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2007年03月26日

平間智和

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サッカー素人の中年おじさんにとって、記憶に残る選手というのはゴールを決めるなど目立つ選手、活躍した選手です。あまり活躍できなかったのに、なぜか鮮明な記憶に残っている選手の1人がMF平間智和です。横浜Mでデビューし、山形や仙台でJ2を経験、いったん横浜Mに戻ってから2002年にコンサへ来ました。実は入団前は全く知らない選手でした。コンサでもJ1だった02年に15試合出場、無得点、J2に落ちた03年も8試合出場、無得点と、活躍したとはいいがたい成績でコンサを去りました。しかし、そんな彼ですが、練習試合などではものすごい活躍で「白恋のセレソン」「宮の沢の帝王」などと呼ばれていたようです。その実力の片鱗を見たのが忘れもしない02年9月29日の札幌ドームでのジュビロ磐田戦。先発した平間はキレキレで、ドリブルで切り込んで、当時J1最強だった磐田のDF陣をずたずたにしました。そして放った強烈なシュートは惜しくもクロスバーか、ポストに阻まれましたが、磐田側は間違いなく冷や汗を流したプレーでした。「あのジュビロをきりきり舞いにさせている」と、生で観戦して本当に興奮したシーンでした。結局、平間は電池が切れ、後半に交代。試合もVゴール負けしました(まだ磐田には公式戦未勝利です)。それともう一つ、記憶に残るのは03年4月9日、アウェイの大宮戦。開始早々に1点先制され、敗色濃厚の試合。途中から出場した平間は後半41分、左サイドから鋭いクロス。年代別日本代表のGK川島永嗣をして前に弾くのが精いっぱいで、詰めていたウィルが難なくゴール。引き分けに持ち込む価値あるアシストでした。一部の掲示板では「あれはGKが捕れない魔球だ」などと盛り上がったのを覚えています。あと、どの試合か忘れましたが、厚別の試合で、ペナルティーエリアの左側で後ろに相手DFを背負って受けたパスをO脚でスルー、左サイドを駆け上がった和波が抜け出しフリーでボールを得ましたが、残念ながらオフサイド。忍者・平間の名を高めました。出場時間が少ない割に、意外なほどプレーが印象に残っています。

コンサを退団した後、04年にJ1の新潟で1試合のみ出場。05年にJFLのFCホリコシ、06年から故郷に戻り、JFLのソニー仙台に所属。今年で30歳。自分で納得いくまで現役で頑張ってほしいと願っています。

写真の左はJカード、右はイレブンスターズです。


posted by papa12 |20:15 | 思い出の選手 | コメント(4) |