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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。

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アシス

2006年06月04日



1999年に所属したアシスは今をときめくロナウジーニョの兄ちゃんです。先週の日曜にNHKで放送された「W杯への挑戦」(昨日、BSで再放送されました)でロナウジーニョが取り上げられ、そこに「代理人の兄ロベルトさん」として登場しました。「選手としてブラジルとヨーロッパ、日本のJリーグ、コンサドーレ札幌でも活躍しました」と紹介されていました。ちょっとうれしかったですね。懐かしいので、今回急きょ取り上げることにしました。
コンサにいた現役当時も171センチ、70キロとがっちりした方でしたが、テレビでは少し太ったようでした。あのマラドーナの弟のマラドーナが前年限りで退団した後の司令塔としてJ2に落ちたチームの再建を期待され、10番を背負いました。生観戦する機会がなかったのですが、テレビで見た感じでは(外国人助っ人にしては)さぼらず、なかなかまじめな選手だった印象です。記憶に残っているのは、確か右45度の角度から蹴ったFKを相当な距離があったにもかかわらず直接ゴールに決め、本人もよほどうれしかったのか、両手を高く広げて誇らしげにしていたシーンを思い出します。

ただ、この年の外国人助っ人はリカルジーニョ、クレーベル、ジネイと「外れ」ばかり。アシスは出場29試合、8得点ですから、攻撃的MFとしてはまずまずだったと思いますが、結局、高額年俸などもあって1年で去りました。ちなみにこの年、途中入団したビジュは2002年までコンサに生き残ります。知人との間で当時、アシスの弟のことが話題になり、「年代別のブラジル代表らしいぞ。兄のつてでコンサに来ないかな」と冗談で話していました。その後、ブレイクしたロナウジーニョを見て、本当にびっくりしました。あの時、アシスを引き留めていたらもしかすると、と思わずにはいられません。

写真のカードはコンサに来る前に所属したアマドーラ(ポルトガル)時代のパニーニ社製です(外国のカードはよくわかりませんが)。コンサ時代のカードはありません。



黄川田賢司

2006年05月26日



亜細亜大時代は大学サッカー界の大型FWと鳴らし、コンサにはJFLだった1997年入団。黄川田といえば、ヘディングです。JFLの97年8試合無得点、Jリーグの98年20試合1得点、J2の99年21試合無得点、2000年30試合5得点、J1の01年13試合無得点。
身長179㌢ですから、電柱系FWというほど特別大きかった訳ではありませんが、私の印象では、スーパーサブとして試合途中から投入され、恵まれた身体能力を生かしてヘディングシュートを決めた姿が脳裏に焼き付いています。後ろにのけぞりながら長い滞空時間で高い打点から入れたゴールがありました。とても難しいプレーだったと思います。逆に足で決めたゴールもあったのでしょうが、まったく記憶がありません(笑)。何といっても思い浮かぶのは頭ですね。コンサには外国人助っ人を含め多くのFWが来て、そして去って行きましたが、ヘディングシュートのうまさだけなら黄川田が1番だったのではないか、とひそかに思っています。黄川田以前には万能型のバルデス、現在ならDFの曽田(元FW)、池内が比較的ヘッドに強い選手がいますが、最近はFWにそういう選手がいませんね。

01年シーズン限りでコンサを戦力外となり、02年からJ2の川崎フロンターレへ。その年34試合2得点、翌03年途中(5試合無得点)で現役を引退しました。そんな彼の名前を再び見たのは04年のロビンソン札幌屋上のフットサル場オープンの時。フットサル場を管理・運営するイベント企画会社の社員となり、札幌に戻ってきてくれたのでした。北海道出身じゃなく、しかも別なチームで引退した選手が帰ってきてくれるのはうれしいものですね。聞いたことはありませんが、札幌のFM局でDJも務めました。05年には北海道リーグのベアフット北海道に所属し、再びピッチに立ったようです。その後の動静は耳にしていませんが、どんな活躍をしてくれているのでしょうか。
なお、余談ですが、今年3月まで放送していたNHK連続テレビ小説「風のハルカ」に出演し、現在、野菜ジュースのCMに出ている黄川田将也は実弟です。「風のハルカ」放送中に私がネットで情報を見つけて教えると、わが家は大騒ぎになりました。なんとアホな一家でしょうか。

カードの上段はJカード、下段左はカルビー、右はイレブンスターズです。



赤黒シートカバー

2006年05月21日







わが家の車は1996年製のトヨタ・イプサムです。偶然ですが、コンサが生まれた年に買いました。さすがにあちこちガタがきていますが、なにせ走行距離が90000㎞弱なので、まだ乗り続けています。
写真の通り、シートカバーはカミさんのお手製です。確か2001年にJ1に昇格した年に会場で北海道新聞社が配った旗のデザインを見て「これなら簡単に作れるワ」と作ってくれたのもです。このダンナにして、この妻ありというべきでしょうか。いやいや、たいへん感謝しております。ヘッドレストにはやはり会場でもらって使っていなかったバンダナを活用しています。
もう5年ぐらいになるので、色あせてきていますが、この車に乗り続ける間は使い続けます。車の後ろのウインドウにはコンサドーレのステッカー、フロントグラスにはミニフラッグつきです。これで帯広ナンバーの紺色イプサムがわが家のコンサドーレ号です。かなり目立ちますので、悪いことはできません。コンサドーレの評判を下げてはいけませんからね。

さすがに、来年ぐらいには買い替えようかと話していますが、カミさんと娘らは「コンサは赤黒だから、次は真っ赤な車にしよう」と言います。中年おじさんとしては、赤はちょっと恥ずかしい気がして「それは勘弁して」と答えています。さて、どんな車になるのでしょうか。



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18:37

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マッチデイプログラムラッキープレゼント

2006年05月16日


ホームゲームを観戦に行くと無料でもらえるマッチデイプログラムにあるラッキープレゼント。わが家は何と当たったことがあります。

2003年4月26日、札幌ドームであったJ2のサンフレッチェ広島戦。娘2人と行ったのですが、私と続けて入った下の娘が初めて「大当たり」。別な列でプログラムをもらった上の娘はスカでした。当たったのはコンサドーレ賞としてサイン色紙。確か4、5人から選ぶもので、1枚はすぐに今野に決定。もう1枚がちょっと困ったのですが、確か「藤ヶ谷は洋平の正GKの座を奪ったからお母さんが嫌ってるからダメだね」などといった理由でベットを選びました。プレゼントの引き渡しは後半キックオフ後から試合終了30分後までで、人気の今ちゃんのサインがなくなったら大変と娘2人をハーフタイムから派遣し、無事、2枚のサイン色紙をゲットしました。結局、この試合は0-2で負けちゃったんですが、3人はニコニコして家路につきました。今ちゃんの色紙は今も階段の壁に飾られ、殿堂入りしています。しばらく後にホームシック?でさっさと帰国してしまったベットは百円ショップで見つけた色紙ホルダーにしまってあります。

