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2011年03月21日

大地震

私が育った北空知地方は、地震を感じることが少ない地域でした。地震というものを初めて感じたのは1968年の十勝沖地震でした。当時、小学5年生で授業中。隣の奴が「お前、机を揺らすな」と言うので、「お前こそ揺らすなよ」と言い返したことを覚えています。この後、全員でグラウンドに避難しました。周辺のデータからすると、震度3~4程度で、校舎は2年前に建てたばかりだったので、ひびが入った程度で済みました。大学に進み上京して、東京は地震が多いのに驚きました。震度2~3ぐらいは結構ありました。最初のうちは驚いてアパートから道路に飛び出したのですが、誰もそんなことをしている人はいませんでした。勤めてからは、帯広や札幌などで震度4~5を体感しました。このクラスになると、生命に関わると思い、恐怖を感じます。

3月の人事異動で中標津から苫小牧に転勤となり、今回の東日本大震災は苫小牧で迎えました。事務所はビルの5階。苫小牧は震度4で、かなり長い間、大きく揺れ、不気味でした。ビルのあるあたりは津波の心配はいりませんでしたが、港の方は結構被害があったようです。その後、次々と明らかになった東北、関東の被害は想像を絶する光景でした。さらに原発事故の恐怖が現実となりました。被災した皆さんに心からお見舞い申し上げます。被災者救援や原発事故の対処に奮闘されている皆さんに心よりエールを送らせていただきます。

今、私にできることは何だろうと考えると、とりあえず義援金と思いました。職場での募金に応じたほか、中標津での3年間にたまったANAのマイレージをそっくり義援マイルに寄付しました。19日のコンサドーレ札幌の選手、スタッフが全員参加した募金活動にもカミさんと下の娘と行ってきました。それぞれわずかな額ですが募金箱に入れて、娘は大森健作さんに握手してもらい、欲張りなカミさんは石崎監督と古田、高原と握手、私は石崎監督に握手し小さな声で「頑張ってください」と声をかけてきました。さらに娘は別な場所で募金をしていたグッチーさんの募金箱に入れてきました。ささやかなお金ですが、被災者の皆さんの支援に少しでも役立てば幸いです。1日も早く復興を果たし、Jリーグを心から楽しめる日常が戻ってくることを願ってやみません。

posted by papa12 |16:37 | 思い出 | コメント(2) |