立てをしたいと言われ、ある日、引退を決意。両ひざ、腰の故障を抱えながら必死のリハビリをしてやっとベンチ入り。ホーム最終戦で出場機会があり、与えられたのは3分。キャプテンマークをつけ、ボールが来てファウルでPKをもらい、1度外したのになぜかもう1度けってゴールを決め、夢のような出来事だったと振り返っていました。

引退後は、自分のいたクラブがなくなっては困ると思い、ゼネラルマネージャー(GM)のような仕事をしたい考えました。経営のスペシャリストを目指そうと、英国のマンチェスターの大学に留学が決まっていたところで起きたのが2011年3月11日の東日本大震災でした。そこで留学を取りやめ、道内のさまざまな種目のトップアスリートに直接、電話をかけまくって立ち上げたのが「EN(えん)プロジェクトジャパン」。皆さんの協力を得て、震災被災者の支援へさまざまな活動を展開しました。北海道教育大学岩見沢校で芸術・スポーツビジネス専攻講師に着任するとともに今、新たに取り組んでいるのが選手たちのセカンドキャリアのための「A-bank北海道」。5月にアスリートの指導による親子スプリント教室を開催するのを皮切りに、アスリートの力を生かしていく活動を計画しているようです。すでにフェイスブックには開設しているようですが、ホームページも近日、公開予定だそうです。興味のある方はぜひ見てほしい、と呼びかけていました。

posted by papa12 |20:39 | 思い出 | コメント(0) |