それ以後、ラッキープレゼントはまったくかすりもしません。また、doze会員の来場記念プレゼントも当たったことがありません。この時に運を使い切ってしまったのでしょうか。また当たることを夢見て、今後も可能な限りホームゲームに通い続けたいと思っています。



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21:45

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梶野智

2006年05月04日



セレッソ大阪からの移籍で1998年に入団。「ヒゲカジ」の愛称で親しまれました。コンサでは主にボランチやセンターバックを務めました。決してテクニック的にうまいタイプではなく、どちらかというと縁の下の汗かきタイプでした。98年のJリーグで23試合出場1得点、99年のJ2で26試合出場。私の印象では、リーダーシップがあり、チームのバランスを取るのがうまく、中盤の底で攻守の要を務めていたと思います。バランスが崩れ、失点した後に交代出場で入ると、妙にチームが安定した気がしています。さすがセレッソでキャプテンを務めた人物で、これぞベテランの力。3年目を迎えた柳下コンサドーレで欠けていた点で、今季のチームでは大塚に期待されている働きですね。そんな地味な存在ながら、サポーターには愛された選手であり、確か99年には似顔絵入りのTシャツなどヒゲカジグッズが売り出されました。まだグッズ欲に燃えていなかった私は買いませんでしたけど。

99年シーズンを最後に現役を引退。翌2000年からセレッソのサッカースクール担当に。04年からはチーム統括ディレクターとフロントの要職を務め、大森健作の移籍にも暗躍したものと疑われています。ぜひ今度は恩返しにいい選手をコンサに送り出してほしいものです。

写真のカードはいずれもセレッソ時代で、下段右から2枚がカルビー、ほかはJカードです。コンサ時代のカードはないようです。



関浩二

2006年04月29日



どんなに寒くても半袖姿の「熱い男」でした。
忘れられないのは1998年12月5日、そう室蘭でのJ1第3参入決定戦です。関はこの年の10月になって、入れ替え戦をにらんで獲得したFW。リーグ戦は4試合出場し、無得点。入れ替え戦はこの日も含め4試合とも出場しました。この日の室蘭は雪に見舞われ、私もスキーウエアを着込んでの観戦。その寒さの中で関は半袖でした。涙なくして語れない試合は福岡に0-3。試合終了の笛とともに号泣する関の姿は忘れられません。移籍してきたばかりなのに、こんなにチームを愛してくれていたのか、と感極まったものです。

翌99年、J2で25試合出場で6得点。残念ながらシーズン後、戦力外となり、チームを去りました。ストライカーとしては物足りなかったかもしれませんが、妙に記憶に残る選手でした。天皇杯は2年で5試合3得点と天皇杯男でもありました。コンサとの縁は続き、コンサドーレ退団情報によると、2003年にジュニアサッカースクールの指導者になり、04年からU-12のコーチを務めています。ぜひともあの「熱い気持ち」を未来のコンサを担う選手たちに注入してほしいと思っています。

写真のカードは左と中央がJカード、右がカルビー、いずれも平塚時代のものです。



コンサドーレ札幌「赤と黒」の奇跡

2006年04月28日



J1に昇格した2001年7月に北海道新聞社から刊行されました。HFCの特別協力の下、北海道新聞情報研究所編です。四六判260ページ、税込み1260円。1996年のチーム発足以来の歩みをつぶさに紹介しています。
発売と同時に購入し、すぐに読み終えました。チームよりも、コンサドーレを取り巻く人間模様に焦点が当てられ、とりわけ熱いサポーターなどがたっぷりと取り上げられており、たいへん興味深い内容です。さまざまなサポーターの活動ぶりは本当に勉強になりました。CVSやすいか隊などの貢献ぶりも見逃せません。コンサから広がるビジネスチャンスから経営問題、そして未来像まで描かれ、サポーター必読の書と言えるでしょう。

コンサを取り上げた単行本としては、これまで唯一のものだと思います。今でも北海道新聞社やアマゾンのネット販売で買えますが、ブックオフの105円コーナーあたりでよく見かけるようになりました。実は初めて105円コーナーで見たとき、思わずもう1冊買ってしまいました。カミさんから「家にあるのに」と責められましたが、「こんな良書が105円なんて…」という思いからでした。コンサが成績低迷とともに人気も落ち目となって売られたんだろうか、などと考えてしまいます。皆さん、この本を105円コーナーに眠らせておくのは惜しいので、見つけたらぜひ買い占めましょう。

そういえば、コンサドーレ10年史「夢に挑む」が7月に刊行されます。DVDつきで6300円。こちらはチームの歩みそのものが中心になるようですね。ちょっと高いですが、希望選手の直筆サイン入りというのがサポ心をくすぐります。私は印刷になりますが、選手全員にしようかと思っています。皆さん、HFCから購入しましょうね。



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20:46

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深川友貴

2006年04月21日


コンサを初めて生観戦した1998年にセレッソ大阪から移籍してきたFWが深川友貴でした。当時、転勤で室蘭に住んでいた私は高校サッカーの影響でやはり室蘭大谷高出身者を応援していました。当時、コンサには道産子選手がまだ少なく、それだけに貴重な存在でした。ただ、吉原宏太ファンの娘ら家族に、深川を応援していると、「えーっ、シブすぎる」と言われたものです。コンサでは98年Jで24試合2得点、99年J2で36試合5得点、2000年J2で13試合1得点、01年J1で11試合無得点と、後半はけがに泣きました。戦力外となって02年に水戸でプレーして引退、03年からコンサユースU-18のコーチを務めています。
児玉社長のブログ「近未来のコンサ」によると、4月5日の草津戦で一時、道産子選手5人が同時に出場、さらにベンチに1人いました。コンサが文字通り北海道のチームになりつつあり、喜ばしいことだと思います。深川コーチには引き続き道産子選手をトップチームに送り続けるよう育ててほしいと願っています。

写真のカードは左が2001年Jカード、右は同年のイレブンスターズ。セレッソ時代にもカードになっていますが、コンサではこの2枚だけのようです。



「妙なる天空の音色」

2006年04月14日


2002年に「住友順子『夢のつづき』プロジェクト」として取り組まれた「コンサドーレ札幌メモリアルCD」です。
HFC営業部社員だった住友順子さんはこの年の8月1日、若くして病気で亡くなりました。残されていた「短かったが懸命に生きてきた生涯の証を残してほしい」というメッセージから、このCD収録の企画が持ち上がったそうです。収録は8月31日に厚別で行われた柏戦で行われました。通常より開場時間を繰り上げ、ゴール裏にサポーター有志らが集結。ご遺族を前に、応援歌やコールを収録しました。私も上の娘と2人で参加し、目頭を熱くしながら精いっぱい歌いました。「コンサのサポは素晴らしい」と心にまたひとつ刻み込みました。応援歌7曲にコールやサックス演奏1曲を収録したCDはこの年の11月17日、札幌ドームで行われた名古屋戦で入場者全員に無料で配布されました。応援歌を聴ける貴重な音源ですが、残念ながら非売品のため、いまでは入手できません。ブックオフやヤフオクで見かけることはありますが。

