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2006年01月28日

日本代表

日本代表に対しては、あまり熱心に応援していません。もっぱらテレビ観戦で声援を送る程度です。

前に書きましたようにコンサのサポになるのを決意した日までは、コンサよりもむしろ日本代表の方が応援に熱が入っていました。ドーハの悲劇のころはまだきちんと見ていなかったのですが、1998年ワールドカップフランス大会へのアジア最終予選は真剣にテレビ中継を見て、応援していました。特に日韓戦のホーム、アウェイとも試合内容をよく覚えています。ホーム試合での加茂監督の選手交代は、采配ミスがいかにゲームに影響するか、痛感させられたものです。

そして、運命の1997年11月16日、アジア第3代表決定戦。いわゆるジョホールバルの歓喜ですね。イランに岡野のVゴール勝ちするまで、一進一退の攻防にテレビに釘付けで、延長に入ったときはすでに日本時間は翌17日午前0時を回っていたと思います。家族が寝静まった家で、一人、「行けー!」と叫んでいたものです。このとき、岡ちゃんは国民的スターとなり、その後、まさかコンサの監督になるとは夢にも思っていませんでした。そして、私にとって忘れられない日になったのは、喜びの興奮のうちに眠って迎えた朝のことです。午前7時前、カミさんに「あの拓銀がつぶれたって!」と揺り起こされました。以来、この試合を思うと、必ず拓銀破綻を連想してしまいます。

98年フランス大会はもちろんテレビ桟敷で日本代表戦を応援しました。しかし、この年の12月5日にコンサのJ2降格が決まり、以来、私の思いはコンサに大きく傾きました。この日を境に、日本代表には熱が入らなくなってしまいました。テレビ観戦は続けていますが、冷めた目で見ている感じでしょうか。コンサの試合に一喜一憂するようなことはありません。2002年日韓ワールドカップも燃えずに終わりました。04年6月1日にはU-23日本代表が札幌ドームでU-23マリ代表と戦うのを生で見ましたが、目が追うのは元コンサの今野と山瀬の姿ばかりで、いまひとつ試合に入り込めない自分がいました。

進んでしまった道はもう後戻りできません。命ある限り、チームとともに喜怒哀楽をともにしたいと思います。


posted by papa12 |21:30 | 思い出 | コメント(0) |