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2007年07月16日

中尾康二

最近、チームのイエローカードが増えています(ジャッジの問題もありましたが)。昇格がかかる終盤戦に向けて、無用なイエローやレッドは極力避けたいものです。イエローカードでいつも思い出すのが中尾康二です。四日市中央工高を卒業して当時J2のコンサドーレに入団。主にボランチや右サイドなどをこなす、守備的なMF、DFの選手でした。その年は出場1試合、J1に上がった翌01年は3試合出場にとどまり、この年の11月からブラジルへ短期留学に赴きましたが、帰国直前の翌02年1月に試合中に骨折してしまいます。出場機会のなかった02年は途中で当時J2の横浜FCにレンタル移籍、7試合に出場しました。翌年は復帰し、ちなみにこれは同時期に福岡から復帰した河村優とともに、レンタルからの出戻り第1号だったようです。03年はJ2で24試合、そして運命の04年は背番号10を背負って20試合に出場した後、8月にあの事件で新居辰基とともに解雇されました。

プレースタイルは決してうまい選手ではありませんが、豊富な運動量でガツガツと相手の攻撃の芽をつぶす役割を担いました。ただ、やや雑というか、接触プレーで相手を止めることが多く、イエローカードコレクターといわれるほど、しょっちゅうカードをもらい、退場させられたことも少なくありません。技術不足によるラフプレーはほめられたものではありませんが、あえて擁護すれば、もっと接触プレーに寛容な欧州リーグならこんなにカードをもらうこともないでしょうし、どうも審判にも偏見というか、先入観で見られていた気がします。あの事件のことはかばうことができませんが。

ひたむきな武骨なプレーぶりはわが家では人気で、イエローをもらってもどこか憎めないキャラクターでした。とりわけカミさんは佐藤洋平がいなくなってからは中尾に期待していたようです。確か04年1月のキックオフイベントで上の娘がサインをもらい、その時のサインと写真はわが家の宝物としてしまってあります。

解雇後はFC静岡を経て、06年からFC岐阜に所属。FC岐阜は今季、JFLで4位以内に入れば、J2に昇格します(現在3位)。コンサドーレはJ1に昇格するため、来季、戦うことはないでしょうが、Jリーガーに復帰した中尾をまた見たいと思っています。

残念ながらトレカは出ていないようです。

posted by papa12 |11:06 | 思い出の選手 | コメント(5) |