この年のコンサは奮闘むなしくJ2降格が決定。翌年からJ2暮らしが続いています。でも、このCDを聞くたびに、熱い思いがよみがえってきます。亡くなった住友さんの夢も、私たちサポーターの夢も、まだまだ続きます。



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21:44

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パソコン&インターネット事始め

2006年04月10日

職場などでいじってはいましたが、ようやく自分のパソコンを買ったのは室蘭に住んでいた1997年、NEC製のウィンドウズ95でした。パソコン通信のニフティサーブに加入したものの、メールで使うくらい。そのうち世の中はインターネットに移行し、最初はニフティ経由でネットを見たりしていましたが、OCNに加入。ダイヤルアップで確か月に利用10時間までのコースだったと思います。当時はそれで十分だったんですね。毎日見るようになったのは2000年に札幌に引っ越し、ADSLに加入して使い放題になってからです。パソコンはその年の暮れにSOTECのMEに買い替え、昨年秋に日立のXPに。ADSLもどんどん速くなり、もうダイヤルアップには戻れない体になりました。

というわけで、コンサ関係のホームページに入り浸るようになったのは2000年からです。公式ホームページを手始めに、ネットサーフィンの結果、行き着いたのが、公式ホームページより先に開設されたコンサ・デ・コンサをはじめ、コンサイズムコンサドーレ札幌インフォメーションなどです。このうち、インフォは今も活発ですが、コンサ・デ・コンサやコンサイズムは残念ながらほとんど更新されていないようです。ほかに当時見ていたホームページもかなり姿を消しました。やはりチームの長引く成績低迷も影響したのでしょうか。寂しい限りです。
そんな時に登場したのがコンサドーレ札幌オフィシャルブログです。間違いなくサポーターの情報交換、交流の場になっています。そのうえ、HFCの児玉社長のブログによると、運営するWEBOSSさんから入金があり、新しいHFCの収入源として期待されるとか。サポが盛り上がり、チームを鼓舞し、そしてHFCに金銭的なメリットをもたらすように、私も微力ながら、ブログを続けていかなければ、と思いました。


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09:56

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アルシンド

2006年04月03日


Jリーグの思い出で書いたように、J発足時は鹿島を応援していました。その中でも、私のヒーローはアルシンドでした。日本に来る前は無名の選手で、神様ジーコに呼ばれて来日。抜群の決定力であれよあれよとゴールを量産、地域おこしで注目されてはいたものの、優勝争いとは無縁と思われていた鹿島を1993年前期で優勝に押し上げた最大の功労者です。1967年生まれ、身長175センチと体格に恵まれていたわけではありませんが、ここぞというときは必ず決めるストライカーでした。一躍人気者になった彼は独特の髪型から「カッパ君」などと呼ばれ、かつらのCMにも出ました。鹿島で93年に22得点、94年に28得点を挙げ、移籍したヴェルディで95年に19得点でした。余談ですが、ヴェルディはもともと嫌いだったのですが、私はよりによって鹿島からアルシンドを金で横取りしたと思って、ますます嫌いになりました。それとともに、金次第で移籍するサッカー選手のありようにもちょっと寂しさを禁じ得ませんでした。

そして96年に誕生したコンサドーレはなんとアルシンドを獲得。さほど熱心に応援していたわけではないのですが、華のある選手が来るのがうれしかったものです。ところが、JFL開幕から2試合目の富士通川崎戦で審判に暴言を吐いた(バカと繰り返したらしい)ため退場となり、4試合出場停止の処分。出場停止明け3試合目の徳島戦で再び退場、2試合出場停止処分。ついにアルシンドは6月11日に退団を発表。コンサでは出場わずか5試合、1得点で去ることになってしまいました…。決定力不足が語られる今のコンサからすると、本当に惜しい天才ストライカーだったと思います。

いったんブラジルに帰り、翌97年に再びヴェルディに戻り、16試合、10得点を挙げますが、往年の輝きは失われていたように思います。その後、テレビの「あの人は今」といった番組で、祖国で大農場の経営者として紹介されていましたが、今はどうしているでしょうか。蛇足ですが、アルシンド獲得のためにHFCがつぎ込んだ移籍金や年俸は相当な額だったらしく、巨額の累積債務をもたらし、経営難が長く続く一因ともなったようです。

写真のカードは鹿島とヴェルディ時代の上段がカルビー、下段がJカード。コンサでは球団配布カードがあったようですが、残念ながら私は持っていません。



Jリーグ

2006年03月24日

Jリーグが開幕したのは1993年、10チームでのスタートでした。バブルの余韻もあってか、きらびやかなスタートを切ったJリーグは大変なブームとなり、チケットが入手できないとか、カルビーのJリーグチップスがすごい人気になるなど、にわかサッカーファンが巷にあふれました。当時、転勤で東京に住んでいて、職場のテレビも以前はプロ野球を入れていたのがJリーグにチャンネルが変わりました。もともとサッカーが好きな私も喜んでテレビ観戦していました。

問題はどのチームを応援するか、でした。もちろんコンサドーレは影も形もありません。実はJリーグ以前、テレビでサッカーを見るのは正月の天皇杯決勝と高校選手権決勝、トヨタカップぐらいでした。社会人では、横浜マリノスの前身の日産とヴェルディの前身の読売クラブがライバル関係にあり、どちらかといえば、華麗なプレーの読売クラブを応援していました(読売新聞は大嫌いでしたが)。でもJリーグ発足時に、ヴェルディはプロ野球の読売巨人軍のように金を使って選手を買い集め、「企業名を入れさせろ」などとわがまま放題で、すっかりアンチ・ヴェルディになりました。

そこで、一番に北にあるチームで、地域おこしとしてJリーグに参入した鹿島アントラーズを応援することにしました。日本リーグ2部のチームが母体で、ジーコがいるとはいえ、弱そうだからというのもありました。ところが、FWアルシンドの大活躍もあり、あれよあれよと思っているうちに初年の第1ステージのサントリーシリーズを優勝してしまいました。これは意外でした。ただ、第2ステージのNICOSシリーズ覇者のヴェルディ川崎にチャンピオンシップで敗れ、初代年間優勝は逃しましたが。その後、鹿島はご存じの通り、常に優勝を争うチームとなり、それとともに私の応援熱は冷めていきました。常勝チームはもしかすると私に合わないかもしれません。

