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2006年04月03日

アルシンド


Jリーグの思い出で書いたように、J発足時は鹿島を応援していました。その中でも、私のヒーローはアルシンドでした。日本に来る前は無名の選手で、神様ジーコに呼ばれて来日。抜群の決定力であれよあれよとゴールを量産、地域おこしで注目されてはいたものの、優勝争いとは無縁と思われていた鹿島を1993年前期で優勝に押し上げた最大の功労者です。1967年生まれ、身長175センチと体格に恵まれていたわけではありませんが、ここぞというときは必ず決めるストライカーでした。一躍人気者になった彼は独特の髪型から「カッパ君」などと呼ばれ、かつらのCMにも出ました。鹿島で93年に22得点、94年に28得点を挙げ、移籍したヴェルディで95年に19得点でした。余談ですが、ヴェルディはもともと嫌いだったのですが、私はよりによって鹿島からアルシンドを金で横取りしたと思って、ますます嫌いになりました。それとともに、金次第で移籍するサッカー選手のありようにもちょっと寂しさを禁じ得ませんでした。

そして96年に誕生したコンサドーレはなんとアルシンドを獲得。さほど熱心に応援していたわけではないのですが、華のある選手が来るのがうれしかったものです。ところが、JFL開幕から2試合目の富士通川崎戦で審判に暴言を吐いた(バカと繰り返したらしい)ため退場となり、4試合出場停止の処分。出場停止明け3試合目の徳島戦で再び退場、2試合出場停止処分。ついにアルシンドは6月11日に退団を発表。コンサでは出場わずか5試合、1得点で去ることになってしまいました…。決定力不足が語られる今のコンサからすると、本当に惜しい天才ストライカーだったと思います。

いったんブラジルに帰り、翌97年に再びヴェルディに戻り、16試合、10得点を挙げますが、往年の輝きは失われていたように思います。その後、テレビの「あの人は今」といった番組で、祖国で大農場の経営者として紹介されていましたが、今はどうしているでしょうか。蛇足ですが、アルシンド獲得のためにHFCがつぎ込んだ移籍金や年俸は相当な額だったらしく、巨額の累積債務をもたらし、経営難が長く続く一因ともなったようです。

写真のカードは鹿島とヴェルディ時代の上段がカルビー、下段がJカード。コンサでは球団配布カードがあったようですが、残念ながら私は持っていません。


posted by papa12 |12:36 | 思い出の選手 | コメント(6) |