ほかにJリーグではサッカーどころの清水エスパルス、リトバルスキーのいたジェフ市原が気になっていました。でも、やっぱり地元、北海道のチームがほしいと熱望していました。そんな時、札幌青年会議所のメンバーらが中心になって「札幌にJリーグを」と署名運動などを進め、そしてJFLにいた東芝の誘致を実現し、96年にコンサが産声を上げました。このとき、私はまだそれほど「われらがチーム」という思い入れはなく、現在のコンサ中心の生活を送る日が来るとは知るよしもなかったのでした…



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19:31

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ハーフナー・ディド

2006年03月19日

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思い出話も尽きてきましたので、今後はたまに新コンテンツ「思い出の選手」も始めます。思い出とといっても、一方的な片思いですけどね。トレーディングカードのコレクションがある選手はそれも添えて紹介します。

第1回はディドです。私にとっては文字通り「守護神」と思った最初のGKです。コンサにはJFL時代の1997年とJリーグに昇格した98年に所属、98年はリーグ戦全試合出場を果たしています。1957年生まれとほぼ同年代のおじさんとしては、40歳を過ぎてもプレーしている姿にただただ感動していました。ディドといえば、いつも一番後ろから叫んでいるというか、怒鳴っているイメージ。前線の選手たちをいつも叱咤激励、鼓舞していましたね。忘れられないのは97年5月25日の川崎F戦。テレビ観戦でしたが、1点を追う展開で後半44分、コーナーキックで自陣ゴールを空けて相手ゴール前で攻撃に加わり、その気持ちが奇跡の大逆転劇につながったと信じています。生観戦で見たのは2試合しかないのですが、ああいう魂を今後のコンサにも受け継いで行ってほしいと思います。

余談ですが、引退後は岡田監督の下、GKコーチを務めました。宮の沢を初めて訪れた際、練習開始前に一番早く姿を現し、黙々と走っていました。思わず「ディド!」と声をかけ、手を振ると笑顔で手を振ってくれました。「いい人だー」と心に刻みました。でも、岡田監督が去った後もGKコーチを続けましたが、J2降格が決まった2002年限りで退団。翌03年から岡田監督の下、横浜FマリノスのGKコーチになってしまいました。ディドが去るとともに、コンサユースU-15で大活躍した息子のマイクもマリノスユースに移籍してしまい、今季、トップチームに昇格しました。194センチの長身で、かえすがえすもコンサでは過去にいなかった電柱系FWになれたのに、と残念でなりません。

このカードは98年のJカード。前所属の名古屋や磐田時代のカードは結構ありますが、コンサ時代のカードはこの1枚だけのようです。



ブーイング

2006年03月11日

中年おじさんのぬるサポのせいかもしれませんが、私はブーイングが好きではありません。それでも、思い切りブーイングしたことがあります。
2001年11月3日、札幌ドーム。そうです、前年、J1昇格の立役者となったFWエメルソンがよりによって浦和レッズの選手としてやって来たときです。上の娘とともに、入場とともにブーイング、選手紹介でブーイング、試合中までボールに絡むたびにブーイングしました。サポーターの気持ちとしては、なんとかコンサにつなぎとめようと、事実上のエメルソン基金として持株会に出資したのに、エメは川崎フロンターレに行ってしまい、さらには前年、J1昇格争いをした浦和に移籍しただけに、かわいさ余って憎さ百倍といったところだったと思います。
ほかにも審判のミスジャッジにも何度か、ブーイングしました。相手の汚いプレーにもブーイングしたことがあります。

それでも、自分の愛するチームにはどんなにふがいないゲームをしてもブーイングしたくありません。柳下監督などは、そういう時にはブーイング歓迎といった発言をしているようですが、常に応援は前向きでありたいというのが私の思いです。ただ、汚いプレーには敵、味方なく、ブーイングすべきだと思います。その意味で今日、フッキが相手を殴ったことはブーイングものです(いろいろ過去に問題のあった家本主審は今日に限っては妥当なジャッジだったと思います。むしろ、水戸の河野に対するレッドは厳しすぎる気がします)。
ふがいないチームを叱咤激励する意味でのブーイングも理解できますので、他の方がやるのまで反対する気はありません。ただ、一つ提案したいのは最近、相手チームの入場時や選手紹介の際に熱烈サポーター席を中心に行われるブーイングはやめませんか。サッカーは相手がなくてはできません。激しい競争を勝ち抜いてJリーガーになった選手たちに対するリスペクトを失ってはならないと思います。相手をブーイングすることで、自分のチームの選手たちをも、おとしめているような気がしてならないのです。相手にブーイングする暇があったら、自分たちのチームを力いっぱい応援したい、と私は思っています。
今回はちょっと思い出から脱線しました。反省。



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21:54

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ウィズユーカード

2006年03月05日

先週は仕事の都合で札幌の自宅に帰れず、更新できませんでした(泣)。本日、久々に帰宅し、昨日の試合の録画を見て、勝利の余韻に浸っております。

本題に入ります。「共通ウィズユーカード」はチームスポンサーの札幌市交通局様(厳密には札幌市交通事業振興公社様でしょうか)が発売しているプリペイドカードです。1000円のカードを買えば1100円分(1万円なら11500円)使えます。札幌の市営地下鉄、市電、市内線のバスで使え、バスと地下鉄の乗り換えでもちゃんと乗り継ぎの割引料金となるスグレモノです。コンサドーレのチームや選手をデザインしたウィズユーカードは地下鉄の厚別駅か、福住駅で試合のある日に年何回か販売されています。私が買い始めたのは2002年からです。以来、コレクションしたのは02年が小倉、和波、酒井、03年がウィル、今野、堀井、藤ヶ谷、04年が曽田、新居、柳下監督、05年が堀井、砂川です。03年以降はすべてそろっていると思いますが、違っていたら指摘していただければ幸いです。

これ以前もかなり販売されたようで、とりわけ2000年は多数あるようです。コレクターとしては、ヤフオクなどで一部入手しましたが、安くないと買えないので、とてもそろいません。レアなものとしては97年のJFL優勝、祝Jリーグ昇格という2枚セットを手に入れました。ぜひ今年、J1昇格を決め、またこういうカードを売り出してほしいと願っています。そういえば、ホーム開幕戦の3月11日午前11時から、鈴木智樹をデザインしたウィズユーカードが地下鉄福住駅で1500枚発売されます。1枚1000円です。興味のある方はいかがでしょうか。並ばないと、売り切れるかもしれませんが。

なお、オフィシャルパートナーズのJR北海道様も過去にコンサドーレのオレンジカードを発売していました。最近は北海道日本ハムファイターズのカードを発売しているようですが、コンサドーレは03年のチーム集合写真のカード以後は発売されていないかもしれません。こちらもぜひJ1昇格を決めることで、発売してもらいたいと思います。



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20:18

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オリジナルコンサドーレフィギュア

2006年02月18日

『あなただけのオリジナルコンサドーレフィギュアが当たる!クラシックキャンペーン』は2003年6月23日から9月1日まで、オフィシャルパートナーズのサッポロビール様が展開しました。サッポロクラシック6缶パックに1枚ついてくる応募マークを2枚1口で応募すると、2000人に当たるというものでした。
実は当時、佐藤尽の熱烈ファンだった上の娘が選手のフィギュアがもらえるものと思いこみ、ビールが好きなカミさんに頼み込んで頑張りました。私はあまり飲めない方なので、カミさんがここぞとばかりに箱買いしたり、知人に応募マークをもらったりして数口応募しました。その結果、見事に当選。ところが、選手のフィギュアは肖像権の関係もあってだめと分かり、結局、私の写真を送ることになりました。そして12月初めに届いたのが写真にあるフィギュアです。家族は「結構似ている」と言いますが、本人としてはビミョーな感じです。
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11:15

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オフィシャルガイドブック

2006年02月12日

コンサドーレの公式ガイドブックはチーム創設の1996年から毎年春に発行されています。HFCの監修で、発行は2003年までイエローページで、04年から北海道新聞社に代わりました。価格は税込みで96-98年は1000円、99年から1200円です。近年はJリーグの開幕時に合わせて発売されています。サイズは96年がA4判変形(少し長さが短い)、98年がA5判と小さかったほかは、A4判です(多少大きさが異なりますが)。
私がきちんと買うようになったのは遅く、確か2001年からでした。でも、いまはそれ以前のものもそろっています。どうしたかというと、札幌市内のブックオフを根気よく回り、見つけたものです(主に雑誌のサッカーコーナーで)。たまにヤフオクで高額出品されていますが、暇のある方はブックオフあたりで安く巡り会えることがあります。もっとも全部そろうにはかなり時間がかかりましたが…。
内容は、どれも選手をビジュアルに紹介するのが基本で、ほかにデータ類やコンサドールズ、オフィシャルサポーターズクラブ、シースペースなどをふんだんに紹介しています。とりわけ古いものは懐かしい選手たちに再会できるのが楽しいですよ。96年版を見ると、ペレイラとアルシンドが対談しており、アルシンドは2000年まで日本でプレーするといい、「今度は僕が、札幌の子どもたちに夢を与える番だ」と語っています。その後の退場処分や途中退団を思うと…。また、ルーキーだった吉原宏太の初々しい姿にも会えます。
今年もおそらく開幕のころに発売されると思います。早く今年の戦士たちを誌上で見たいと楽しみにしています。
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18:36

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初宮の沢と初練習見学

2006年02月11日

初めて宮の沢白い恋人サッカー場を訪れたのは2001年春だったと思います。前年の2000年にオープンしたコンサ専用練習場ですが、なにせ住んでいる清田区からは遠いものですから、なかなか行くことはできません。このときもチョコレートファクトリーに行きたいという家族のおつきあいのためで、残念ながら練習が始まる前に帰らなければならないのでした。それでも、GKコーチだったディドがいち早く姿を現し、ピッチの周りを走り始めました。手を振ると、笑顔で手を振ってくれました。さあ、選手も出てくるぞというところで「もう行くわよ」と家族に連れられ、後ろ髪を引かれる思いで帰ったのでした。以来、サテライト観戦に行ったほかは、チョコレートファクトリーに何度か行きましたが、宮の沢での練習は見ていません。

初めて練習を見学したのは札幌ドームのサブグラウンドで2003年7月だったと思います。この年は確か宮の沢が芝の張り替えで使えず、練習は札幌ドームなどを使っていました。6月にカミさんと上の娘が清田区にある白旗山での練習を見に行き(大森健作がけがした日です)、サインもらい放題だったと聞き、私も12倍ズームのデジタルカメラを購入し、勇んでドームへ行ったのです。一応、社会人ですので、なかなか休みと練習の日程が合わず、行けるのは年に2、3回といったところでしょうか。あこがれの監督、選手たちの写真を撮ったり、サインをもらったりでき、ファンとしてはうれしい機会ですね。それにしても、休日だと、見学客の多いこと、多いこと。ビョーキの人がたくさん来ていますね、人のことは言えませんが。
ぜひ今後も、札幌ドームでも練習してほしいものだと願っています。



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21:20

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コンサドーレバトン

2006年02月08日

回ってきましたので、今回は「思い出」ではなく、やってみます。

■Q1.現在在籍しているコンサの選手で好きな選手を3名挙げてください。(できれば理由も)
1、池内友彦(アニキ!道産子で出戻りはポイント高し)

2、鈴木智樹(道産子ではえぬきは期待大)

3、曽田雄志(同上)

■Q2.今までで印象に残っているコンサドーレの試合を3つ上げてください。(できれば理由も)
1、1998年12月5日、室蘭での福岡とのJ1第3参入決定戦(涙なくして語れません)

2、2002年11月30日、札幌ドームでの広島戦(ノーガードの打ち合いで5V-4と激しい試合でした)

3、2001年9月15日、札幌ドームでの清水戦(堀井のVゴールで3V-2で勝利した)

■Q3.家で一番多いコンサグッズを3つ挙げてください。(ユニホームなどでも可)
1、トレーディングカード(全部はそろっていませんが、多数あります。コンサに来る前や去った以降も集めています)

2、サイン色紙(家族で集めた分は20枚以上あります)

3、フラッグ(もらったものを含めると、大・中・小全部で10本ぐらい)

■Q4.コンサドーレを応援するのに必要なものをあなたなりに5つ。
1、熱い気持ち(これなしにサポは務まりません)

2、声援(とにかく応援しましょう)

3、タオルマフラー(選手入場時などの必需品)

4、レプリカユニ(周囲に宣言する意味でも大事です)

5、お金(やっぱりチームを支えるには必要ですね)

■Q5.次にバトンを受け取っていただく方を5人。

すみません。回せる方がいないので、かんべんしてください。



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21:30

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スーパービッグドーレくん

2006年02月05日

身長120センチの超特大ぬいぐるみ「スーパービッグドーレくん」は、ファンクラブdoze会員限定で2003年に発売されました。HFCによると、通常2万円の品を会員感謝価格として送料、消費税込み1万5000円で販売とうたい、なかなかHFCも商売上手になったものです。実はこれに先立ち、身長80センチの「ビッグドーレくん」が7月30日に販売されました。こちらは選手直筆入りメガホンの特典つきの限定150体が税別1万円でした。本当はこれも欲しかったのですが、当日並ばないと買えないだろうし、「スーパービッグドーレくん」が予告されていたので、我慢しました。

さて、「スーパービッグドーレくん」は10月7日締め切り(先払い)で、わが家に届いたのは12月下旬でした。注文したことは家族にも内緒でしたが、上の娘には来る前にバレてしまい、娘たちは歓迎していたようです。カミさんにはまったく内緒でしたから、到着した巨大な段ボール箱を見て驚き、激怒!しばらく夫婦間は冷戦時代を迎え、1年でのJ1復帰を果たせなかったチームとともに暗い年の瀬を迎えたのでした(そんなに大げさなものでもないですが)。

このドーレくんが来ていたユニは「白い恋人」「サッポロビール」「JAL」「JR北海道」のフルスポンサー、背番号12入りとサポ心をくすぐるものでした。受注生産ですので、販売個数は不明です。わが家の和室に鎮座し、私は観戦に向かうときは、合掌して勝利を祈願してから出陣しています。チームのユニが赤黒の縦縞に戻ったので、新しいドーレくんの登場も待たれます。そういえば、6日から雪だるまの変身ドーレくんが雪まつり会場で発売されます。明日は幸い代休なので、買いに行こうかなと思っています。



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16:43

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チョロQ

2006年01月29日

コンサドーレにまつわる「チョロQ」はJ1だった2002年に2種類、相次いで発売されました。

8月10日に発売されたのがチームスポンサー様のジェイアール北海道バスオリジナル「コンサドーレ号チョロQ」です。選手送迎用のバスをチョロQにしたもので、1個800円でした。JR札幌駅などで販売されたのですが、その日は行けないので、「売り切れたら困る」と思い、インターネットで通信販売で2個ゲットしました。送料が結構かかりましたね。あとで知ったのですが、何と2万個も売り出されたそうで、後日、札幌駅地下街のアピアのおもちゃ店で山盛りになって売っている(売れ残っている)のを見て、送料を損したと思って悲しくなりました。最近まで売っていたように思います(もしかすると、今でも)。

もう1個は10月1日に発売されたオフィシャルパートナーズ様のJR北海道オリジナル「コンサドーレ札幌応援号」です。函館本線を走る特急列車「北斗」がモデルで、1個1000円でした。限定6000個で、特急列車内でのみ販売するとのことでしたが、9月21日に札幌ドームでのJR北海道サンクスマッチ・浦和レッズ戦で1500個先行販売されるというので、その日は早めに並び、入場とともに席取りには目もくれず、売り場に全速力でダッシュ。当時アウェイサポの知人から頼まれた分と自分の保存用2個を無事にゲットできました。これもその後、長く売られていたようですが。

J1に復帰した暁には、ユース用の白いバスもチョロQにしてほしいものだと、コンサグッズマニアとしては願っています。
チョロQ




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12:06

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日本代表

2006年01月28日

日本代表に対しては、あまり熱心に応援していません。もっぱらテレビ観戦で声援を送る程度です。

前に書きましたようにコンサのサポになるのを決意した日までは、コンサよりもむしろ日本代表の方が応援に熱が入っていました。ドーハの悲劇のころはまだきちんと見ていなかったのですが、1998年ワールドカップフランス大会へのアジア最終予選は真剣にテレビ中継を見て、応援していました。特に日韓戦のホーム、アウェイとも試合内容をよく覚えています。ホーム試合での加茂監督の選手交代は、采配ミスがいかにゲームに影響するか、痛感させられたものです。

そして、運命の1997年11月16日、アジア第3代表決定戦。いわゆるジョホールバルの歓喜ですね。イランに岡野のVゴール勝ちするまで、一進一退の攻防にテレビに釘付けで、延長に入ったときはすでに日本時間は翌17日午前0時を回っていたと思います。家族が寝静まった家で、一人、「行けー!」と叫んでいたものです。このとき、岡ちゃんは国民的スターとなり、その後、まさかコンサの監督になるとは夢にも思っていませんでした。そして、私にとって忘れられない日になったのは、喜びの興奮のうちに眠って迎えた朝のことです。午前7時前、カミさんに「あの拓銀がつぶれたって!」と揺り起こされました。以来、この試合を思うと、必ず拓銀破綻を連想してしまいます。

98年フランス大会はもちろんテレビ桟敷で日本代表戦を応援しました。しかし、この年の12月5日にコンサのJ2降格が決まり、以来、私の思いはコンサに大きく傾きました。この日を境に、日本代表には熱が入らなくなってしまいました。テレビ観戦は続けていますが、冷めた目で見ている感じでしょうか。コンサの試合に一喜一憂するようなことはありません。2002年日韓ワールドカップも燃えずに終わりました。04年6月1日にはU-23日本代表が札幌ドームでU-23マリ代表と戦うのを生で見ましたが、目が追うのは元コンサの今野と山瀬の姿ばかりで、いまひとつ試合に入り込めない自分がいました。

進んでしまった道はもう後戻りできません。命ある限り、チームとともに喜怒哀楽をともにしたいと思います。



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21:30

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サテライト観戦

2006年01月20日

と言っても、サテライトはわずか2試合しか観戦したことがありません。コンサは2003年シーズンからサテライトに参戦しましたが、トップチームで出場機会が少ない選手には、格好の実戦での練習になっていると思います。

初めて見た試合は03年8月3日、宮の沢白い恋人サッカー場でのベガルタ仙台戦でした。上の娘が友達と行くつもりでチケットを買ったのですが、たまたま都合で行けなくなり、私に回ってきたものです。そういえば、最寄りのバス停から大谷地行きのバスに一緒に乗った若い女性はなんと目的地がまったく同じサテライト観戦だった、という偶然もありました。試合開始の少し前に着いたら、雨にもかかわらず、結構、席が埋まっていて、仙台サポの近くに座りました。おかげで試合後も仙台の応援コールが頭から離れませんでした。試合の方は負傷から復帰した酒井が先制、新居の2ゴールの後、酒井に交代して出場したユースの藤田が「征也のゴールを見てみたい~」というサポの応援コールに応えて2ゴールを決め、5-1で快勝しました。試合の後半途中には雨も上がり、気分良く家路につきました。それにしても、雨の中、旗を振り、応援を続けるサポは完全にビョーキだと思いました(カミさんからは「あんたも十分ビョーキ」と言われていますが)。

もう1試合は05年6月12日、札幌ドーム屋外のオープンアリーナ・サッカーステージで初めて行われたジェフ千葉戦です。うまく休みの日で、入場料が無料だし、ドーム屋外というのも見てみたいと駆けつけました。すり鉢状の芝生に座ると、ちょっと風が冷たかったけど、まずまずの観戦環境でした。試合は前半早々に清野が先制、後半に相手GKのクリアミスしたボールを謙伍が頭で押し込む、ちょっと笑えるゴールで2-0とリード。しかし、オシムイズムで走り回るジェフは徐々にペースをつかみ、その5分後に1点を奪い、ロスタイムに同点、2-2の引き分けで終わりました。実はこの試合で今季、コンサに移籍してきた芳賀が後半途中から出場していたのですが、まったく印象に残っていません(きっぱり)。むしろ、同点弾を入れながら、その直後に2枚目のイエローをもらって退場した工藤浩平が妙に記憶に残っています。

トップのホーム試合観戦を優先して休みを取るので、なかなかサテライトまで日程を合わせられないのですが、今年からはもっと観戦したいと思っています。なにせ、トップの試合ではなかなか見られない選手たちの勇姿を見ることができるのですから。



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19:17

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ファン感謝デー&キックオフ

2006年01月14日

明日15日は札幌ドームで「キックオフ2006」が開かれます。
今日はこうしたファンとチームの交流イベントを振り返ります。と言っても、私が最初に参加したのは「キックオフ2003」からで、偉そうなことは言えないのですが。

ファン感謝デーは、百科事典のようなコンサ・デ・コンサなどで調べてみると、チーム創設の1996年10月13日、最終戦の後、そのまま厚別でサイン会やアトラクションなどが行われたそうです。次からは試合とは別に設定され、JFLで優勝した翌97年11月3日、大通公園を優勝記念パレードした後、アクセスサッポロでミニサッカーや縁日などで楽しんだようです。次いでJ2で優勝した2000年11月26日、アクセスサッポロで札幌市長から巨大感謝状の贈呈などがあったそうです。そして、01年11月29日には札幌ドームで開かれ、岡田武史監督が別れを告げたのでした。

ここまではシーズン終了後に行われていたのですが、03年からは年明け後のチーム始動前に行う「キックオフ」に変わりました。「キックオフ2003」は03年1月26日、札幌ドームで開かれ、人工芝の上を歩くことができたのが印象的でした。私が最初にもらったサインはこの場ででした。そしてウィルら新戦力が披露され、1年でのJ1昇格に期待は大きく膨らんだのでしたが…。

「キックオフ2004」は04年1月16日、札幌ドームで行われ、上の娘と参加しました。何かは忘れましたが、買ったら中尾選手にサインしてもらえ、娘がサインと握手をしてもらいました。まさかシーズン途中で10番がいなくなるとは…。選手と一緒に有料ですが撮影できるコーナーがあり、娘の大好きだった佐藤尽選手らがいたので並んでいたところ、私と娘の番になる直前に選手が交代してしまい、娘は残念そうでした。

そして昨年は合宿日程の都合で交流イベントが開けず、チーム紹介イベント「全員集合!2005」が開幕直前の2月26日、札幌ドームで行われました。人工芝が張り替え中だったこともあり、交流のアトラクションはなく、選手紹介とコンサドールズの踊りぐらいでしたが、衝撃的な坊主頭3人衆登場や謙伍の「コンサドールズ入り」発言など、なかなか見どころいっぱいでした。

さて、明日は3年目の柳下コンサの披露です。私のようなミーハーの皆さんはまずカメラを忘れずに。サインをもらいたい人はサイン帳や色紙、サインペンかマジックをお忘れなく。今から楽しみですね。



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21:50

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年賀状

2006年01月07日

年賀状の図柄にコンサドーレを前面に打ち出したのは、2003年の羊年からです。私には絵心がないものですから、コンサラリーマンさんからコンサにまつわる年賀イラストを使わせていただいたのが最初でした。
いわば、私の公私の友人、知人にコンサのサポーターであることを宣言、カミングアウトするものでした。やっぱり、ちょっと恥ずかしかったのですが、今では対抗するように、旧友から浦和や仙台、京都のサポを名乗り出る賀状が届いたりもしています。
確か2年目もイラストを使わせていただき、昨年からは写真にある通り、自分で撮影したゴール裏の写真をメーンにすえています。さすがにカミさんは自分の分にはいやがるため、昨年から別な図柄の賀状をカミさん向けに作成しています。
以前には公式グッズでコンサ図柄の賀状が売り出されたこともあったようですが、今はないですね。コンサをPRする意味でも、今後もコンサ年賀状を続けていこうと思っています。来年はぜひともJ1昇格を報告する年賀状にしたい、と今から張り切っています。
nenga



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21:48

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1998-2004年生観戦記録(備忘録)

2006年01月03日

1998年Jリーグ
1試合(室蘭)1勝=バルデスのゴールで、エムボマのG大阪を下した。
第3参入決定戦1試合(室蘭)1敗=J2降格決まる。

1999年J2
1試合(室蘭)1敗=鳥栖にVゴール負け。

2000年J2
ゼロ=転勤や新しい職場は土・日曜が仕事が多く、観戦できず。

2001年J1
5試合(すべて札幌)2勝2敗1分=ベストゲームは9月15日、初の札幌ドームで清水に3-2でVゴール勝ち。岳也のゴールは忘れられません。

2002年J1
9試合(すべて札幌)3勝5敗1分=ベストゲームは8月10日、厚別でのG大阪戦。前半早々のバーヤックの虎の子の1点を、古川らの魂の守備で守りきり、連敗を9で止めた。記憶に残る試合は11月30日、ドームでの広島戦。ノーガードの打ち合いは曽田のハットトリックなどで5-4とVゴール勝ち。相川に衝突した憎っくき相手GKがコンサに来るとは夢にも思いませんでした。

2003年J2
19試合(札幌18+室蘭1)7勝7敗5分=ベストゲームは7月2日、ドームでの大宮戦。岡田のJ初ゴールんどで6-2と大勝した。

2004年J2
20試合(札幌全試合)3勝10敗7分=ベストゲームはしいて挙げれば9月23日、厚別での水戸戦。同点に追いつかれた後、清野の絶妙のクロスに相川が頭で合わせて勝ち越した。追いつかれると、引き分けか、逆転負けしていたチームの成長をうかがわせた。

1998-2005年の通算生観戦試合は75試合23勝33敗19分。かなり負けが込んでおり、厚別不敗神話と言われた2000年に観戦できなかったのが痛いですね。ぜひ早く勝ち数が負け数を上回るよう、期待しています。



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22:23

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2005年生観戦記録(備忘録)

2006年01月02日

2005年シーズンの生観戦はホーム22試合中、19試合でした。夏場の平日開催2日と同期会があって札幌の3試合(24、26、29節)が見られず、勝敗は7勝7敗5分とまったくの五分でした。アウェイはまだ行ったことがありません。ちなみに昨年まで生で勝利を見たことがなかったうちのカミさんは5試合、3勝2敗と何と勝ち越しました。今年からは「勝利の女神」になってほしいものです。

ベストゲームは10月22日、函館での山形戦です。土砂降りでずぶ濡れでしたが、7連敗中の相手に3-1で会心の勝利を収め、心は晴れ晴れとしていました。なにせ興奮してブログ(本宅)を始めてしまったほどですから

記憶に残るゲームは5月14日、厚別での水戸戦。HFC役員の不祥事直後で、厚別特有の強風がゴール裏に吹きつけ、文字通り逆風の中での試合でした。しかし、サポの声と思いが届いたのか、中山の鮮やかなゴールなどで2-0で勝利。目頭が熱くなりました。そして、試合後のヤンツーさんのあいさつ。もう2度とこんなことを監督にさせてはいけないという戒めのため、当時のメモから書き残します。
「皆さんの熱い声援があって、勝つことができました。われわれはこれからも、選手、スタッフ、そしてフロントも含めて、チーム一丸となって、夢と感動、そして喜びを与えるよう、精いっぱい戦っていきます。コンサドーレ札幌のサポーターとして、どこへ行っても誇りに思えるチームをつくっていきますので、これからも温かい声援をよろしく、ずっと、ずっと、よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」
忘れられない、というよりも、忘れてはいけない試合だと思いました。



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20:45

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toto

2006年01月01日

totoと言っても、トイレ用品メーカーでも、音楽バンドでもありません。サッカーくじ(正式にはスポーツ振興くじというそうですが)です。

2001年から本格的に始まり、当時はJ1とJ2の計13試合の試合結果ホーム勝ち(1)、引き分け(0)、アウェイ勝ち(2)を当てるものでした。その年の初回に1億円が2本出たのをニュースで知り、一攫千金を狙って2回目から競馬もパチンコもやらない私も買い始めました。だいたいマルチでダブル(勝ち、引き分け、負けのうち2つに印をつける)3つの800円分というせこい買い方ですが。
そして運命の5月19日が来ました。なんとすべて的中し、1等! 試合結果を確認する手が震えます。何度見ても全部当たっている。「やったー! 1億円は無理にしても何百万円か、まさか1千万か」と興奮して、当せん金を調べたところ…
なんと、2万2290円。それまでのtotoの当せん金額で最も低額でした。マルチですので2等2本、3等4本も当たっているので、2万5000円近くにはなりました。でも、この時のコンサドーレはアウェイでジュビロ磐田と対戦し、1-2で惜敗するのですが、コンサと磐田両方の勝ちをダブルで買ったので、もしもコンサが買っていれば何倍かの金額になったのですが。

この後も結構買い続けたのですが、もはや運を使い果たしたらしく、2度と当たることはありませんでした。どうしてもコンサの勝ちに投票してしまい、はずれる確率が高くなってしまうのです。ひいきのチームがある人は向かないですね。だって、試合前に自分がサポートするチームに負けはつけられないですから。コンサが03年からJ2に落ち、くじの対象から外れることが増えたうえ、行きつけの店もtotoを扱うのやめてしまい、次第に足が遠のき、ついに05年は1度も買いませんでした。

toto自体、売れ行きが低迷し、本来はスポーツ振興に資金を回すはずが当てが外れたようです。インターネット投票を導入したり、しているようですが、対策も後手後手ですね。最大の欠陥は試合前日までしか買えないことでは。競馬のように直前まで買えた方が良く、競技場で買えないのも痛いですね。文部科学省の天下り組織がやっている間は無理かもしれません。まあ、1番はサッカーの勝敗は予想が難しく、当たらないことなんですけどね。



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21:15

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2005年わが家の10大ニュース

2005年12月29日

明日、明後日が仕事のため、今日がブログ納め。コンサドーレにまつわる今年1年の思い出を10大ニュース風に振り返ります。

1、三原直筆サイン入り「ありがとうTシャツ」当選!
 今年のナンバー1はなんといってもこれでしょう。詳しくは本宅に書いています。

2、ブログ開設
 勢いで本宅とここと2つも開設してしまいました。さて、いつまで続くことやら…。

3、ホームゲーム22試合パーフェクト賞
 初めていただきました。賞品は写真を選べるオリジナルフォトアルバムです。

4、石屋製菓Xマスケーキ「ノエルドーレ」
 おいしくいただきました。本宅で紹介しています。

5、函館初遠征
 オフィシャルパートナーズのJR北海道様の応援ツアーで函館へ。土砂降りの雨でしたが、天敵・山形を3-1で撃破。行った甲斐がありました。これがブログ開設のきっかけとなりました。

6、ススキノ「オフサイド」見参
 上の娘の成人祝いに2人でうわさの店を訪問。赤黒に染まった空気を満喫してきました。来年は川合の店にも行ってみたいな。

7、変身ドーレくんコンプリート
 ひぐま、アザラシ、サンタをいずれもゲット! キワモノのドーレくんハンドまで買ってしまった。HFCもビョーキのサポを狙って商売熱心です。

8、戦力外通告にショック
 上の娘は三原、下の娘は権東がチームを去ることになり、涙の日々が続いています。洋平を失ってから熱が冷めたカミさんを含め、来季、またお気に入りの選手が見つかるといいのですが…

9、S席2枚当選
 カミさんが某情報誌に応募して11月23日の甲府戦のS席2枚ゲット。上の娘といい席で試合を見ましたが、ロスタイム3失点という歴史に残るシーンにしばらく腰が抜けて立ち上がれなかったとか…

10、全員観戦
 今年も12月3日の最終戦の草津戦を家族4人全員で観戦。全員観戦は昨年の最終戦の大宮戦以来、ちょうど1年ぶり。テンションが下がり気味のカミさんや娘2人をだまくらかして、来年もたくさん観戦に連れて行きたいと思っています。

それでは、皆さま、良いお年を! そして、チームは勝負の年です!



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16:50

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ビデオと写真集とDVD

2005年12月28日

なにか、グラビアアイドルのようなタイトルになってしまいましたが(笑)、コンサドーレはいずれも発売されたことがあります。
最も新しいDVDから紹介すると、「PRIDE コンサドーレ札幌激闘の軌跡!」(日活)はJ1に昇格した2001年2月に発売されました。前身の東芝時代やチーム創設の1996年以降の歩みを振り返るとともに、岡田監督の下、J2で優勝する2000年シーズンの全試合ハイライトなどをたっぷり収録しています。発売後、すぐに購入しましたが、今思えば、初めて買ったDVDのソフトで、当時はまだDVDプレーヤーを持っておらず、DVDつきのパソコンで見たんですね。余談ですが、J2最下位で終わった昨季、久々に見ていたところ、カミさんに「傷心をなぐさめているのね」と指摘されました。今、また見ながらブログを書いています。DVDは現在も販売されているようです。アマゾンなどで探してみてください。

ビデオ「97コンサドーレ札幌オフィシャルビデオ ROAD TO J(Jリーグへの道)」(ポニーキャニオン)と写真集「コンサドーレ札幌1997 JFL優勝記念写真集 コンサドーレの瞬間。」(イエローページ刊)はJFLでぶっちぎりで優勝した97年12月に発売されたようです。当時はまだサポになっていなかったのでまったく知らず、いつ入手したかはもう定かではありません。すでに絶版になっており、確かDVD購入後だと思いますが、いずれもよく行くブックオフで安く買うことができました。ビデオはともかく、写真集は今思うと、コンサドーレもバブルだったなあと思います。いまでもブックオフあたりで見かけることがありますので、興味を持った方は探してみてはいかがでしょうか。

残念ながら「PRIDE」以後、新しいDVDは出ていません。来年、HFCがDVDつきの10周年記念誌を企画しているそうなので、楽しみにいます。そしてシーズン終了後に、3度目の昇格を記念したDVDが市販されることを願っています。

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12:56

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